嫌がらせの始まり
アスモデウス様の襲来から数日が過ぎたとある日。
ルシファー様はカウンター席で満足げにモーニングのコーヒーを楽しんでおられるようだった。今日は水色のシャツに明るめのグレイのベスト姿。その装いは爽やかで、もうそろそろ初夏だということを思い出させてくれた。つい私は見とれていたが、ふと疑問に思っていたことを口にした。
「そういえば、あの時はなんですぐ駆けつけてくださったんですか?」
マギーさんに出禁にされたアスモデウス様は、あれから店の近くにも来ていないようで安心したがその平穏が逆に不気味だ。
「コーヒーを早くに飲み終えてしまってな……」
ルシファー様が咳ばらいをして、照れ隠しをしているのがわかる。私はその様子が可愛らしくてくすりと笑ってしまった。
「だが、危険な時はそのブレスレットがあっただろう?」
「あ……」
そういう時に使うものだったのかとようやく理解する。防御魔法か何かが込められているのだろう。
「わかりました、危ないときは使わせていただきますね」
そう答えると、ルシファー様の機嫌が一層良くなった。
「そろそろかしらネェ……」
マギーはカウンターの二人を見やりながら、思案を巡らせた。あの執念深い妹が何もしないとは考えられない。自身のピンクの髪をつまんで、はぁ、とため息をついた。似たのはこの髪色だけ。傲岸不遜が悪魔になったような妹を、マギーは苦々しく思っていた。
「あれで少しでも可愛げがあれば、ね」
考えても仕方ない、と最終的には思考を放棄して注文のオムライスを作りにかかった。
「うっす……」
「おはよう、アレウス君」
モーニングの時間も終わり、ルシファー様も帰ってしまった後、アレウス君が出勤してきた。アスモデウス様の事件の後から、また以前のようなアレウス君に戻ってしまった。目も合わせてくれない。
アスモデウス様の洗脳はルシファー様が解いてくださったので、もう私のことも嫌いじゃないはずなのに。
そう言えばあの時、どさくさに紛れて私の事、可愛いって言ってた!?
少し頭がフリーズしたが忘れることにした。忘れたほうがいいこともあるので。400年生きた知恵だ。
「エリィ、8番卓にチーズハンバーグ持って行って!」
その時ちょうどマギーさんからお声が掛かった。店内はモーニングも終わったため、お客さんはまばらだ。
「鉄板が熱いから気を付けるのよ」
「はい!」
これ、躓いたら悲惨だなぁ。
そう思いながら運んでいたその時。
8番卓の前の7番卓からさっと足が差し出されて、盛大にコケてしまった。デミグラスソースは飛び散り私に降り注ぎ、鉄板は9番卓まで飛んでいくわ、ハンバーグは注文者の顔に張り付くわ、大惨事だった。
「あははっ、いい気味だわ!」
7番卓の男性客の姿がアスモデウス様へと変貌し、醜く歪んだ笑顔へと変わる。
「アスモデウス! アンタやっぱり来たわね!」
マギーさんがアスモデウス様を一喝するが、私は茫然としていた。
「魔力探知で扉を守っても、魔力抑制剤と変身薬さえあれば、こんなこといとも容易いのよ!」
そう言って、アスモデウス様は小瓶を取り出して中の液体を飲み干すとすぐに消えた。
「アイツ、魔力回復薬使って逃げたわね!」
結局、ランチ営業は急遽休むことになった。また、あんなことになったら、営業妨害も甚だしい。
「まだソースの香りがする気が……」
私はお風呂に入って来て店内の片づけを手伝うも、自身からソースの香りがする。
「頭からかぶったものね、片づいたらもう一度入ってらしゃいな。それにしてもアレウスはどこに行ったのかしら?」
「アレウス君なら、ゴミ出しに行くって言ってました」
「そう……アスモデウスがまた何か仕掛けてこないといいのだけれど」
一方そのころ、ゴミ置き場では。
「よしっと」
アレウスがゴミをまとめていた。
あのおばさん、エリィにまたちょっかいかけやがって。オレは守れなかった。この間の時も、結局あいつがいいとこ見せたし。
思わず口からため息が出る。
「やぁねぇ、ため息なんてついて」
この声は。
「お前……!」
気が付けばアスモデウスが背後に立っていた。




