第96話 理想
冷たい風が頬を薙ぐ。朝日を望む艦の上からスラン教国の絶景を眺めながら俺は隣の人物に疑問をぶつけた。
「その・・・俺はいつまで答えを待ってりゃいいんだよ」
「もうちょっとかな」
エナさんは少し意地の悪そうな顔をして微笑んだ。
「しかしまあ律儀だし純情よねリョーマも」
「悪いかよ」
どうせ夢見られてバレてんだからどうにでもしてくれといった感じだ。こっぱずかしさはあるが、どうにもならない。
「悪くない。むしろ良き」
「マジで!?」
俺の頬が緩んだが、エナさんは意地の悪さを緩めなかった。
「ほら、褒めるとすぐ調子に乗る。少しはクールを装わないとモテないぞ」
「無理!」
「なんか精神年齢が子供なのよね。ADHD傾向だと実年齢の半分ぐらいらしいし」
「それネットの雑な情報だけどめっちゃ自覚あんだよな。でもどうしようもねえ」
何もわからない。俺は雰囲気で生きている。
「どうもしなくていいと思うけど、強いて言うならより良い未来のために最良の選択をする、かしら」
「より良い未来ってなんだよ・・・」
「理想をアップデートしていく姿勢かな」
「理想ねえ。アブが好きそうな言葉だ」
俺は言葉そのものにあんまり興味ないけど、俺なりの理想を追求してきたつもりだ。多分、ここから更新していくには新たな価値観が必要になってくる。それが何なのかはわからない。
「で、エナさんはその理想ってやつに向かってんのかよ」
「そうかも」
「ふ~ん」
じゃあ、今はまあ分からなくても良いか。そう思えた。
「リョーマは音については敏感なんだから、何でも音に例えてみれば良いんじゃない? 即興やってる時って何考えてんの」
「ん~出音とダイナミクスとスケールとコードトーンとボイシングを考えるかな。考えるっていうか身体知だから感じるの方が近いか」
「音楽用語はよく分かんないけど、私が踊ってる時もそんな感じかな。自分を良く見せるにはどうすればいいのか体が覚えてる」
エナさんは軽くステップを踏んだ後、足を上げてI字バランスの構えを取った。
あざといと思ったが、俺が好きな女があざとくても特に問題はなかった。ただ他の男にとられないか少し心配ではある。
「他に恋人とか居ねえのかよ。シスターとはいえそんなんじゃ男がほっとかないだろ」
「ん~、昔は好きな人とか居たけど、初恋は実らないって言うでしょ。私にもそんな時期はあったかな」
「今は違うんだな」
「夢見て幻滅したっていうか。リョーマの世界では蛙化現象って言うんだっけ?」
「そういう変な単語ばっかり拾うなよ」
「落ちてるのが悪い」
お互いに少し笑った。
「改めて言うけど。俺がエナさんを好きだという気持ちに偽りはねえ」
「分かってる。だから、返事を少し待って欲しい」
正直、エナさんが何を考えてるか分からない。でも、この人になら騙されても良いとさえ思っている。逃げ場のない艦の上で野次馬に見られてるのも必要経費と考えることにした。
「そこ! 聞き耳立てるな!」
「ひゃ~」
エナさんに居場所を指差されたブリューナとバラックとクロードとエルネスタが蜘蛛の子を散らすように逃げて行ったのが見えた。
俺は『ダスク・エヴァンジェル』の一行に連れられ艦の室内へ向かった。若い頃はこのような巨大な兵器に憧れたものだが、この冗談みたいな世界に来てからというもの、目まぐるしく起こる事態は俺のような弱者男性の感傷を置き去りにしていく。
「ファウスティナ聖下!」
ファウスティナ教皇は船室の中、天蓋の付いた揺り籠に腰掛け、足をパタパタさせていた。我々が部屋に入ると手を振りながら笑顔を綻ばせた。
「やっほー『だすく・えヴぁんじぇる』」
「よくぞご無事で・・・みんなが心配しておりますから帰りますよ」
「あっ、ザックとマイルズにかえるじかんいってなかった」
ファウスティナ教皇は口と目を大きく開き、それから手で口を押えた。セラフィーネが声を潜めてマリアンヌに耳打ちする。
「ねえ、拉致されたにしてはすごく機嫌良いんだけど」
「もしかして、聖下はご自身のお体の一部が食べられたことをご存じないのか?」
「しってるよ」
上目遣いをしたファウスティナ教皇が笑みを浮かべながらセラフィーネとマリアンヌの会話に割り込んだ。
「このからだはめがみさまからのかりものなの。でもいたくしなかったしなおったからてんばつはなかったよ」
冷や汗をかいたセラフィーネがごくりと生唾を飲む音が聞こえた。平然とした表情をしたモラが言い放つ。
「天罰が下らなかったとすると、アルベリッヒはそれほど悪い人物ではなかったということでしょうか」
「モラ様、流石に奴を弁護するのは無理があります」
「でも、今は敵も味方も一人も失っておりませんよ」
「それはモラ様のお力があってこそでございます」
「それを見越しての行動だったのかもしれません」
モラと言い合いになっていたセリアはため息をついてファウスティナ教皇に向き直った。
「聖下、アルベリッヒは極悪人ではないにせよ悪人だったのでしょうか?」
「ん~、わかんない」
セリアはさらに深くため息を漏らした。
「私にはもはや何が真実なのか分からん・・・」
「奴の真意はどうあれこの艦はお前たちに主砲まで放ち、危険に晒したのは事実だ」
セリアが不憫に思えたので俺も客観的な事実を列挙してみる。実際、気を揉んだのは確かだ。
「ダンディ殿・・・」
「ダンディがいればあんなビーム、時術で逆転させてドカンよ」
「セラフィーネ、それではファウスティナ聖下が巻き添えになってしまうぞ」
「あー、そうだった!」
ルシエラの指摘に頭を抱えてセラフィーネが青ざめる。
「悪いが敵の砲弾や光線を弾き返したりは出来んぞ。俺の『バック・イン・タイム』は一度手に持つなりして支配下に置いたり制御を奪わなければ発動しない」
「そうなのね。そんな都合良くはいかないか~」
セラフィーネは残念そうに呟いた。
「やはり、ダンディ殿を心配させた罪は重い。少なくとも私はアルベリッヒを許すことは出来ない」
セリアが逸れた話を元に戻した。
「しかし、彼のような歪んだ欲望を持つ者こそ、救わねばならないものなのです。悪人を生まれ無き者にすることはできません」
「やはりモラ様も彼を悪だと仰るのですか」
「この世は善にも悪にも平等ですよ。ただ我々は好き好んで善を選びますが、悪は得てして悪の道しか選ぶことが出来ない定めなのです。悪を、善なるものを傷つけずに悪のまま包摂することこそ、我々が目指さなければならない理想です」
「相変わらずモラ様の視座は高い。敵対者まで救おうとなされるなど」
俺もそう思う。しかし、話はそう簡単ではない。
「理想を抱くのは良いことだが、現実とのギャップを埋めねばなるまい。それはどうするつもりだ?」
「少なくとも私は、なすべき義務を果たす姿勢は崩しません」
孤児院に寄付。貧民への炊き出し。慈善活動。無償蘇生。なるほど、確かにモラに関するそのような実績なら有り余るほど耳にする。
「だがそれは聖者、ひいては『ダスク・エヴァンジェル』の冒険者としての活動があっての事」
「ええ、存じております。だからこそ私にしか為せないことであるなら率先してやる覚悟です」
「アルベリッヒを救うこともか?」
「わかりません。彼次第ですので、聖都に着いたら彼の真意を問い質そうと思います」
モラの気持ちは真摯だ。そういうところはアブと似ている。
「その際は俺も同行して良いか?」
「あら、気にして下さるんですの」
「お前は誰かが支えなければならない。今、そう思った」
「ダンディ殿が行くなら私も同行するぞ」
セリアが鼻息を荒くした。
弱い者が強いものに守られる。それが酷く心地よかった。
「キー!」
「腹が減ったか」
子竜の声を聞いて、私はマジックケージからアビーを出してやった。空飛ぶ船の上だろうが腹が減るものは減る。
“ん? アビーなんか背、伸びた?”
“成長期 当たり前”
そういうものか。生まれた時は尻尾なしで40cmぐらいだったが、2週間ぐらいたった今はその倍ぐらいになってる。アビーはあたりを気にしだした。
“戦闘 あった?”
“あったかも”
私はみんなとは担当が違ったが、笛を吹きながら通路の奥で子供を1人救出した。なんか天使らしい。親にとって子供は天使のようなものと聞いたことはある。私は全くそう思わないが。
“子育てクイズマイエンジェル”
“?”
思っていたことが竜言語に出てしまったようだ。アビーが怪訝な顔をした。古いゲームセンターにあった謎のゲームのことは忘れてしまおう。
“戦闘でアブが人を殺して悩んでいた。私も一緒だよって言ってあげたかったのにリョーマがうるさくて言えなかった”
“後で 言えばいい”
“そうだな”
携帯用干し肉をアビーに与えながらバンドコンテストのことを振り返る。バンドが流行ると良いな。
“人間同士は 殺し合わない?”
“殺す役目のやつがいる。ほんとはアブは殺さない側だったのに、色々あると役目がごちゃつく”
“なんか面倒 母は 殺す役目?”
“そう言われると、どうなんだろうな・・・”
ぶっちゃけ私は殺せる側だ。警察に捕まるとバンドメンバーに迷惑がかかるし、特に殺したいとも思わないから殺してないだけだ。ダランを殺した時も死体をどう処理するか考えていただけで、心は全然痛んでない。
“殺そうと思えば、殺せる”
正直にそう伝える。アビーは自分のことのように、満足した表情を見せた。
“母は やっぱり 強いんだな”
“強い、か”
私にはやっぱりわからない。
“色んな事に悩んで、答えを出して、私はそんなアブにこそ憧れる”
“アブより 母の 方が 強い”
励ましてくれてるんだろうけど、かえって自分の想いが明確になってしまった気がする。
“思うんだけど、私は強くない方が綺麗だと思う”
“弱く なりたい?”
“みんなを守らないといけないから弱くなるのはマズいけど”
私はそのまま思ってることを言う。
“私はみんなを殺そうと思えば多分、殺せる。そんな私とどんな気持ちでみんなは一緒に居るのかなって思う”
“強い ことは みんなから 見ると 怖い?”
アビーがしょげてしまった。フォローが必要だろうか。
“ん~じゃあ、もし私が誰とも仲良くできなくなったら、着いて来てくれるか?”
“うん ドラゴン 寿命長い 母の 面倒見る”
“人間に討伐されないように気を付けろよ”
“がんばる!”
前の世界ではそうでもなかったが、野生で生きていくことを考えたら強いことは悪くないことかもしれない。私はそう考えなおした。




