海路の夜
シュリヒテの港では、ディア達が船に馬車を乗り込ませていた。ミケの眼の前にあるのは、ミケが初めて見る「船」という乗り物だった。それは2本マストの小ぶりな帆船で、船首にはウンディーネを模した像が掲げられており、船体に何かが書かれている。
ミケがログの裾を引き「なんて書いてるにゃ?」と聞くと、「ヴィーラ――”ヴィーラ号”って名前だよ」と教えてくれた。ミケ達の横を丸太の様な腕をした水夫たちが行き交い、見上げた船上ではニーナが手を振っている。
結局、ニーナもジャングリア王国まで同行を続けることになった。――と、言うよりも・・・ガルム旅団のメンバーとして加入を願い出てきたのだ。さすがにフィルドは渋い顔をしていたが、ディアが「いいさね」と事もなく言ってしまい――まずは旅の終わりまで「お試し期間」として加わることになった。
ログに抱えられ船のデッキに上がったミケは――彼方まで広がる海に心がときめいた。鼻をくすぐる潮の香り、軋み音がして・・・波に揺れる大きな木の船体。何もかもがミケの好奇心をくすぐった。
やがて出航の鐘がなり、船の帆が降ろされる。桟橋にはヘンドリクスやピニャが見送りに来ており、大きく手を振っていた。ミケやログ達も手を振り返し――その姿は小さく、見えなくなっていった。
ミケは、ログとディアに「デッキの端から海を覗いてはいけない」こと、「マストに登ってはいけない」ことを約束し、船長からは「船員の言うことを聞く」ことを条件に、自由に船内を冒険して良いと認められた。
尻尾を揺らし、ミケは初めての船内をチョロチョロと見て回っていた。船内の壁には穴があり、大きなバリスタが設置されている。興味津々で見ていると、面白がって近くの水夫が試し撃ちをしてくれた。風を裂く音が響くと、バリスタの大きな矢が海の彼方へ飛んでいく。調理室を見に行くと、優しそうなおじさんにチュロスを作ってもらった。
砂糖がまぶされたチュロスを片手に、もにゅもにゅ食べながらミケの冒険は続いていく。大きな輪っか(舵輪)をクルクルする場所や――船長さんが居眠りしてたお部屋・・・お馬さんの部屋もあったし、おじさんたちが玉で遊ぶ(ビリヤード)お部屋もあったにゃ!!・・・好奇心いっぱいに目を輝かせ、ミケは楽しそうに船内を見て回っていた。
◇ ◇ ◇
出航から五日目――ヴィーラ号は追い風を受け、軽やかに進んでいく。海賊らしき船が接近することもあったが、結局交戦することもなく去っていった。海魔獣の襲撃もなく、ここまでは快適そのものな船旅が続いていた。
今夜はミケが「お泊りするにゃ!」とニーナの部屋に行ってしまっていて、ログは手持ち無沙汰をしていた。今までログとディアにベッタリだったが――船の中で、ログがどこにも行かない安心感だろうか・・・ミケは活発さを増していて、カティやニーナの部屋にもちょくちょくお邪魔している。居なくて困るのではないが・・・なんだか落ち着かない。
デッキに上がると、夜風を受けながらディアがワインを飲んでいた。潮風にたなびく長い黒髪――そこから覗く銀鱗と瞳・・・ログの心はディアの横顔に見とれていた。ログに気づいたディアはワインの瓶を軽く振り「飲まないかい?」と言ってきた。
「いつもミケを・・・ありがとう。」
「なんだい?らしくないねぇ。ふふっ――可愛いだけさねぇ。」
ディアは足元のボトルを渡すと、自分も瓶のままワインを流し込んだ。涼しい夜風が、ワインに混ざった甘いディアの香りを伝えてくる。ディアが言うまでもなく、ログ自身も”らしくない”と感じていた。妙にディアを女として意識してしまう。カミュの告白が引き金だろうか――まともに顔を見ることも、目を合わせることも出来ない。
「カミュに聞いたよ。アイツ――神妙な顔でさ・・・まったく。自分の事だけじゃなく、アタシのことまで話すなんてね・・・お節介なヤツさねぇ――。」
「すまない・・・成り行きとは言え――。」
ディアは、くすっと笑うと「謝る事じゃないさね」と静かに言った。心臓が早鐘の様に打ち付け、手のひらに汗が滲み出る。何を言えばいいのだろう――。
「なぁに、変に意識しなくていいさ。想いは人それぞれ・・・あんたもカミュも、アタシもね――。無理に決着付けるだけが想いじゃないさね・・・。」
「そう――だな・・・。」
波を切る音と、帆を包む夜風だけが響く。手が届きそうなほど星の瞬きが近く、明るい闇がログとディアを包んでいる。ログはワインをラッパ飲みすると、意を決した様に口を開いた。
「ディアに出会って――自分が感情を取り戻している様に感じるんだ。ミケの事も、ディアが居なかったら気持ちに気付いてやれなかった。もしもディアが居てくれなかったら・・・誰かを大切だって、一緒に生きていたいって思えなかったと思う。だから――。」
「だから?」
「――だから、ディア。私は君が大切だよ。ずっと君やミケと一緒に居られたらって・・・思ってしまうんだ。でもね、まだ自信がないんだよ。だからディア――。ミケの目を取り戻したら、もう一度・・・もう一度チャンスをくれないか?」
ディアは優しい目でログを見つめていた。星よりも綺麗な瞳――その美しさに見とれていると、ふいにログの唇に温かい安らぎが重なった。ログはディアの肩を強く抱き、しっかりと長い黒髪を捕まえた。
「アタシを待たせるんだ。覚悟はできてるね?」
「必ず抱きしめる。だから――その時は一緒に生きてくれ。」
ディアは返事をせず、再び唇を重ねた。
◇ ◇ ◇
――航海十日目。
ヴィーラ号は海魔獣と遭遇し戦闘になっていた。海に漂う巨大なクラゲに見えたが、それは海面に見えていたほんの一部で・・・浮かび上がった姿は、大きな貝殻状の体を持つ巨大なイカに見えた。
船長が言うには「シェルカトル」という海魔獣らしい。船体に張り付き、触手を伸ばして甲板の者を捕食するという。船体が小さい船であれば、転覆や、そのまま海中に引摺り込まれ破壊されてしまう。攻撃を受けると殻を利用して防ぎ、非常に厄介な相手だが・・・船長も水夫たちも異様に目をギラつかせ、シェルカトルの足を切り落としていた。
その理由は――非常に美味なのだ。どうやら・・・命がけでも逃がしたくないほどの珍味らしい。フィルドは食した事があるらしく、ディアが切り落とした足を大切そうにキープしている。ガルム旅団の面々も、暇に飽きていたらしく――イキイキと武器を振るっている。カミュに至っては、薄ら笑いを浮かべてバルディッシュを振るっているので――少し不気味だ。
ログも、ニーナがミケを見ていてくれるので、シェルカトルに長巻を振るっている。ドワーフ鍛冶が仕立てたこの「長巻もどき」にも、随分と慣れてきた。慣れてしまうと・・・以前の長巻よりも明らかに扱いやすい。まさに”料理”するように斬り裂いていく。
シェルカトルの殻も武具や装飾品の素材として高価らしく、仕留めたあとは殻ごと船に引き上げて解体していた。
その夜は船上パーティーになった。船長や水夫が目の色を変えるほどの味は――驚くほど美味だった。歯ごたえは強いが、噛めば噛むほど旨味が溢れてくる。ワインやビールとの相性も抜群だ。フィルドやスミノフ達は浴びるように呑んでいるし、ログも自然と手が止まらない。
ニーナとミケは飲めないが、料理長が作ったフライが美味しいらしく――口の周りはソースだらけだ。相変わらずミケのお腹はポッコリ膨らみ、それを料理長が満足そうに眺めている。
それから五日後――ヴィーラ号の眼前に港町が見えてきた。船旅の目的地である、ジャングリア王国の港町ジーマである。巡視艇が入港審査に訪れ、ヘンドリクスの査証を見ると入港を先導してくれた。ヴィーラ号はそのまま港に接岸し、係留の作業に水夫たちが慌ただしさを増す。
デッキでミケを抱えたログが「ミケ、故郷に帰ってきたよ」と言うと、ミケは「うにゃ〜ん・・・」と小首を傾げ、なんだかしっくりこない返事をしていた。




