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19 炭酸の泡のように

重い鉄扉を押し開けると、遮るもののない街の強烈なビル風が、俺の服を激しく打ち据えた。


夕刻の赤い光が差し込むヘリポートの縁。


そこに、仕立ての良いスリーピースのスーツに身を包み、大柄な背中を向けて立っている男がいる。


キリュウ・グローバルの頂点ーー最高経営責任者である桐生團十郎だ。




「おう、戻ったか。」



振り返った團十郎の顔には、現役時代を思わせる覇気で満ち溢れていて、その瞬間、まるで胸を打たれたような衝撃が体を襲う。


もともと團十郎は、日本最強と謳われた元探索士シーカーだ。


それだけの覇気を纏っていても不思議ではない。


まぁ、俺は慣れているので問題ないが、焔がちょっと心配だな。


チラリと横目で見ると、彼女はこの覇気に何とか耐えていて少し感心する。


再び、團十郎へと視線を戻す。


珍しく深刻な顔をしているのは、今回の事案について大きな懸念を抱いているのだろう。


大企業のトップとして……この会社を発足当時から支え、躍進させてきたプライドと、暗躍する謎の組織への怒り。


そんな感情が、彼の顔からは読み取れた。



「社長。新宿ダンジョン最深部、メインターミナルパイプの防衛、および復旧を完了いたしました。結論から言うと……」



俺は手元のバインダーを開き、淡々と今回の件を口にし始める。



「品川および渋谷での人工魔素による実験、そして、当社の子会社専務の造反幇助。これらはすべて、今回の新宿最深部へアクセスするための"情報の陽動"ですね。敵の真の狙いは、関東一円の魔素ラインの汚染、延いては我が社の市場独占地位の失墜であると考えられます。」



團十郎は何も言わず、ただ俺の言葉に耳を傾けている。



「そして、最深部で遭遇した全身漆黒の服を纏った謎の女。……彼女は、対峙した人間の筋肉から発せられる微弱な電気信号をハッキングし、挙動を先読みする特殊な戦闘技術を有していました。通常のシーカーの枠を超えた、極めて電脳的な異質さです。」


「……その女はどうした?」


「ワイヤーにて捕縛し、尋問を試みましたが、その場で……死にました。おそらくですが、作戦失敗を検知した体内のナノマシン、あるいは隠し持っていた触媒が自動起動したのかと……その影響で、人工魔素による体内からの過剰汚染を起こし、口鎖および眼球から出血、全身がチリと化してしまったため、検体は残されていません。」



報告し終えた俺は、静かに視線を團十郎へと向ける。


沈黙が、屋上を支配する。


ビル風の音だけが響く中、團十郎社長はしばらく私の顔をじっと見つめていたが……



「――ガハハハハハハハハ!!!」



突如として、空を割るような豪快極まりない大笑いが炸裂する。


團十郎は自身の太ももをパシャリと叩き、肩を大きく揺らして笑い続ける。



「自害プログラムに、筋肉のハッキングだと! 相変わらず、あいつらのやることはタイパが悪くて、陰湿で、ヘドが出るほど回りくどいな!」



團十郎は笑い声を残したまま、のしのしと歩み寄ると、俺の肩を骨が軋むほどの力でガシガシと叩く。



「社長……少し加減してください。ただでさえ、力が……」



「そう言うな!お前たち、そして、東條のおかげで、その野望も打ち砕かれたわけだ。俺は嬉しくてな……まずは礼を言わせてくれ!」



そう言うと、團十郎は俺と焔に向かって、その大柄な身体を折って深々と頭を下げた。


西新宿のビル風が、社長の綺麗なオールバックを激しく乱していく。


だが、彼はそれを気にする風もなく、ただ真っ直ぐに、部下である俺たちに対して最大級の敬意を示していた。


焔はその行動を見て驚いているようだが、無理もない。


一企業のトップが、平社員に頭を下げたんだからな。


だが、これが桐生團十郎という男なのだ。


当社のトップであり、かつて一世を風靡した伝説の"元最強シーカー"が、ただの総務部の平社員と攻略一課の若手に、ここまで実直に頭を下げているんだ。


だが、これこそが桐生團十郎という男の、文字通りの真骨頂ルーツだった。


会社の最高権力者だろうが、世界的な英雄だろうが、この男の前では何の関係もない。


漢気に満ち溢れ、義理と人情に厚く、相手が誰であれ、決して表裏を作らずに一人の"人間"として対等に接する。


それが桐生團十郎だ。


だからこそ、社内では派閥を問わず、ほぼ全ての社員から絶対的な支持を得ている。


能力主義の冷酷なキリュウ・グローバルにおいて、この男が設立から今日に至るまで、ずっと社長のポストに居続けている理由は、単なる実績だけではない。


彼という人間に命を預けたいと願う社員たちの"情"が、その椅子を支えているのだ。


團十郎社長は頭を上げると、いつもの不敵な笑みを浮かべて俺の肩を再び小突く。


「東條も含め、お前たちには後日、私のポケットマネーから特級のインセンティブを出す。……経費精算の書類は通さんから、そのつもりでいろ。」


「コンプライアンス違反ですね。ですが、個人の贈与として適正に処理いたします。」


「ガハハ! どこまでも書類の鬼め。さあ、定時を過ぎているんだろう? とっとと帰って、美味い酒でも飲むがいい。」



團十郎はそう言って、再び夕日に染まる新宿の街へと視線を戻す。



「失礼いたします。」



一礼し、俺は鉄の扉を開けて屋上を後にした。


焔もそれに続く。


背中で閉まる扉の音と共に、新宿の喧騒が遠ざかっていく。


エレベーターの鏡に映る自分と焔のボロボロの服を見ながら、俺は手元のバインダーを抱え直す。


この世界に溢れ返る脅威。


それは何も、ダンジョンや魔物だけではない。


世界というシステムに組み込まれた"ダンジョン"というバグは、人の心にもその毒牙を向けている。


そして、その毒に侵され、世界をさらに壊そうとしている奴らがいる。


いまだ目的の見えない、名もなき投資グループの影。


新宿ダンジョンで対峙した、謎の女と彼女の電脳的な異質さ。


そして、人体を一瞬で灰に変える劇薬の存在。


この戦いは、まだ完全に終わったわけではない。




エレベーターが目的の階に到着する。


俺は焔に声を掛け、ゆっくりと一歩を踏み出した。



「炭酸が……ご所望だったよな。」


「え……あ…………うん!」



一瞬、困惑を浮かべた焔だが、俺の意図を理解したように嬉しそうに笑って、後をついて来る。


視線の先には、自販機が並ぶリフレッシュルームがある。


それを見るや否や、焔は俺を追い抜かして駆けていく。


新宿ダンジョンでは、取り乱したように荒々しかったのに、会社に戻ればずっと無口……まるで不貞腐れたようだった。


それなのに、今度はとても機嫌がいいように思える。



……やっぱり、Z世代の心理はよくわからんな。



目の前の事象のすべてを、情報として処理する俺の脳内システムをもってしても、彼女の"気分の高低差"というバグの仕様だけは、どうにも解析の手がかりが掴めない。


それはまるで、大小様々な気泡がどこからともなく現れては弾ける炭酸の泡のよう……



「なによ、おじさん。人の顔、じっと見て。……なんか文句ある?」



そう問われた俺は肩をすくめると、焔が指差す自販機にコインを入れたのだった。

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