その子の名はミケ
家に入ると、ポワンドが寝室から出てきた。ポワンドとケルベロスの3人は顔見知りらしく、「よう!」と挨拶している。
「フィルドの旦那がこんな所まで来るなんてなぁ・・・。――ログ兄ぃ、ケルベロスが揃ってがここに居るってことは・・・。」
「ああ!手に入ったんだ。あの子の容態は?」
「呼吸が弱い。急ごう。」
ベットには血の気が失せ、包帯に血が滲み、半目のまま動かなくなった小さな身体があった。ポワンドが口を開け、エリクシルを投与しようとするが、
「だめだ、もう飲み込む力もない・・・。」
そう言って大きく首を振った。
「待って。私がウンディーネを使うわ!」
「おい!デミア!」
「あなた、止めないでね!」
デミアはポワンドの横へ行くと、両手を差し出して精霊召喚を始めた。
『汚れし森に残りし、清き水の精霊たちよ――集まれ・・・我に代わりて、幼き子に慈愛の水を届けよ・・・』
詠唱が終わると、デミアの差し出した両手の間には、水晶のように水の玉が形成され浮かんでいた。
「この水球にエリクシルを注いでちょうだい。」
フィルドがエリクシルを注ぐと薄緑色に水球が染まる。デミアが静かに息を吐き出すと、水球はまるで細い糸のようになり、少女の口の中へと入っていった。
「お願いウンディーネ。その子の全身にエリクシルを運んで!」
両手を差し出したまま、デミアの息が荒くなってくる。どうやら腐食の森では、精霊召喚は召喚者に負担をかけるようだ。
水球が全て体内に入ると、少女の身体が柔らかく光った。すると今度は透明な水になって水の糸が外へと出てくる。やがて外へ出てきた水の糸は、再び水球を形成した。
「もう・・・いいわね――。」
デミアの両手が下がると、浮かんでいた水球は幻のように消滅した。ソニーは倒れ込むデミアの肩を支え、近くの椅子へと座らせると、
「精霊力の無いこんな場所で・・・無理をするな。」
「そうね・・・集めるのにちょっと無理しちゃった・・・。」
そう言って微笑むデミアを、優しく抱きしめていた。
「それでポワンドよ、エリクシルを与えてからの様子はどうじゃ?」
ポワンドが診察をしている様子に、フィルドが問いかける。
「こいつは――いやはや・・・エリクシルはすごいねぇ。血の気が戻って、体温も上がり、一気に身体が回復を始めている。――きっとウンディーネが全身に行き渡らせたんだろうなぁ。うん!大丈夫だろう。――ログ兄ぃ、峠は越えたぜ!」
ポワンドが優しく布団をかけ直し、ログへ穏やかに微笑んだ。その様子に全員が顔を見合わせ、柔らかい表情で安堵のため息をこぼした。
◇ ◇ ◇
エリクシル投与から2時間が経過した頃――、
「お?ログ兄ぃ、この子・・・目を覚ましそうだ。」
「――にゃ・・・にゃぁ・・・。」
包帯の隙間から、少女の右目が薄く開いた。ログはベット横にしゃがみ、そっと少女の手を握った。
「もう、大丈夫だからな。」
「にゃぁ・・・叩かないで・・・痛くしにゃいで・・・。」
「大丈夫、もう誰も叩いたりしないよ。」
ログは優しく少女の髪を撫ぜて、穏やかに語りかけた。しかし、少女の頭に触れているログの右手には、少女の心を表すように、ブルブルと隠せない震えが伝わってくる。
「――おじちゃんは誰?・・・ご主人様は?」
あどけなさのある少女の右目には、明らかに不安が宿っていた。ログは優しく微笑み、
「心配しないで。ここは私の家で、君のご主人様は居ないよ。だからね、安心していいんだよ。そんなに怖がらないでいいんだよ。」
「おじちゃんの・・・おうち?」
状況が理解できない目で、少女はログを見つめ返した。するとポワンドがログの肩に手をおいて、
「お嬢ちゃんはね、いーっぱい怪我をしていてね、森に倒れていたんだよ。それをね、このおじさんが助けてくれたんだよ。」
「ミケが・・・可愛くないから叩かれちゃうにゃ。それに・・・勝手に倒れちゃって、ごめんにゃさい・・・。」
ミケの小さな右目に、薄っすらと涙が滲む。
ああ・・なぜだろう――。なぜこの子は、謝るのだろう――。
――きっと叩く理由なんか、何でも良かったんだろう。だから「可愛くない」と理不尽な理由を、正当化して虐待していた――。
この子にとって、それが「刷り込まれた正論」だったんだ――。悪意しか無い世界で、痛みに倒れることすら許されない世界で、この子は、ずっと憎しみの捌け口にされていたのか――。
「君はミケっていうんだね。私はログ。」
「ミケはね、ミケってお名前なんだよ。おじーちゃんが付けたにゃ・・・。」
「そうか、ミケ・・・。何も悪くなんかないよ。もう誰にも叩かせたりしない。――それにね、ミケは可愛い子なんだよ。醜くなんかないんだよ。」
ログは優しくミケの頭を撫で、繋いだままのミケの手を握りしめた。
「――ログおじちゃんは、ミケの・・・優しいおじーちゃんと同じにゃ。優しい匂いがするにゃぁ――。」
ミケの口元と右目に柔らかい笑みが浮かぶ。もうミケの身体から震えは感じなくなっていた。
「ミケの家族は、おじいちゃんだけかい?」
「ううん、おかーさんも、おとーさんもいるにゃ!あとね・・・おばーちゃんと・・・おねーちゃんにゃ!」
「みんなは何処に居るんだい?ジャングリア王国かい??」
「みんなね、{前の場所に居る}んだよ。でもね、前の場所にはもう帰れないにゃ・・・。ミケは一人にゃぁ・・・。」
またミケの目が潤む。――しまった!ログは焦りながら、
「またゆっくり話そうな。今は休んで身体を治そう。いいね?」
「ミケ、頑張るにゃぁ・・・。」
ポワンドがミケの首筋に手を当てて脈を見る。その時、木の床を叩く足音と共に、フィルドとマーカ夫妻が寝室へ入ってきた。どうやら、ログとミケの声に気がついたのだろう。
「おお!良かったのぉ。気がついたかの。」
「あらあら、可愛いお目々ねー!。」
「まぁデミアが助けたようなものだがな。エリクシルだけじゃ――。」
「ちょっと・・・あなた!!天邪鬼なんだからっ!」
「ほれほれ、二人とも静かにせんか。お嬢ちゃんや、痛みはまだあるかの?」
3人とも、結局この時間まで待って居てくれた。フィルドとデミアはわかるが、ソニーまで残っていたのは意外だった。口は悪いが――悪い奴ではないようだ。
「わぁ!いっぱい優しい匂いがするにゃ・・・。もう痛くないにゃ・・・。」
「ミケ?・・・おいミケ??」
ミケの右目が閉じ、ログが握る手の力が抜けていった。ポワンドの肩を掴んだソニーの肌が、みるみる間に紅潮していく。
「おいポワンドっ!どうなっている。さっさと何とかしろ!」
「あなた!落ち着きなさいな・・・、もう・・・。」
「奥さんの言う通りだぜ、ソニー。回復するには体力を消耗するからなぁ。いまはエリクシルで安定化して、寝ているってだけさぁ。この様子なら、臓器や打撲傷はエリクシルで順調に回復しているだろーよ。」
そこまで言うと、ポワンドは真顔になって、
「ただ――左目は厳しいだろうな。欠損状態が重いし、手当が遅すぎた・・・。」
「ええいっ!目も治さんかっ!このヤブ医者め!!」
「いい加減になさいな、あなた!ポワンドさんが名医なのは知ってるでしょ!――ポワンドさん、左目の見立ては厳しいのね?」
「ああ、診療所に戻って治療の方法を考えてみるが――あまり期待はしないでくれ。」
「まったく・・・おぬしたち、小さな子が生きようと頑張っとるんじゃぞ!ほれ!騒いどらんで、居間に戻って大人ができることを考えるんじゃ。」
冷静なフィルドの言葉に促され、マーカ夫妻とポワンドは居間へと向かう。フィルドはログの肩に手を置くと、
「ログや。――救えたの。」
「ああ、本当に良かった。フィルド、感謝している。」
「ほれ、儂らも行くかの。またソニーが心配して暴走するからのぉ。」
「ふふっ・・・。」
ログとフィルドはしっかりと握手をし、共に居間へと向かった。寝室のドアを閉めるとき、ログの耳にミケの声が蘇る。
――にゃぁ・・・叩かないで・・・痛くしにゃいで――
――ミケが・・・可愛くないから叩かれちゃうにゃ――
ドアを閉じたとき、ログの心には強い想いが湧き上がっていた。
(ミケを守る。そして家族のところに帰してやるんだ!!)




