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第四話

 お父様の執務室から出て、私はすぐに自室へ戻った。


「外出するわ。お仕事を受けたの」

 

 湧き上がってくる感情を抑え、受けた仕事に何にも思っていないという顔をして、侍女に身支度の手伝いを頼んだ。

 

 昨晩のドレスもそうだけど、外出着も選ぶほど持っていないから侍女も迷わない。さっと服を持ってきて、さっと着せる。

 次に髪の毛だと誘導されて椅子に座る。私が受ける仕事と言えば書類関連なので、髪の毛が邪魔にならないよう一本の三つ編みにしてくれた。

 お義母様の目であり耳でもある彼女も、仕事はきっちりこなしてくれるからありがたい。なんだかんだとラインは守られているように思える。


 渡された手鏡をのぞき込むと、細くて小さな蛇が集まって、黒い大蛇が生まれていた。

 短時間で私の長い髪を三つ編みにする手腕はすごいと思う。私ではすごく時間がかかるし、こんなに上手には編めないだろう。

 そして、そんなにょろにょろ蛇を眺めていたら、気が付いてしまった。

 

 まるっと耳が出ている。

 三つ編みだから当然だけど、これはつまり耳飾りが必要だということ。

 あの場所で、宝石を選ぶ必要がある。ベアトリスがいるかもしれないあの場所で。

 

 また欲しがられるだろうか。

 考えるだけで気が重くなる。ため息が出る。

 

 まぁ、いいわ。そうなってもいいように、地味なものにしよう。

 見られてもいいように。欲しがられないようにしよう。


 それに、いない可能性だって充分にある。

 彼女は私と違って社交的で、あちこちのお茶会に呼ばれる人気者だから、学校が休みの日はだいたいどこかへ出かけている。

 この時間ならすでに外に出ているか、いたとしても出る寸前だろう。

 どちらにしても、身支度は終わっていて、ドレスルームからは出ているはず。

 そうよ。そうに違いない。

 

 装飾品以外の準備が終わった私は、侍女の先導でドレスルームへと向かった。歩いてすぐの場所だ。

 神様に願い、祈りながら開かれた扉から中を覗くと、目があった。

 宝石を手に持ち、こちらを見ていた。

 私の姿を認めると、ぱあっと無垢な花が咲いた。

 

「お姉様。お会いできて嬉しいですわ」

「ありがとう。私もよ」

 

 にこにこしながらこちらに駆け寄ってくるベアトリス。

 夏のような眩しい笑顔に、少し気圧されてしまった。

 周囲の温度が高くなったように感じ、少し息苦しくなる。

 ふだん室内に潜んで過ごす私とは、相性があまり良くないのだろう。返す微笑みもぎこちなくなってしまう。

 

「……あら? お姉様、お出かけですか?」

 

 珍しく外出着だと気付いたのだろう。不思議そうに首を傾げて、ベアトリスが私を見上げる。

 握りこぶしひとつ分ほど私より小さな彼女は、その仕草も可愛らしかった。

 声も、清らかで愛らしいと評判だ。十人並の外見で、全てが地味な私とは正反対。

 正反対と言えばお義母様は美人なのに、この娘はかわいい系だ。それとも将来はあんな風に、きりりとした美人になるのだろうか。

 将来が見てみたい気もするけれど、そこまでは付き合いたくないかな。

 

 あ、いや。隔意があるわけではない。これまで色々な物を唐突に“差し上げる”ことになってきたけれど、そこにひとつの悪意も見えたことはない。

 純粋に、私と出会って嬉しく思い、私の持つ物がキラキラ輝いて見えて、欲しくなる。

 同じキラキラを共有してみたい。そんな感じ。

 少なくとも私にはそう見えているから、隔意を持つまでには至らない。笑顔でありがとうと言われると、悲しさはあるけれど、仕方ないなと思ってしまう。

 もしこれが演技なら、それはそれですごい。ベアトリスは国一番の女優になれるだろうし、諦めるしかない。


 だから私は今日も友好的な態度で接するのだ。

 我ながらチョロいとは思いつつ。

 

「ええ、そうよ。これからお仕事なの」

「家ではなさらないのですか?」

「あちら側から持ち出せないらしいの」

「ハビ様が午後からいらっしゃるのに?」

「えっ……」


 衝撃で目を大きく見開いてしまう。目玉がこぼれ落ちてもおかしくはないくらいに。それくらい衝撃だった。だって聞いていない。

 そうか。だからベアトリスは不思議がっていたのだ。

 でも、だったらベアトリスが知っているのはなぜ?

 

「昨晩のパーティーで教えて下さったのです。てっきりお姉様は前からご存知だと」


 まるで、夜は寝るものですよ、みたいな言い方で私の疑問に答える。そりゃそうだ。ベアトリスだって私より先に伝えられたとは思わなかったろう。

 でも私は、その予定を教えて頂いたという記憶が、どれだけ頭の中を探し回っても見つからない。

 愚かにも忘れてしまったのだろうか。

 迂闊にもメモを取らなかったのだろうか。


 頭の中で焦りが雑草のように次々と生えてくる。どうにかして草抜きをしなければならない。落ち着いて、冷静に。

 まずは振り返り、侍女を見る。目が合うと彼女はすぐに首を振った。

 ひとつ草が抜けた。彼女は仕事に関しては信頼がおける。つまり彼女が同席する場では、この話は出なかったのだ。

 

 ならば、ふたりきりの時、となるだろうが、これはどうなのだろう。

 改めて記憶をたどってもやはり思い出すことはないし、そもそも結婚前のふたりが他に誰もいない場所に身を置くだろうか。


 なら、いつ決まったのだろう。

 早めに確認し、もしこちらに非があるなら謝罪しなければならない。

 ベアトリスが言うには今日の午後からいらっしゃるとか。

 ならば午前中に済ませるべきか。

 しかし、商売でお忙しいハビエル様に、お目通りできるだろうか。忙しいから我が家への訪問を午後にセッティングなさったのではないか。

 

 小さくため息を吐く。

 仕事がしたい。

 王家直属の部門から依頼をもらうなんて幸運を逃したくはなかった。

 学校を卒業したらすぐに結婚するものだと思っていたのだけど、ハビエル様のご都合が合わずに延びている現状がある。

 家でぶらぶらしているのは申し訳ないし、お義母様もよい顔をなさらない。

 代筆業でもしようかと思っていたところだった。

 翻訳なら謝礼金もそれなりに出るだろうし、それを家に入れたらお義母様も納得されるだろう。

 それに、状況が許せば珍しい本だって読ませてもらえるかもしれない。

 本当なら、このまま家を出るところだったのに。

 

 ハビエル様には伝言を残すだけにしようかと、考えなくはない。

 でも、それはだめだ。さっき、お父様からハビエル様をないがしろにするなと注意を受けたばかりだから。

 昨晩のことがあって、その翌日にまたやらかすのはさすがに許されないだろう。


「ところで、ハビエル様はどのようなご用でいらっしゃるのかしら」

「さぁ……でも、お姉様とお会いになるためでは? 婚約者に会うのに理由なんていらないと思います」


 純粋という光で全身を輝かせる妹。眩しい。

 でも私たちは、用事がないのに会うほど、心を通わせているつもりはないのだけれどね。


 ◇ ◇ ◇


 ハビエル様がいらっしゃったのは、昼下がりのころ。

 随分と待ってしまった。これなら午前中だけでもお仕事に行けたのに、と残念に思う。

 だけど、そんなことはおくびにも出さず、お待ちしておりましたと言うのが婚約者の役目。

 屋敷の扉の前で、なぜかベアトリスと並んでお出迎えする。

 

「イネス。出迎えはありがたいが、体調は良いのか?」

「おかげさまで。ご心配をおかけしました」


 あ、よかった。私の知っているハビエル様だ。

 昨晩のハビエル様はやはりパーティーの雰囲気にみんなが酔ってしまったのだろう。そうでなければあんな。

 婚約者を差し置いてその妹と仲良くするはずがない。


「次から体調が悪い時は言ってくれ。ベベに代役を務めてもらうから」

「えっ?」


 ドキリとした。急激に身体が冷える。夏が来ようとしているのに、この寒さは何なんだろう。

 ハビエル様は商売人なのに、なぜか道に迷った旅人のような顔をされた。

 

「あ、ああ。いや、ベベも同伴者がいないままパーティーに出るのは心苦しいだろうからな」

「ベベって」

「ん?」

「ベベってお呼びになるのですね。私ではなく、妹を愛称呼びされる」


 この時、私がどんな顔をしていたかは分からない。

 そんなことよりも、この人も私に対し、貴族社会の常識を否定するのかと悲しくなった。

 この人も信じられないのか、と。


 お父様は長女の私を嫡女として扱わず。

 お義母様は継子の私を追い出そうとする。

 妹は私の物を収奪する。

 婚約者は妹と親しくする。


 私は、慎ましやかに生きてきた。

 それは、私が先妻の娘だからだ。

 お母様が亡くなって十五年ほど過ぎた今、屋敷でお母様を知る者はいない。みんな暇を出された。

 少しずつ身を削られるような感覚の中、私は黙っていたのに。


 どうして周囲はそっとしておいてくれないのだろう。

 どうしてごく普通の貴族令嬢として生きてはいけないのだろう。


 あの場所へ行きたい。

 あそこなら、あの人なら、そっとしておいてくれる。優しく、少し距離を取って、見守っていてくれるはず。

 貴族令嬢として、私を尊重してくれるはずだ。


 少しでも。

 少しでも早く。

 本の中へ。インクの匂いがするあの場所へ、行きたい。

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