第6話 王女、怒る
入学式から数日が経ち、学園にもようやく日常のリズムが戻り始めていた。
リゼットの教室での日々は、思っていたよりも穏やかに進んでいた。無論、王女という立場ゆえに完全な平穏とはいかない。学園内でリゼットが最も信頼を置いているのがミーナとレオンではあるが、学園生活という場に於いては限度がある。
クラス内ではそれぞれグループができ始めている。もう既に出来上がっているものもある。しかし、未だ定まり切れていない原因はリゼットにある。
リゼットは一人だった。
貴族の、特に上位の子女はリゼットから声がかからないか待っている様子の者もいれば、リゼットに声をかけようとチャンスを狙っている者もいる。そういう者らは互いに牽制しあい、動くに動けないという状況だ。
リゼットのクラスは全員貴族の子女だった。上は公爵家から始まり、下は子爵家まで。男爵家や平民はいない。王族と同じクラスに置くには教育が足りないからだと思われる。
休み時間になるたびに視線がそれとなく集まるのは仕方のない事だった。リゼットがその気になれば、いくらでも人は集まるだろう。しかし、その集まりの頂点に立つのは必然的にリゼットになる。人を選別し、まとめ上げ先頭を切るのは王族として相応しいのかもしれないが、リゼットの性に合わない。
結果、リゼットは未だ一人だ。
誰を信用し、誰に注意を払うべきかをリゼットは未だに決めかねていた。
リゼットと行動を共にするという事は側付きとなる可能性が非常に高い。
だからこそ、慎重にならざるを得ない。下手に受け入れると厄介な人間がいるからだ。
現に、別のクラスにも拘らず、教室の外から目をらんらんと輝かせ、こちらを注視している令嬢が一人いる。
紫色の髪に山吹色の瞳。もはや、うろ覚えだが、彼女の持つ色彩が異世界の記憶を刺激する。
思い違いでなければ、正気でないリゼットの取り巻き筆頭の令嬢である。その令嬢がこちらにまっすぐ向かってくる。
リゼットは切実に思った。
まだ舞台も始まっていない初っ端から地雷はやめて欲しい。
一瞬彼女と視線が交わった。
まずい、と思ったが、時既に遅し。令嬢が瞳に喜色を浮かべて足早に近づいてくる。
逃げるか迎え撃つか、そんな選択肢が脳裏を過った時だった。
「殿下、不躾なお声がけ、お許し下さいまし」
礼儀正しい声に思わず振り返れば、艶やかな淡い金の髪を結った令嬢がいた。背筋を伸ばした立ち姿、揺るぎない態度。育ちの良さが、所作の端々から滲み出ている。
「ええ、なんでしょうか、ヴァレンティア様」
リゼットはさりげなくクラスメイトの令嬢に視線を移した。クラスメイトの顔と名前は記憶済みである。特に王家に近しい公爵家の令嬢であれば、何度か顔を合わせた覚えもある。
アデライード・ヴァレンティア。
ヴァレンティア公爵家の令嬢である。その後ろには同様に礼をとる伯爵家の令嬢が控えていた。
「入学式以降、ずっと殿下のご様子をそれとなく、拝見しておりました。殿下は未だ側に置く者を決めかねているご様子。人の多く集まるこの場に於いても、殿下お一人では不慣れな部分やお困りになる場面もございましょう。そんな時に公爵家の者として、また、一人の生徒として、お支えできればと」
アデライードが涼やかに微笑んだ。新緑の瞳は一見親切そうに見えて、どこか品定めをするような、静かな観察の色を帯びている。
王城では選ぶ側に立つのが当然だった。
しかし、今こうして前にいるアデライードもまた、リゼットを自身の中の選定の秤にかけている。仕えるか、程よい距離を保つか。
公爵家という立場上、同じクラスのリゼットを完全に放置というわけにはいかない。
だから、困った時に声さえかけてくれれば手助けする。そう言っているのだ。
リゼットは一瞬、迷った。
ヴァレンティア公爵家はセルディック公爵家ほどではないにしても王家に好意的な家である。その上、アデライードはヴァレンティア公爵家自慢の令嬢である。
人柄も誠実さに定評があり、信頼できる。
けれど、王女の側近を志願する、ということではないが貸しを作ることにはなるだろう。
答えようとしたリゼットの背後から鋭い声が割り込んだ。
「あら、アデライード様。抜け駆けはずるいですわ」
軽やかな足取りに焦りを滲ませ近づいてきたのは、案の定、紫の髪の令嬢だった。
「お初にお目にかかります。わたくし、モンクレール公爵家のベアトリスと申します。お目にかかれて光栄ですわ、リゼット様」
ベアトリスと名乗った令嬢はリゼットの前で礼を取った。アデライードの丁寧で洗練された礼を見たあとでは、些か型落ち感は否めない。
「リゼット様、お噂はかねがね伺っておりますわ。とても大人しくていらっしゃると。あら、でも実際にお会いすると、思っていたよりずっと聡明そうなお顔をしていらっしゃいますのね」
顔を上げ、リゼットを見る瞳には媚びと侮りの色がありありと見て取れる。その上、こちらが許してもいないのに名前呼びである。
舐められている。
ふつり、と心の奥底から小さな感情が湧き上がった。
リゼットは王女としての立場をよく理解している。
それは王家で育った故であり、教育からであり、そして、前世の知識と意識からでもある。だからこそ、人選については慎重に事を運びたかった。
ベアトリスは恐らく、リゼットが未だ一人である事を大人しさ故に親しい友も作れない、寂しい王女と見做したのだろう。ならば与し易しと。
モンクレール家といえば、歴史の浅い新興公爵家である。
まだ、未成年とは言え、大人の入口に立ち始めた年頃であり、社交の基本は一通り家で教育されたであろうに、感情の制御もできていない。何より王女を軽視するということは、延いてはこの国を支えてきた両親や姉を軽視するに等しい。
それだけでリゼットとは合わないとわかる相手だった。
リゼットの瞳の温度が下がった。
リゼットが口を開こうとしたところを、アデライードが無遠慮に切り込んだ。
「まあ、モンクレール様、殿下に対して不敬ですわ。殿下からのお声がけも待たずに先に言葉を発するばかりか、御名をお呼びになるなんて」
「それは貴女も同じでしょう?」
「私は殿下にお許しをいただきましたわ」
アデライードのベアトリスを見る視線が一段鋭くなった。
「それに、」
アデライードは口元を扇で隠し、くすり、と小さく笑う。
「私達、そんな名前で呼び合うような親しい間柄でしたかしら」
ベアトリスが睨みつけ、アデライードがそれを正面から受け止める。
両者の間に火花が散るような睨み合いが続いた。
舌戦の火蓋が切られようとしたその時。
「モンクレール様」
温度のない静かな声にその場の空気が凍りついた。
誰が発した声かを理解したものはどれだけいただろうか。
その声は普段であればいつも控えめで、穏やかなものだったからだ。
「わたくしは、あなたに名を呼ぶ事も、親しくする事も、許した覚えはありません」
それは命じる者の声であり、言葉であった。
決して囲われ、庇護されてきた者が発するものではない。
ベアトリスの顔から、みるみる血の気が引いていく。
「殿下、わたくしはただ――」
「順序を弁えていれば、一考の余地もあったでしょうに」
そこで、リゼットはわずかに目を細めた。
「けれど、貴女とは、今後、これ以上お話しする事はありませんわね」
はっきりとした拒絶だった。
ベアトリスは何かを言いかけたが、言葉にならないまま、唇を震わせるだけだった。やがて、耐えきれなくなったのか、扇を握りしめたまま、逃げるようにその場を後にした。
その後ろ姿を見送ってから、リゼットはミーナを呼んだ。
「ミーナ」
「はい、殿下」
ミーナがリゼットの側に立つ。
「あの方を私に近づけないで。レオンにも伝えておいてくれる?」
「畏まりました」
一礼し、ミーナが即座にレオンの元へと向かったのを確認し、リゼットは小さく息を吐いた。
「ヴァレンティア様」
「はい」
「先ほどは助けていただいて、感謝しております」
「……いいえ」
アデライードは詰めた息を静かに吐き、崩れかけた表情を戻し、やがて静かに微笑んだ。
「殿下のお力になれたのであれば、光栄です」
アデライードは深く礼を取った。
「ところで、ヴァレンティア様、最初のお話に戻りますが、その、」
「はい、殿下がお許し下さるなら、こちらのクラリッサと共に長く側でお支えできればと」
「長く?」
「はい。お許しいただける限り末長く」
そういう話だっただろうか?と疑問に思いつつもリゼットはアデライードとクラリッサを見た。クラリッサの表情は平静を装いつつもまだ硬い。
「では、今後、私の事はリゼットと呼んでくださる?」
アデライードとクラリッサは弾かれたようにリゼットを見た。
そこには先程の冷たさはなく、いつもの穏やかな王女が微笑んでいた。
「畏まりましたリゼット様。今後、私の事はアデライードと、そして彼女は……」
「クラリッサとお呼び下さいませ」
「ええ、よろしくお願いしますね、アデライード様、クラリッサ様」
リゼットは迷いに迷った末に彼女らを信じる事に決めた。
サンクチュアリの公爵家は全部で4家。その内、リゼットと同年代の令嬢がいるのはヴァレンティアとモンクレール。
もし、シナリオ通りに進むなら、ヴァレンティア公爵家がヒロインの後見に立つ事になる。ヒロインと関わらないという誓いは早くも崩れかけている。
それでも……。
「私、お友達って初めてなの。長く、お付き合いできたら本当に嬉しいわ」
リゼットは二人に向かって微笑みかけた。




