人間のいない国
鏡に映る蛙人族――その横でディアは爆笑し、ミケは床に転がって腹を抱えている。蛙人族は不機嫌そうに「そんなに笑うなよ」と呟いた。その声はログのもの・・・そう、この蛙人族の正体は――ログだ。
ジャングリア王国に人間族はいない。そもそも人間族は敵性種族として認知されており、ログがそのまま歩いていれば逮捕・・・場合によっては斬り捨てられるだろう。
ここでカティの潜入技術が役に立った。腕を増やしたり、尻尾を生やすなんて事は出来ないが、精密なマスクで顔を見事に変えてしまう。尻尾のないログにうってつけだったのが・・・蛙人族のマスクだった。表情まで再現できる見事な変装は、人間族の面影など感じさせない出来だった。
「わふぅ〜!ログさん、本当に蛙人族ですぅ!」
「見事じゃのぉ・・・カティや。」
ニーナとフィルドは感心しながら見てくるし、カティは自慢気に顔のマスクを引っ張ったりしてくる。普段は表情の硬いカミュまでもが笑いを堪えているのが腹立たしい。
「カミュ!お前もかよっ!」
「すまん・・・だが――ぶふっ!ログの声でカエルとは・・・くふっ!」
カエル顔のログは、恨めしそうに一同を見つめていた。
◇ ◇ ◇
下船して波止場を抜けると――そこは獣人が行き交う街。人間は一人もいないし、精霊人種ですら非常に少なく見える。多種多様な獣人達が活気に溢れ、これまでのどの街とも違う熱気が、ログの肌にヒリヒリと感じる。
ニーナは尻尾を大きく振りながら、嬉しそうにカティと歩いている。あれは◯◯でぇ〜、こっちは△△でねぇ〜とガイドのようだ。ディアやカミュも、故郷の空気が馴染むのだろう。いつもより口数が多く、リラックスしているようだった。
だが――ログの手を握るミケは、特に変わりなく――楽しそうではあるが、故郷だからと特段に喜んでいる訳でもなさそうだ。ミケの好きな串焼き屋台には目が輝くが、他の猫人族を見ても気に留めている様子はない。
「なあ、ミケ。故郷だし、同じ猫人もいるから嬉しいかい?」
「う〜にぃ・・・いつもと同じにゃ!」
子供にとっては国が同じでも、実際に住んでいた所でなければ郷愁も感じないのだろうか。それとも、ミケが言っていた「ちゅ〜る」なる食べ物が見当たらないからだろうか。どうも、ログが想像していたミケの反応と違っていて・・・なんだか肩透かしされた感じがした。
ヴィーラ号の船長が手配してくれた宿は、思っていた以上に立派なホテルだった。レストランやバー、小さなカジノまで併設されていて、ログとミケの部屋からは美しいオーシャンビューが広がっている。
カミュが言うには、船乗りは陸で豪遊するらしく、宿や食事の店も相当なものと期待していたらしい。立派なホテルにチェックインすると、早々にディアやカミュなどガルムの獣人達は街へ繰り出し、フィルドはマッカランとホテルのバーで飲み始めている。ダニエルやジャック、ヘネシーはカジノへ向かったので、ホテルにはログとミケしか残っていなかった。
ログはホテルのレストランで、久しぶりにミケと二人きりの食事をしている。トルミの街を出てから、ラフロイグ商隊やアイラ傭兵団のアードベッグ達との出会いと別れ、そしてディア達と出会い――エルダーヒュドラと闘い・・・シュリヒテでは子爵の殺害にまで加担してしまった。
あまりにも多くのことがありすぎて忘れていたが、ミケと二人で落ち着いた時間を過ごすのは・・・随分と少なくなった気がした。眼の前でエビフライに齧りつく可愛い生き物は、みんなに愛されて感情が豊かになった気がする。
眼帯の下から頬に残る傷跡は痛々しく、左耳はちぎれたままだが・・・それを跳ね除けるような明るさがミケにはあった。きっとその明るい顔で、無邪気に皆を好きだから・・・皆がミケを愛するのだろう。ログ自身がそうであるように――。
「ミケ、ほら――タルタルが付いてるよ。」
「うに・・・ログぅ〜、これ美味しいにゃ!はい、ログも〜!」
ミケの口を拭くログに、ミケが食べかけのエビフライを突き出してくる。温かい風が心に吹き込み「美味しそうだね」と口を開けると、ミケが満面の笑顔で口の中に押し込んできた。少しエビの尻尾が痛かったが・・・どんな料理より美味しくて、エビフライを噛み締めながらミケの頭を撫でた。
「ログぅ〜・・・。」
「どうしたの?」
小さな両手でグリーンピーチのジュースを抱え、うくくっと飲んでミケはログを見上げた。
「ずっとディアママと・・・みんなと一緒がいいにゃん。」
そのつぶらな瞳は、旅が終われば別れが来る事を知っているようだった。
「そうだね。ミケの目が治ったら――一緒にディアに相談しようか。」
「うにゃ!ミケ、お目々治してディアママに相談するにゃ!」
にぱっと笑顔になると、また大きなエビフライに齧りついている。ふと、ログはこのテーブルにディアが居ない事に寂しさを覚えた。もしミケの隣にディアがいたら・・・どんな顔で何を言っただろう。また無理やり抱きしめて、ミケがウニャウニャ言ってただろうか――。
いや――ミケと一緒にカエル顔のログを指さして笑うだろうな・・・。そんな事を考えていると、なんだか柔らかい綿毛の包まれたような・・・心地よいくすぐったさに微笑みがこぼれた。
◇ ◇ ◇
ジーマの街で三日が過ぎ、一行は次の準備に取り掛かっていた。
目指すのはジャングリア王国の王都シンハー――国王リオンが治める獣人の都だ。シンハー王宮には《命の樹》が聳え立ち、街の遥か先からも目視できるらしい。ジャングリア王国の歴代の国王は、この命の樹が実を結び生まれると言われており、王国の大切な象徴として信仰を集めている。
王都シンハーは内陸部で、北には永久氷原と氷海が生命を阻み、南はスピリタス砂漠が広がり、東は強酸の湿原地帯が毒と酸で行く手を塞ぐ。西のサバンナ地帯は、王都への最も普遍的な道となっているが・・・魔獣の生息数が非常に多く、結果として王都は四方を難所が囲んだ場所にあるのだ。
ログ達もサバンナ地帯を抜けていくことになるが、ここは弱肉強食が息づく大自然の世界が待っている。回復薬や解毒薬、替えの武器も調達しておかないと――自然の一部として土に還ってしまうだろう。
自然に打ち勝ち”生きやすい大地”を手に入れた人間族の国とは、価値観も尊重すべき事も違うのだ。生きやすいとか、生きにくいとか、自然のままならば小さな事――喰われるか、喰い殺すかしかない。
ログはディアやカミュと武器の仕入れに向かった。どうしてもミケが行くと言って聞かず、ニーナとミケも一緒についてきている。
――さすが港町ジーマだった。
ジーマの武器屋は驚くほど品揃えが充実し、トルミ以上にジャルパ製の片刃刀やレザーアーマーが並んでいる。カリメ製の重装鎧や両手剣、スライマール製のスケイルメイルや錬金爆弾まで――無いものは無いのではないか・・・というレベルだ。
なかなか良い長巻もあり、一応の予備にと買っておく。ミケはログの周りをチョロチョロしていたが、ちょっと目を離すと1本の短刀に見入っていた。
「どうしたの?」
「ログぅ〜、これ綺麗にゃぁ。」
ミケが眺めていた短刀は、ジャルパ製の片刃で刃渡りは25センチ程だった。確かに刃紋も美しく、刃金の白い輝きが冷たく光っている。その様子に鱗人族の店主が揉み手で近寄ってきた。
「これは良いものに目をつけました。こちらはジャルパの名工サヨン=サモジが打った短刀で、お嬢様の護身刀にピッタリの逸品でございますよ!」
「あの名工サヨンの手で?」
「はい〜!こちらにサヨン=サモジの銘が刻まれております。」
店主は布で刀身を持つと、茎の銘を見せてきた。確かに銘が刻まれ、刀身の造りは名工の特徴を映し出している。間違いなくサヨン=サモジの短刀だろう。
「こちら統一金貨25枚でお譲り出来ますが・・・いかがでしょうか?」
「高いなっ!!」
確かに名工の逸品だが、金貨25枚は法外な額だろう。ミケは金額が分からないから、期待で尻尾はクネクネし耳はピコピコしている。だが――25枚は・・・厳しい!
店主は分かっていて・・・ログの目を覗き込んでくる。右からは、まんまるのミケの目。左からは店主の押し売る目・・・これはログの冷静な判断を阻害して余りあった。
「そ・・・そうだな。買おうか――。」
結局――ログは買ってしまった。ディアには「値切らないなんてバカ?」と言われ、カミュには「無駄使いは慎めよ」と諭され・・・ニーナは「いいなぁ〜」となぜか恨めしそうに見てきたが――ミケはゴキゲンで腰に差していた。
ここからはサバンナ地帯になる。ミケも護身刀があっても良いはずだ。それに・・・嬉しそうに揺れる尻尾を見ながら、ログは妙に満足していた。




