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吟遊詩人

 明日までに劇評を書かなければいけなかった。

 わたしは以前、酷評すべき作品を絶賛し、絶賛すべき作品を酷評した。次はなかった。

 その劇について、わたしは何の感想も抱かなかった。わたしは観客たちの表情からヒントを読み取ろうとしたが、感動していると思えば感動しているように見え、いらついていると思えばいらついているように見えた。

 それでわかった。わたしのなかのあらゆる魂が死に切ったことを。

 わたしは三流の著述家だった。著述家であることがわたしを縛った。まるで罪のようだった。著述家にふさわしい一軒家に住み、著述家にふさわしい家具を持ち、著述家にふさわしい蔵書を持たなければいけなかった。だが、全て借り物だった。執筆の机も家具付きの家に含まれていた。家賃を三か月滞納していた。差し押さえ役人たちはもうすぐそこにいる。

 わたしは羽のペンを手に凍りついていた。劇の話の筋は憶えていなかった。あまりにもありふれていて、これまで見た様々な物語と溶け合っていた。そのなかにはわたしの生活もまざっていて、全てが色を失っていた。

 そうだ。これまでの物語と溶け合っているなら、劇評もまた溶け合ってもいいではないか!

 わたしは自分の書いた劇評を書類置き場から引っ張り出し、全てをバラバラにして、そして繋ぎなおした。

 すると、あら不思議! 絶賛とも酷評とも、どちらともとれる劇評が出来上がる。わたしは完成させた劇評を牛革の書類ハサミに入れて紐で縛ると、明日の朝一番に劇場に届けることにした。少し余裕があると、今日届いた手紙――どれも差し押さえ警告だ――を見ることができるようになった。家賃の他にも、料理屋や文具店、書店に未払いがあった。そうした催促の手紙の束から塩のように白い封筒が落ちた。

 見ると宛名にはこうあった。


   王都リューン ギレルレイ区 三十六番地

   フラモア・レメド様


 そして、裏には差出人の名がこうあった。


   キール・アスナルド


 キールは若いころ、ダンジョンを探索したパーティのメンバーだった。わたしは吟遊詩人バードとして参加した。あのころのわたしは唄をもって、怪我を癒すことができた。わたしが歌うと風がともに歌った。森で一番臆病な小鹿もわたしのリュートをきくと、近づいてきて、鼻をわたしの膝に押しつけてきた。

 ほんの十年前の話だ。たった十年で、わたしは三文文士に落ちたのだ。

 わたしは封を破って、手紙を読むことにした。キールはだいぶ字がうまくなったらしい。最後に見たキールの字はギレルレイ地区で最も成績の悪い学生の字でも達筆に見えてしまうほどひどかった。


 親愛なるレメド様


 どうも似合わない呼び名を使ってしまった。元気か、フラモア! こうして手紙を出すのは久しぶりのことだ。最後のダンジョンはヨスマの洞窟だったと思うが、あれから十年、お互いに抱き合って、涙を流したことが昨日のことのようだよ。僕はあれからいくつかパーティをめぐってみたが、きみたちとの冒険を超えるものはなく、ダンジョン探索からは足を洗ったんだ。いまは幸い、伯爵家の兵隊の剣術指南役になって、何とか暮らしているよ。

 前置きが長くなったね。実は今から二週間後に伯爵のお供をすることになって、王都に行くのだけど、なんとリーンもギルドの会議で同じ時期に王都に行くことになったんだ! それで旧交を温めようという話になって、きみに手紙を書いたんだ。きみの活躍はブレーニにも届いているよ。劇の批評を書く著述家だなんて、同じパーティにあったものとして鼻が高いよ。きみにはずいぶん僕の字のことでお説教を受けたけど(これでも当時よりはずっとうまくなっただろう?)、それもいい思い出だ。こうやって字を書き連ねるよりはやはり会いたいな。リーンも同じ気持ちだ。返事が欲しいけど、間に合わないなら、あの場所で待ち合わせしよう。冒険の日々、王都に寄ったら必ず泊まった〈黒猫亭〉に――。


               きみの忠実なる友 キール


 これは二週間前に届いた手紙だった。そのとき、わたしはある下らない文壇の争いに巻き込まれ、手放すわけにはいけないはした金の仕事のために、したくもない謝罪をしていた。

 二十年前、駆け出しのパーティのとき、わたしは二十歳でキールは十六歳、リーンは十七歳だった。年長で考え方が比較的落ち着いていたわたしがキールが突っ走るときの抑えみたいになり、うまくやっていた。最後に会ってから十年、リーンが魔法工房を継ぐことになったこととわたしの病気でパーティは解散したが、あの十年がわたしにとっての最高に素晴らしい日々だったことは間違いない。この死人の劇評をモールドに届けて、報酬を前借すれば、貸衣装屋からかなりいい外套を借りることができる。その前に床屋に行って、髪にはさみを入れてもらって、髭をきれいにあたろう。床屋はまだツケがきいたし、どこか物書きに変な信仰を持っていたから、ツケはまだ一か月くらいはできるはずだ。

 次の日、あのどうしようもない死んだ劇評をモールドに渡し、なんとか八シリングを前借りとしてもらえた。わたしはそのままロインデル通りの床屋で身ぎれいにして、貸衣装屋で深緑の外套を借り、小さな泉のある角を曲がれば、〈黒猫亭〉はすぐそこというところまできた。

 ふたりは二番目の席にいた。つまり、空いていれば座る一番目の席がふさがっていたとき座る席だ。それは通りから離れていて、お義理程度に衝立を立てていた。ふたりは若かった。年の差は三、四年だが、もっとずっと若く見えた。あのダンジョンに潜っては命からがら逃げてきて、次はもう少しうまくやろうと言って笑っていた日々と変わらない溌溂さ。加齢を撥ねつける人間がいることはきいていたが、キールとリーンはまさにそれだった。

 わたしは角へ戻って、泉に映った自分の顔を見た。頬がこけて、額の生え際が下がったのをごまかすために前髪が前へと念入りに寝かせてある。目はあまりにも退屈な劇ばかり見ていたために生気を失っていた。

 わたしはどうしようもない自尊心と羞恥心の持主だった。店には表から入らず、裏からまわって衝立のそばまで寄った。わたしは頼むからわたしをなじってくれと心から祈った。

「旅の途中で酔った宿で危うく一文無しになりかけました」

「きみは昔から変わりないね」

「そういうキールはどうなんですか?」

「伯爵は理解がある人だから地元の農民にも教えることを許してくれるよ。そっちは?」

「魔導書とにらめっこの日々ですよ」

「宮廷魔術師はきみの論文のことでパニックに陥ったって」

「奇をてらっただけですよ。それより、フレモアさんです」

「王都でどんどん劇評を出しているって」

「やっぱり違いますね。フレモアさんは」

「ダンジョンを一緒に潜っているころから、そういう兆しがあったよ」

「文化に仕える気質」

「そう。それ。僕には無理だ」

「やっぱりフレモアさんはフレモアさんなんですね」

 もし、ふたりがわたしの陰口でも叩いてくれていれば、わたしはどれだけ救われたか。わたしはそんなことでしか優位に立てないのだ。というより、ふたりを相手に優位に立ちたいなどという俗物になり果てたのだ。実はふたりにあったら、わたしはまた吟遊詩人の、あの魂を取り戻せるのではないかと期待していた。そして、ふたりを見て、わかったことはわたしはわたしが思っている以上に手ひどく死んでいることだった。

〈黒猫亭〉を後にして、泉の角を曲がるとそのままでたらめに角を曲がり、閲兵広場に出たところでポリアリウスに出会った。

「やあ、大先生! ちょうどいいところで出会った」

 ポリアリウスのことをわたしは人間だと思っていない。批評家の吐いたゲロと役者の漏らしたクソと劇場主の顔に浮かんだ脂を錬金術用のレトルトで二週間煮込むことでできる人造生物だと思っている。

「ああ、きみか」

 そして、相手もわたしについて同様の感想を持っているだろう。

「ちょっと一杯ひっかけていかないか?」

「まだ日が高いよ」

「別に構わないだろ」

 わたしとポリアリウスは近くの半地下の酒場へと降りて行った。奥にある、揚げ物のにおいが染みついたテーブルにつき、火酒を注文し、水で割った。

「ハリャーオの新作を見たか?」

「見たよ。ひどい駄作だった」

「役者がひどい大根だったな」

「本が悪い。たとえ、セラルヒンが演じても無理だ」

「違いない」

 わたしたちは水で念入りに薄めた火酒をあおった。

「芸術に」

「芸術に。根性腐った劇場主たちに囚われ、毎晩レイプされている芸術に乾杯」

「きみは『ラーサの館』を見たか?」

「御大もすっかり才能が涸れたな。『白鳥』あたりからおかしいなと思い始めたが、今度の作品で確信したよ」

「批評家どもがサメみたいに食いちぎってるよ。ポリアリウス、きみも書くのか?」

「いや。そういうのは馬鹿どもに任せるよ。そうだ、大先生。実験劇派にすごい女優がいるんだ」

「きみが女優の演技を褒めるとは珍しいね」

「いや、とんでもないド下手の大根だよ。でも、胸はすごい。連中の劇にちょいといい評価をしてやれば、そのおっぱいはおれたちのものだ」

「わたしは遠慮するよ。気分じゃないんだ」

「もったいない。そういえば、ホルトンがクビになったよ」

「どっちの?」

「副支配人のほうのホルトンだよ。飛び降りるって吹聴してるが、やりそうにないな。死んだところで川に流れ込むクソがひとり分減るだけだ」

「それだけ川がきれいになる」

「違いない!」

 流れてくれ、わたしの涙。

 どうして流れてくれないのか、わたしの涙。

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