毒薬の慈悲
フィルドが戻ると、状況の確認と救出決行に向けた話し合いが行われていた。シュタインヘーガー邸の見取り図を見ながら、ログ、フィルド、ガルムの精鋭がテーブルを囲む。
「ヘンドリクス殿の話しでは、ミケ達の監禁場所はここ――この半地下になっている座敷牢で間違いないじゃろう。ディア達が用意した抜け道は・・・ここ――この辺りに繋がる。ログ達の通されるであろう応接間は・・・ここじゃな。」
フィルドが見取り図に指を滑らし、一同に指し示していく。ログは、救出作戦の筋書きを思い出しながら、見取り図のルートを確認していた。
この作戦で肝となるのが抜け道の確保だ。ディア達は下水道を利用し、ヘネシーの土精霊の力を借りて、既にシュタインヘーガー邸の地下直前まで抜け道を確保している。あとは邸内へ繋ぐだけだが、今のままでは、音と精霊術で揺れが発生した時に衛兵に気付かれてしまうだろう。
この音と衛兵の動きを抑えるのが、ヘンドリクス達の蜂起だ。フィルドはヘンドリクスとウォーカーに働きかけ、今夜のうちにシュリヒテ旧市街のヘンドリクス邸で武装蜂起の決起を行う。
だが・・・これはフェイク――。あくまでも、そう思わせることで衛兵や子爵軍を引きつけることが目的だ。実際に衛兵や子爵軍が鎮圧に来たときには、和平交渉をウォーカーとフィルドが主導し、ヘンドリクス軍は交渉明けまで睨み合いを続ける手筈だ。子爵軍が武装蜂起に混乱した隙に、ディア達が抜け道を開通させミケ達を救出する。
子爵邸に残った衛兵たちは、スミノフとズブロッカが正門を襲い陽動する。ここもウォーカーの手勢が加勢し、ディア達やログ達が逃げ出すまでの時間を稼ぐ。
ログ達は配置が整ったらシュタインヘーガーの元へ行き、この武装蜂起があることを子爵に伝える。ガルムの精鋭同士で仲間割れをし、敢えてそれを知らせる事で――ログ達は子爵に協力する事を印象つける。作戦が始まったら子爵を捕縛し、抜け道を使って邸外へ連行するのだが・・・この時、ログ達は武器が持ち込めない。ナイフ1本も不可能だろう。
だが、この問題はヘンドリクスが解消してある。既に父との面会に行き、応接間に短剣を隠してある。短剣程度しか隠せないが、それでも無いより遥かに良い。ヘンドリクスは父を諌めると共に、不穏な様子を印象付け、武装蜂起の信憑性を高める狙いもある。
「ボストンは、あれで風精霊の召喚は見事なもんじゃ。歳じゃし多用は出来んじゃろうが、万が一の時にはミケ達の護衛になるじゃろう。とは言え――衛兵に敵うはずもない。ディア達が三人の命綱じゃ。」
「もちろんさね。」
「ログ達も、子爵はかなりの手練――剣がなくとも精霊術も使える。子爵の身柄を確保できねば、儂らはお尋ね者じゃからな。頼んだぞい。」
「ああ、分かった。」
「では、今夜決行じゃ!」
◇ ◇ ◇
明け方まではまだ遠い深夜、ログ達は子爵邸に行き面会を通させていた。衛兵には苦心したが、子爵まで話が通ると、そこからはスムーズに進んだ。
応接間に通された後――ナイトガウンに身を包んだ子爵が現れ、まるで予期していたかのように悠然とログ達の前に座った。
「ヘンドリクスが蜂起でもしたか?」
マッカランは頷くと、
「残念ながら、ご明察の通りです。我らの中にも加担する者がおり、我ら三人は子爵様へ忠誠を果たすため罷り越しました。」
「フィルドは裏切ったか――。」
「はい、残念ながら――。他の者と共に、旧市街のヘンドリクス邸で武装蜂起を企てております。ウォーカー軍も合わせて、五〜六百は居るかと思われます。」
シュタインヘーガーは予想していたのだろう。表情一つ変えず衛兵を呼び、出撃の指示を与えていた。衛兵が頷くと、子爵はすっくと立ち上がり「暫し待て」と告げて衛兵と出ていった。
ログ達は、この隙にヘンドリクスが隠した短剣を取り出した。素早く背中の服の下に隠すと、焦る気持ちを隠し――子爵が来るのを待った。
子爵は軍服に着替えて再び現れた。腰にはグリムの双剣が据えられ、共に現れた侍従らしきグリムも双剣を身に着けている。ログ達は状況の不利を痛感していた。手練の子爵が双剣を持っているだけでも状況は不利なのに――武装した侍従まで付いている。
「どうした?目に焦りがあるぞ、人間族。」
まるで、全てを見通した様に子爵は言った。侍従もグリム剣士なのだろう。隙のない面持ちで子爵の前に立っている。ログは計画の破綻を予感していた。
「これは・・・さすが子爵様。この人間族は、人質が恋しくてここに来ていますから――面従腹背の輩でしょう。ただ、あの娘が居るうちは裏切れません。」
「そうであろうな。」
マッカランが機転を利かせ、子爵はログに向けた冷たい殺意を解いた。侍従を隣に侍らせ、ログ達の前に座ると子爵は口を開いた。
「既にヘンドリクスの動きは掴んでいた。余は既に八百の兵を待機させていたのでな――愚かな奴らだ。あのフィルドも先が読めぬとは――。」
「あのような老害――今後は私が子爵様のお手伝いをさせていただきます。どうぞ、このマッカランを手足としてお使いくださいませ。」
マッカランの言葉に、子爵は満足そうに頷く。
――その時、彼方から時の声が上がった。続けて窓の外が赤く照らされ、遠くで炎の柱が上がり、爆発音や地揺れが始まる。子爵邸の正門付近でも、どうやら異変があったようだ。怒声と金属が当たる音が聞こえてくる。
(トントン)
「子爵様!正門を牛人族と馬人族が主導した傭兵が攻撃しています!」
衛兵が応接間に報告を入れてきた。どうやら、フィルドがスミノフやズブロッカを使い、陽動作戦をしているのだろう。子爵は侍従に「斬ってこい」と告げ、侍従は速やかに衛兵と出ていった。
――今しかない!!
ログ達は短剣を抜き、子爵へと襲いかかる。しかし――子爵の双剣は素早く短剣を弾き、三人は子爵を取り囲むように対峙した。
シュタインヘーガーは元々武功で爵位を得た程の手練、剣筋は鋭く、今の一撃でログの首筋とカミュの服に斬り跡が付いている。ほんの少し躱すのが遅ければ・・・ログの首は床に落ちていただろう。カミュも臓物を撒き散らしていたに違いない。
「余を舐めるな、下郎よ。」
子爵から放たれる剣気に、ログ達は二の手を出せずにいた。フィルドの陽動がなく侍従が残っていたら――闘いにすらなってなかったろう。
「これは・・・参りましたね。」
「エルフよ、謀りおったな。さぁ、余の首取ってみよ!」
子爵の剣がマッカランに伸びる。間髪入れずカミュが打ち込むが左手の剣で弾かれ、子爵の右手の剣がマッカランの肩に突き刺さる。
その刹那――ログの短剣が閃き、子爵の右手首を切り落とした。
マッカランは肩を押さえて後ろへ引き、片膝を付く。子爵は消えた右手首など気にもせず、心臓の動きと合わせるように血を流しながら、ログに斬り掛かってきた。
「余は――痛みも感じぬ!お前達人間族が与えた痛みに比べれば、身体の痛みなど心地よいくらいだ。人間族よ――お前の首を手向けに渡せぃ!」
麻薬が痛みを飛ばし、異常な身体能力を発揮させるのだろう。子爵は片腕ではあるが、ログは防戦一方だ。カミュも助太刀するが、それでも子爵の動きは衰えを知らない。
「子爵様、剣を収めてください!、お命を狙うつもりは無いのです。どうか止血いたしますから、剣を収めてくださいませ!」
「黙れエルフよ。余を拐かし譲位を狙っているのであろう。であれば、余の首を取りヘンドリクスに伝えるとよい。正道を求めた先は――絶望だとな!」
狂った様に剣撃を繰り出し、その都度子爵の流血が撒き散らされていく。既に立っていられる出血量ではないだろうが、精神力が狂戦士状態にしているのだろう。
外の足止めも――いつまでも続くわけではない。衛兵や侍従が応接間に戻れば、直ちにログ達は斬り殺されるだろう。もはや一刻の猶予もなかった。
「やむを得ぬ。子爵殿――許されよ。」
カミュの短剣が子爵の脇腹に突き刺さり「うぐっ」と子爵が唸る。
「ああ・・・クレメンタイン――。」
背後からマッカランが一閃し、子爵の首は床に落ちた。子爵の身体は力が抜けたように崩れ落ち、床は血の海が広がっていく。
ログは、なぜか子爵の最後の言葉が気になっていた。
恨みでもなく、怒りでもなく、女性の名前を呟いて死んでいく――きっと亡くなった妻の名前だろう。ならば本当に子爵は狂っていたのだろうか。いや――狂ってはいたのだろう・・・悲しみと悔恨と恋慕が、子爵を狂わせたのだろう。
「首を持って出よう。カミュ――傷を縛ってくれ。ログは首を頼む。」
「大丈夫か、マッカラン。ログ、急ぐぞ!」
ログは子爵の外套で首を包むと、カミュ達と抜け道を目指した。抜け道の入口にはハーパーが待機しており、ログの持つ赤く染まった包みを見て、三人が子爵の捕縛を失敗した事を察し「こっちだ、急げ!」と言って共に抜け道を進んでいった。




