肉のないシチュー
豆とジャガイモだけだった。
それを潰して、鍋に放り込み、煮詰める。
そして、できたマッシュとスープの中間。
儲からないダンジョンの弱小ギルドに付随する食堂ではそれをシチューと呼んでいた。
コックのイェニンはできるだけのことはした。小麦粉を焦がして風味をつけ、塩と胡椒は粗利益率が許す限りの量を入れた。
床を槍の石突きで突くような奇妙なリズムの足音がきこえてきた。ギルド長は三十五歳の誕生日を明日に控え、冒険者生活から足を洗おうと思ったところで、ダキアンビーストに右足を食いちぎられた。膝から下には当時のパーティがカンパして買ってもらった不格好な義足がついている。調理場に入ってきたギルド長は相変わらず不活発な顔をしていて、顔のなかで唯一青白くなっている鼻を見ていると、鈍感な体液が低温のまま、ずるずると引きずられている音がきこえるようだった。
ギルド長は毎朝座る、調理場出入口の樽に尻を浅く乗せた(深く座ると立つのに苦労するのだ)。そして、毎朝毎朝、双子のように似通った日々の始まりを告げるようにたずねるのだ。
「今日のメニューは?」
「シチューだよ」
「今日もかよ」
「今日もだよ」
「肉は? 今日も入ってないみたいだが」
「いや。コルヴァンが持ってくることになってる」
「いつ?」
「昼までに」
「本当に持ってくると思うか?」
「さあね」
「昼のいつ頃?」
「知らないな。昼としか言われてない」
ギルド長は頭の後ろを掻きながら、厨房を出ていこうとしたが、急に何か思い出したようで、右の義足を軸にくるりとまわって、イェニンへ体を向けて、たずねた。
「あいつに金を渡したのか?」
「誰に?」
「コルヴァンだよ」
「半分だけ渡した」
「払うべきじゃなかった」
「本当は全額前払いって言われたけど、死ねこのクソバカ野郎って言った。それでも泣きつくし、市場で信用がないから、せめて半額を先にもらわないと買えないって言った」
「でも、払うべきじゃなかったよ」
「じゃあ、どうしろっていうんだ? あんたが代わりに買いに出るのか? それともおれか?」
「でも、払うべきじゃなかったよ」
「あんたときたら、そればっかりだな。ほら、行けよ。新参者どもが登録に来たぞ」
ギルド長が未成年の駆け出しパーティ相手に登録簿を開いているあいだ、イェニンは考えた。やつの言うことはもっともで、おれだってコルヴァンを信用するつもりはない。だが、他に肉を手に入れる方法があるなら教えてほしいものだ。そうしたら、喜んでコルヴァンのケツを蹴飛ばして追い出してやる。
水気が飛んで、シチューが固くなりすぎると、水を加えて、塩をふった。胡椒は高いのでこれ以上はやめておいた。
「ふざけてるよな。まったく」
食材と助手とまともな調理器具があれば、よそのギルドのように今日のAランチは鴨のソテー、Bランチはシーフードでございます、なんて贅沢もできる。だが、金がなくて、人がいなくて、穴の開いた鍋を何度も鋳掛屋に出しているようなこの食堂ではどうしようもないのだ。世界一のコックでも虚空から肉を生み出すことはできない。そういうお願いは神にすべきなのだ。
大聖堂が正午の鐘を鳴らす。イェニンは相変わらず鍋をかき混ぜていた。コルヴァンはまだ来ない。
干し肉の切れ端でも見つからないかと食料庫を念入りに探すと、少し古い葱とだいぶ古いパンが見つかったので、葱はバラバラに刻み、パンは固くて切れなかったので、そのまま鍋に放り込み、ふやけさせてから溶かすことにした。
その大きな丸パンを何とか豆とジャガイモでつくった沼のなかに押し込んでいると、ギルド長がやってきた。
「パンは肉とは言わんぞ」
「知ってる。でも、これでコクが出るんだ」
「コルヴァンは?」
「まだ来ない」
「逃げたんだよ、きっと」
「どこに?」
「サンヴァル島」
「なんでサンヴァルなんだ?」
「わからん」
「口から出まかせ言ったな?」
「肉の金を持ち逃げするよりはいい」
「もう少し待て」
「どのくらい?」
「最初のパーティが戻ってくるくらい」
最初のパーティが戻ってきて、クエスト達成の証であるファイアドレイクの首をカウンターに置いた。
コルヴァンは戻ってこない。
ギルド長がまた入り口にあらわれて、樽に座った。
「パーティの、最年少の剣士、女の子なんだけどな、かわいそうに二年前、剣を持ち逃げされたんだってよ、鍛冶屋に」
「何が言いたいんだ?」
「別に」
「わかった、わかった。わたしが悪うござんした。コルヴァンは逃げたよ、あのくそったれ。見つけたら、ふたりであいつの胴体を首だけ残して手足を引っこ抜いて、あんたの義足にしてやろうな」
「泥道歩いてやる。リューンの外周を百周して、ボロボロにしたら、教会の慈善バザーに売り飛ばしてやる」
「でも、まあ、もうちょっと待ってみよう。仮に金を持ち逃げされたとしたら、もう、これ以上ひどいことは起こらないんだし。期待するだけならタダだ」
結局、その夜は戻らず、イェニンは弱小ダンジョンにふさわしい、豆とジャガイモのシチューのような何かを出した。当然、文句は出たが、値段が格安だから、誰も宿を変えようとは思わなかった。
「ひょっとすると、あいつ死んじまったのかも」
イェニンが汚れた皿を集めていると、ギルド長がそんなことを言った。自分でも信じているのか怪しげで、うつむいて、自分の義足の、長いこと地面を踏んで、すっかり加工の禿げた汚れた木目を目でなぞっていた。
「つまり、肉を買ってこようとは思ってたわけだ。泣けるね」
「明日、近所の騎士団詰め所に行ってこいよ」
「なんで、おれが」
「おれは足が片方ないし、食い残しのシチューが大量にあるんだろ。だから、行ってこいよ」
「行ってどうするんだ? 死人から払った前金取り立てるか? バカバカしい」
イェニンは汚れた皿を重ねて、調理場に戻った。その後ろをバッタンバッタンと大きな足音がついてくる。
「もしかしたら、ポケットにそっくり残ってるかも」
勘弁してくれ、とつぶやき、ギルド長と向かい合った。
「あんた、どうしたんだ? どうして、そんなに感傷的なんだ? コルヴァンは死んでないし、死んでたとしても、そばにいるやつが取って逃げてるよ。ここはリューンなんだぞ」
「だが、絶対ないと言い切れない」
「生きてるし、逃げてるよ。あの畜生は」
「とにかく騎士団詰め所に行ってくれよ」
「なんで?」
「恥ずかしいな」
「いいから言っちまえよ」
「それがな、今日は……やっぱ、やめた」
「いいから言えよ。言ったら詰め所に行ってやる」
術中にはまったな、とうんざりしながら、汚れた皿をシャボン草の茎が浮かぶ桶に放り込んだ。
「それが、今日は、おれが右足をなくして、ちょうど二十年なんだよ」
「それが?」
「それだけだ。ちゃんと詰め所に行ってくれよ」
「やだよ。もっとすごい秘密があるのかと思ったのに」
「約束しただろ」
「やだよ。行かないよ。面倒くさい」
そう言いながら、イェニンは、明日、結局、おれは騎士団の詰め所に行くんだ、と思い、海綿のスポンジを握りつぶすように絞った。




