魔法使いども
ウーヴヌーヴ子爵の開いた闘技大会は無料で入場できた。きっと何か下心があって、庶民の広範な支持が欲しいのだろう。
おれと相棒のフーディニが座った席はアリーナからは遠いが、タダで座れる席としては最前だった。砂をまいたアリーナのすぐ上の席は子爵とその賓客が占めていて、それからの席順はこの無料の催しものにどれだけ気前よく金を落とせるかで席が決まる。ここから見ると、剣闘士や魔獣は麦粒のように見えるが、無料なので誰も文句は言わなかった。
「プログラム、もらってきた」
「どこで盗んだ?」
「もらったんだよ」
「ホラこくんじゃねえぞ、フーディニ。あばた面のコソ泥が。誰がお前に一枚三ペンスのプログラムをタダでくれるってんだよ」
「くれたんだよ。モーリィ。嘘じゃねえって。ほら、今日の目玉は騎士ラインスと三つ頭の魔獣ケルベロスの一騎打ちだって」
「このプログラム本物なんだろうな?」
「本物だよ。おれ、ラインス、好きだ」
「なんで?」
「スタイルってもんがある」
「魔獣殺しにスタイルもくそもねえだろ」
「あるって。ただ、殺せばいいわけじゃないだろ?」
「まあ、おれたちは王立のでしか、見たことねえからな。地方の場末の闘技場なんて、病気持ちのヤギ一匹殺すのにも剣闘士が総出でかからないといけないって話だ」
「喉渇いたな」
「おれはこの後、仕事だ」
「ビール一杯くらいなら平気だろ」
「上司がうるせえんだ」
「たった一杯だぜ?」
突然、ブーイングが起きた。無料席の連中が口をぶーぶー鳴らし、虫でも追い払うように両手を振り回していた。
「見ろ、魔法使いたちだ」
見上げると、魔法学校から飛んできたガキどもが引率教師と一緒にアリーナの上空、百二十か三十フィートをくるくる飛んでいた。
「きったねえ! あそこからタダ見する気だぜ!」
フーディニはかんかんになった。他にも頭にきた連中は大勢いたが、みなタダ見の客で金を払った客たちは行儀よくしていた。そのうち、男たちが食いかけのチーズを空へ放り投げ、それが金持ち席へと落ちていく。子爵が雇った非番の騎士や兵士たちがこん棒を手にタダ客の席のあいだを走りまわった。
おれは魔法使いたちを見上げていた。尖った帽子をかぶって、教師を先頭に一列に並んで、周回している。どんな勉強をしたら、人間は空を飛べるのだろう? これはどんな馬に賭けても必ず勝つギャンブラーに対して抱くのと同じ疑問だ。この世界には人間にできないことをやり遂げてしまうやつが多すぎる。それがどこかで負の帳尻合わせをしていて、それがおれやフーディニの人生なんじゃないのか?
おれはため息まじりに言った。
「あれで白い糞を落とせば、完全に鳥だな」
「なあ、むかつくぜ。一杯ひっかけに行こうや」
「ふたり一緒に離れたら、席を取られちまうぜ」
「プログラムを置いていくから大丈夫だ」
おれたちは席を立ち、ひな壇席に扇状に開いている出入り口から闘技場内の簡単につくられた酒場へと入った。それは通路にカウンターがU字に出っ張っていて、石でつくった台座の上にビール樽が横になり、注ぎ口には木の栓が打ち込んであった。
「ビールくれ」
子爵開催の闘技大会ともなると、カウンターにいるのは本物の給仕係だった。髪の毛を植物の油できっちり整えて、小生意気な髭を唇の上につけた紳士もどきだった。最近ではケチな酒場を元凶にビールは泡がうまいとほざいて、泡ばっかり注いでビールをけちるのが当たり前になりつつあるが、この給仕はきちんとすれすれまでビールを注いだ。ただ、フーディニはジョッキが小さい気がするとケチをつけた。実際、そうなのかもしれない。小皿に盛られた炒った木の実をつまんでいるうちにビールがなくなった。
席に戻ると、椅子はきちんと空いていたが、置いたはずのプログラムが消えていた。
「ひでえ! プログラムを盗まれた!」
「どうせ盗品だろうが。座ろうぜ」
前座の戦いがいくつかあった。人間も魔獣も目玉の対戦よりは格下で、戦い方も盾で押し込み、横から突き出した剣で喉を切り破る一辺倒のものが続いた。おそらく子爵は目玉の対戦をつくったところで費用が許容範囲を超えたのだろう。観客たち、それにフーディニは単調な試合に親指を下げてブーイングをしていた。フーディニに気分直しと誘われて、また酒場へ行き、ビールを二杯飲んだ。おれはこの後、フィスルーの倉庫で樽を動かさないといけない。別に酔っぱらっているわけではないし、一杯目と二杯目のあいだに時間が空いている。顔は赤くないと思うが、赤いとしてもほんの少しだ。
前座の戦いは盛り上がることもなく終わった。興行主も観客も、ひとりぐらい魔獣に食われて大騒ぎしないかと思ったのだが、全員が盾を押しつけて、首を刺す方法で勝っていた。
「こういうくだらない勝ち方をやめさせるルールが必要だ」
フーディニが言った。おれは盾のかわりに二本の剣を持たせることを提案した。それは何か記念碑を残すほどの名案だと、そばにいた男が言った。こぎれいな服に短い剣を下げ、白い髭をきれいに整えた紳士風の男は記念碑を残すための大理石はないから、一杯おごらせて、それを記念碑の代用にしようといい、おれたちは特に不満もなかったので、酒場に行き、おれたちは男にビールを、男はホット・ウィスキーをおごった。
席に戻ると、騎士ラインス――フーディニに言わせれば『スタイルを持っている男』がちょうど入場してくるところだった。盾は持っているが、前座の連中のように大きなものではなく、北方の蛮族が使う、円いものだった。ラインスは今年三十九歳で技は円熟だが、体力が若い連中のように続くかが疑問だった。もし、そのあたりに自信がなくなると、スタイルを捨てて、こすっからい戦いをしなければいけなくなる。だが、ラインスはそんなことはしない。スタイルを捨てるくらいなら命を捨てる。
誰かがラインスの歌をがなった。
北方戦役の勇者
殺した魔獣は数知れず
おれたちの視線はラインスの視線をなぞり、魔獣用の門へとたどりつく。そこには魔獣、三つ頭のケルベロスがいる。そんな簡単に生け捕りにできるものじゃない。きっと、こいつもここに来るまでにダンジョンで何組というパーティーを全滅させてきたに違いない。炎と氷と雷の息を吐く魔獣の毛が剃刀みたいに尖がって、一本しかない尻尾は三つの思考のあいだで乱暴に揺れ、その胃袋には兜をかぶったままの頭蓋骨がごろごろと転がっている。
「殺せ!」
誰かが叫んだ。
「殺せ!」
おれたちの隣にいた男が叫んだ。
「殺せ!」
三度目にはおれたちが叫んでいた。
「殺せ! 殺せ! 殺せ!」
おれたちは吠えた。血に飢えていた。
何かがおかしかった。門が開こうとしない。おれたちはひとり、またひとりと口を閉じた。競技場の役人たちが門のよこのくぐり戸から出たり入ったりしていた。
子爵が観覧席で役人たちを叱りつけていた。ひとりにいたっては胸倉をつかんでいた。言葉はきこえないが、何を言っているかはわかる――オレノ名誉ヲドウシテクレル!?
ケルベロスはない。ケルベロスは出ない。
そもそも、最初からいたのか?
騎士ラインスのほうへ赤い羽根をつけた帽子の男が走り、耳打ちした。ラインスは肩をすくめ、出てきた門へと戻っていく。おれたちは食べかけのチーズや野菜のくずを投げた。おれたちは席を立って唾を吐くと、酒場に戻って、また一杯やった。
おれとフーディニはふらふらだった。そんなに飲んだ覚えはなかった。日は暮れていて、狭い道は影になって、冷たい空気に肌が粟立った。
「倉庫に行かねえと」
「フィスルーにくそくらえって言ってやれ。がたがたぬかしたらぶちのめしちまえ」
「そんなもん、何の自慢にもならねえよ。あいつの背丈、おれの半分なんだぜ」
オレルの塔のそばでフーディニとわかれた。陽はほとんど沈み、軒下から並木へ蝙蝠が飛び交っている。少し酔いがさめてきた。おれは先月、二度、遅刻で減給を食らっていた。次はないとフィスルーから言われていた。背がおれの半分しかなくても、やつが金を握っている以上、やつにはおれを締め上げることができた。さらに最悪なことにおれは女房とふたりの子どものことを思い出した。あいつらのことを忘れているあいだはあんなに幸福だったのに、やつらを思い出すと、ますますフィスルーの倉庫の仕事をすっぽかすわけにはいかなくなった。だが、もうどうやっても間に合わなかった。
倉庫に行こうが家に帰ろうが、おれが酔っていることは咎められる。金が必要なのに一枚の銅貨も残っていなかった。行く場所がなかった。酒場は無理だ。金がない。全部飲んだからだ。
そのとき、空に蝙蝠が横切った。
違った。空を飛んでいるのは魔法使いのガキたちだった。
あいつらには苦労があるのだろうか? 倉庫と家のあいだでどっちに行ったらいいのかわからず、一枚でも金がないかとポケットを探り続けるようなことをしたことがあるのだろうか?
そのうち、おれの頭の、酒を吸い込んでぶよぶよになった部分がこたえた。
あいつらはお前の受けた侮辱も、お前が抱えた苦労もないまま、生きていけるのだ。
おれは頭上を飛び交う魔法使いの小さな姿に唾を吐いた。
唾はそのまま、おれの左目に落ちてきた。




