ストッカーの憂鬱
――アルアテンザ大陸の中央南部に位置する、カリメ帝国。
西にジャルパ連邦、東にはスライマール教主国、北西に向かえばフレア共和国があり、北東にはジャングリア王国・・・と、大陸全ての国家と国境を接する巨大な帝国である。一神教の「太陽教」を信仰し、太陽教の教皇が皇帝を兼ねる「人間だけ」の国家だ。
太陽教では、太陽神「イスキ」を崇める《太陽正教会》を国家宗教としている。
太陽正教会の経典には、太陽神イスキと邪悪なる者たちとの戦い、太陽神の勝利と邪悪なる者の魔獣化、更には太陽神に背信した古代亜人達が「昏き魂」として永劫の苦しみに落ちた事、ゆえに愚かな亜人達から大地を取り戻す「神と人間の約束」が記されており、信仰心を忘れない人間こそが世界の正当な住人であるとした。
この信仰により亜人は魔獣と同じ「排除すべき敵」となり、人間至上主義は太陽正教会の教義と一致することで、カリメ帝国は政教一致の反亜人国家として、フレア共和国やジャングリア王国と戦争を繰り返している。ただし隣国のスライマール教主国と宗教上の対立があり、同じ人間至上主義国家同士でありながら紛争が続いているため、亜人国家とも国境地帯での紛争程度で停滞している。
このカリメ帝国とフレア共和国、その両国との国境にほど近い都市がジャルパ連邦のクエルボである。ジャルパ連邦は遺跡戦争以降、中立政策を表明しており、クエルボは交易都市として両国の文化、物資、情報が集まっていた。
このクエルボから、美しく装飾された馬車と、それを取り囲む騎兵隊が出発した。馬車に乗っているのはクエルボ都市長のストッカーである。一行が走り出した街道は、国境の町サウザへと続いている。このサウザを領有しているのは――フォルマウス子爵であった。
馬車の中のストッカーは、陰鬱な面持ちで侍従に語りかけた。
「また金の要求だろう。ふん!払うしか無いのだ。私が行かずとも、お前が聞いてくれば良いではないか。何か理由を付けて断れないだろうか・・・。私は、あの男の顔を見たくないのだっ!」
「ストッカー様、心中はお察ししますが・・・やはり、あの書状の内容ですと――ストッカー様ご本人が行くしか無いと思われます。」
フォルマウスからの書状――不遜な内容だった。慇懃無礼な文面に、断れないことを分かった上での招待じみた招喚。そこには爵位が上位であるストッカーを、明らかに見下した意識がにじみ出ており、陰険な下心が露骨に見えて・・・毎度ながら不愉快この上なかった。
今回呼びつけてきたのも、おおよそ想像はできる。カリメ帝国の貴族でも招待した食事会で、自らの影響力を誇示するために利用するのだろう。
冗談めかしてストッカーをこき下ろし、自分より上位の爵位を持つ相手がご機嫌を伺う姿を見せる――フォルマウスが好む手段だ。そして爵位の価値が不変と思っている貴族にとって、非常に有効な手段でもあった。
ストッカーは貧しい男爵家の出身だった――。
懸命に努力し、上位貴族のご機嫌を伺い、金も誇りも・・・求められれば「妻の貞操」さえも貢ぎ――子爵位を得た。戦場で命をかけ、部下を使い捨てにして飛竜兵団長まで出世した。いつも周囲を言い包め、自分さえも言い包め、やっと伯爵まで勝ち上がってきたのだ。いいさ、泥などいくらでも飲んでやる。好きなだけ踏みつけるがいい。この地位と富さえあればいい!――はずなのに。
――今更、誇りもクソも無いが・・・。
――あのゲスな顔、腐った目、吐き出す不快な言葉の数々・・・。
ストッカーは馬車の外を眺めながら「吐き気がするのだよ・・・」と呟いた。
◇ ◇ ◇
サウザの街の小高い丘に、フォルマウスの屋敷が建っている。クエルボの都市長邸よりも立派な建物の前には、どれも豪華な装飾が施された馬車が並び、その庭先まで優雅な音色が届いている。
屋敷の中では、ジャルパ連邦とカリメ帝国の貴族たちがパーティーを楽しみ、その中にストッカーの姿もあった。ワイングラスを持って招待客たちと歓談するストッカーのもとへ、小柄で丸顔の愛想が良い男が近寄ってきた。
「これは、これは!クエルボのストッカー都市長殿!この様な粗末な屋敷にお越しいただき、ワタクシ光栄の極みです。ご機嫌いかがですかな?」
「おお、フォルマウス子爵。素晴らしい夜会にお招きいただき、今宵の美酒に酔いしれておりました。どれもこれも素晴らしいお饗しですな。感動しておりますぞ。」
小柄なフォルマウスの、愛想が良い顔に一瞬陰険な影を宿す。
「いま少し、資金を援助してくれる大身の方々が居れば、もう少し趣向を凝らしましたが・・・民の徴税を高める訳にもいきませんからなっ!まぁ、小領主の悩ましい所です。」
「ご謙遜を・・・。」
ストッカーは、さっさと引き上げたかった。この夜会の資金も、所詮は自分からむしり取るのだ。なにが民の徴税だ――クエルボの税で賄っているだけであろうがっ!・・・と、膨れ上がる嫌悪感を飲み込み、せめてストッカーが吐き出せた言葉だった。
「子爵殿は民思いの領主ですな。」
白髪の貴族を中心に、三名の貴族がわりいってきた。服装などから、中心の白髪がカリメ帝国の侯爵位であり、取り巻きは伯爵位であろう。その態度からは、明らかにフォルマウスと懇意であることが伺える。
「これは!バドワイザー侯爵様。ご機嫌麗しゅうございます。こちらは、クエルボのストッカー伯爵様でございます。・・・ささ、伯爵さま。侯爵様の御前ですぞ!」
――ああ、嫌だ。
既に、フォルマウスの台本が進んでいるのだ。望まれた演技をしろと、フォルマウスの目が語っている。バドワイザー侯爵は、明らかにストッカーの出方を楽しみにしており、残酷なイジメを楽しむ少年のような冷たい光を瞳に宿していた。
「これは、ご尊顔を拝謁することを光栄に存じます。バドワイザー侯爵様。改めまして私はクエルボのストッカーはく――。」
ストッカーの言葉を切るように、バドワイザー侯爵が口を開いた。
「よいよい。ところでストッカー殿。これほど民を思う領主に支援すらしないとは、ジャルパ連邦の貴族の名折れですぞ!見れば立派なお召し物を持っておられるようだが――民を思う気持ちは持っていないと見える。我が国では、太陽教の下で万人幸福を願うのが貴族の務めですぞ!」
「は・・はぁ。それは・・・その――。」
「ふむ。言い訳――ですかな?見苦しい。まったくジャルパ連邦では「ノブレス・オブリージュ」が浸透しておりませんな!少しはフォルマウス殿を見習うといい。生まれは平民でも、フォルマウス殿は素晴らしき領主ですぞ!」
「侯爵様。もったいないお言葉ですが、それではストッカー様がお辛うございます。ここは、今後の両国間での友誼も含めて、穏便にご容赦くださいませ。ストッカー様は私の大恩人にございますっ!不祥フォルマウス、伏してお願い申し上げます。」
「うんうん、フォルマウスよ。そなたは、恩を忘れぬ忠義の者よの。なに、私はそなたの為に口を出しただけよ。そなたが頭を下げずともよい。ストッカー殿、行き過ぎた言葉があったな。忘れられよ。」
「はっ・・・。」
明らかに、フォルマウスはカリメ帝国に内通している――が、誰が信じようか。
きっと外交上の・・・と言い、カリメ帝国も事実を湾曲するだろう。そして自分も既に――その仲間に巻き込まれてしまったのだ。もはや逃げられない。
――真実は「言った者勝ち」なのだ。
――生き残るには「卑怯」が正しいのだ。
ふと、馬鹿正直に生き、自らがフォルマウスと嵌め落とし、汚名を着させられて表舞台を去っていったログ=リヴァルを思い出した。諦めきったログが「私は最後まで筋を通す!」と言って机を叩いた時、ストッカーは残念そうに「その様に生きれる君が羨ましい」と言った。だが心のなかで「バカな男だ」と笑っていた。
――それなのに。
いま、なぜかログの生き方が正解に思えて仕方なかった。




