過去と後悔
「見たところ、人間に近い姿をしてるが黒い翼も生えててて人間でもないな。それに、この気配は……」
緑の髪の大男は顎に手を当てて、思案している。しかし、その姿は角が生えていたり、灰色の肌だったり、人間に近いとは言えど恐ろしいものだった。以前いたところでは、白い羽に、美しい容貌の者たちばかりだったのだけれど。
「あぁ、オレが怖いか? それならこれはどうだ?」
大男の姿が、人間に変ってゆく。
「本当はこっちのほうが気に入ってるんだけれどな。これなら怖くないか?」
私はこくり、と頷いた。
「ハハハ、よかった。オレはベルゼブブってもんだ。お前、名前は?」
「義理のお父さんとお母さんがつけてくれたのは、エリィ。昔のことはあんまり覚えてないの」
そう言った瞬間、私のお腹が盛大に鳴った。
「おお、腹減ってんのか。何日ぐらい食べてないんだ?」
「一週間くらい」
「そうか……ならちょっとついてきな。いや、目立つな、このままだと」
そう言ってベルゼブブはどこからか大きな木の箱を持ってきた。それでも、ベルゼブブには小さく見える。
「お前、これに入れるか?」
「たぶん」
箱はちょっと臭くて嫌だったけれど、たぶんこの悪魔は信用していいと直感が告げていた。
「持ち上げて。足が届かない」
ベルゼブブは私を軽々と持ち上げると、箱の蓋を閉めた。
「お前さん、見たところ人間の6、7歳ぐらいといったところか。自分の年は覚えてるか?」
「ううん、でも見習いって言われてたのは覚えてる」
「そうかぁ」
そう言われて、箱が持ち上げられたような揺れが起きた。
「ちょっと魔王城の俺の部屋まで行くからな、いい子にしてろよ。美味しいメシ食わせてやる」
「は?」
話を聞いていたルシファー様がコーヒーを飲む手を止めて、戸惑いともいえぬ妙な声をあげた。
「どうかしましたか?」
「お前の話を聞いていると、お前が天使見習いだったように思えるんだが」
「えへ、私もそうなのかなーって、話しながら思いました。だって、魔界に白い羽の悪魔なんていませんから」
そうなのである。魔力のスペックの低さ、魔界に合わない生き方。極めつけは、淹れるコーヒーのマナの量。天使はエネルギーの集合体と言っていい存在で、それならコーヒーにマナが混じるのにも説明がつく。
「ということは、お前は堕天使か」
「そういうことになっちゃいますね。天使未満だったからか、魔法のほうはからっきしですけど」
ルシファー様の様子が喜んでいるように見えて私は疑問を覚える。
「おうなんだ、エリィ、昔話か? それとあんたは堕天してきたルシファーと言ったか」
調理が一段落した師匠がこちらにやってくると、強引に話に加わった。そのベルゼブブに、ルシファーは小声で話しかける。
「ベルゼブブ、単刀直入に聞くが、エリィは堕天使か?」
「あぁ、ここだけの話だが、天使として確立する前に天界から落っこちてきた天使見習いだと思うぞ」
「やはりそうか……」
肘をカウンターにつけて、組んだ両手に顔をうずめてうなだれたルシファー様を私は心配したが。
「エリィ、それなら尚のこと、俺の屋敷に来るべきだ」
顔をあげたルシファー様は開口一番そう言った。
「な、何で……!?」
「俺の屋敷では、堕天使を積極的に採用している。お前も仲間がいたほうが心強いだろう?」
「う。ですけど……」
「それに巷では堕天使狩りも終わっていないからな」
容貌の美しい堕天使たちは、愛玩用として売りさばかれることもあった。ルシファー様に天界からついてくるほどの天使たちなら魔力は十分だったが、300年前の天界大戦で傷ついた堕天使たちは魔力残量が少なく、狩られることも少なくなかった。
魔王であるサタン様は公には堕天使狩りを禁止しているけれど、取り締まりは緩やかなもので実際は堕天使に価値観を変えられた、特に美的感覚を否定された悪魔たちが主体となって起こしていることだ。
実際、私自身も何度か危ない目には遭っている。でもそのたびに、師匠に教わったことで切り抜けてきた。それに何度か奇跡的に魔王城の兵士が来て免れたなんてこともある。
捕まった堕天使たちは、薬で魔法や魔力を奪われて、愛玩用として売りさばかれる他、暴行など残虐な行為をされるそうで、私自身も堕天使だとわかったら何をされるか分かったものではない。
「エリィ、わかってくれないか。お前が大切なんだ」
「おうおう、オレもいるってのに熱烈に口説くねぇ。悪いが、エリィはその気はないみたいだぞ」
二人の視線が一気にこっちに向く。
し、心臓に悪い。
「はい……ルシファー様、お屋敷になんて入ったらそれこそ堕天使だとばれてしまいます。それに、私はここでひっそり暮らしていたいんです」
ルシファー様への恋心は嘘ではない。でもそれならなおさら、ルシファー様にはそれ相応の釣り合う方がいるだろう。私のような半端ものではなくて。
それに、またアスモデウス様の事件のようなことが起きる懸念もなくなったわけではない。
「だから、お話を受けることはできません」
「ハハハ、振られちまったな」
師匠にあおられてもルシファー様は、諦めていないようだった。
でも、私はこの時、話を受けておくべきだったと後悔することになる。




