第4話 講師、気付く
騒がしさを伴った朝、子ども達独特の興奮した空気をルシウスは感じた。
「そういえば、中等部は入学式か」
学園長からの報告が来ていたことを思い出す。
毎年この時期になると入学式が2回ある。
1度目は中等部。2度目はその翌週に高等部での入学式が開かれる。
新鮮さを伴ったざわついた空気は伝わってくる事はあってもルシウスの平穏を乱すほどのものではない。入学式を終えた生徒らが足を踏み入れる場所は限られている。
己の属する教室とその帰途にあたる廊下だけだ。
いつもの事だった。
そうして、過ごす時間もいつも通りの筈だった。
午後には静けさが戻ってくる。
高等部と中等部の共用とされる図書室のさらに奥。
人避けの結界を張った研究室で、ルシウス・アステルは古い魔法史の文献をめくっていた。
その場を支配するのは紙を擦る音、時計の針が刻む音。
それ以外には、何もない。
学園という場所は、どうにも騒がしい。
頻繁に関わろうとする生徒たちの声も、教師たちの気配も、ルシウスにとっては長く聞いていれば煩わしい類のものだった。
だから用意された研究室には人が寄りつかないよう結界を張った。
許可なき者が、辿り着けないように。
それでも問題はなかった。
事情を知る学園長が人間の補佐を置いた。
研究室の存在を知っている者もいるが、わざわざここまで来る者などいない。
ルシウスの指が止まった。
結界に、微かな揺らぎが生じた。
恣意的なものではない。
「……これは」
(何かが意図せず干渉した?)
ルシウスは本を閉じ立ち上がった。
干渉した要素は人間のものではない。恐らくよく知る同胞のものだ。
このまま放っておけば、多少迷いはするものの、「外」へと出られる事だろう。
しかし、その存在にルシウスは興味を惹かれた。
「招き入れるか」
そして、扉が開いた。
「……誰も、いませんか?」
頼りなく小さな声。
続いて、銀色の髪が覗いた。
月光をそのまま束ねたような淡い銀。
長い髪が揺れるたび、青白い光を帯びる。
そして夜明けを思わせる瞳が部屋の中を恐る恐る覗いているのがわかった。
その色合いには覚えがあった。
「……王女」
*
王女の夜明け色の瞳が室内からルシウスへと向き、動きが止まった。
「……!」
次の瞬間、慌てたように頭を下げた。
「勝手に立ち入ってしまい、申し訳ありません」
「……」
ルシウスは黙って王女を見た。
無断で人の私的空間に入り込んだ事への謝罪。
だが、過剰にはへりくだらない。
その辺りの線引きはできているらしい。
「君は……」
「はい。本日、中等部に入学いたしました、リゼット・フォン・サンクチュアリと申します」
こちらをまっすぐ見つめる様からは教育を受けた者特有の芯の強さがうかがえる。
ルシウスは内心で頷いた。
「ふむ……」
だが、その佇まいと雰囲気から、随分と疲弊しているように見えた。
「貴女の事は私の耳にも届いている。王女殿下と呼んでも?」
「はい。如何様にも」
迷いのない返答。王家の驕りもない。
それから、王女は少しだけこちらを窺った。
「私はルシウス・アステルだ。特任講師として高等部で魔法史を担当している。中等部ではたまに行われる特別授業の講義を受け持つこともある」
ルシウスは教師として名乗った。
「ちなみに、ここは私の研究室だ」
「研究室……」
王女の視線が改めて室内を巡る。
古書。
魔道具。
積み上げられた資料。
そして、先ほど自分が読んでいた本。
「は、はい。勝手に立ち入ってしまい、重ねてのお詫びを申し上げます。あの、アステル先生とお呼びしても?」
「……」
ルシウスは少し黙った。
「それでいい」
「ありがとうございます」
王女は明らかにほっとした。
その様子に、ルシウスはほんの少しだけ目を細めた。
豪胆さを体現する女王とは正反対の反応。
もちろん、彼女も弱いわけではない。
「ところで、君はここへはどうやって?」
「人目を避けて馬車留めに向かう途中、少し休憩を……」
「そうか」
やはり特別な意図があったわけではなかった。
ただ人の騒がしさに疲れ、逃げ場を探して偶然ここまで辿り着いた。
それだけだ。
「そうか、随分疲れているようだな、そこに座り給え。時間はあるのだろう?」
「は、はい!」
王女が驚いたように反射的に返事をした。すぐに追い出されるとでも思っていたのだろう。実際そのつもりだったのだから仕方がない。
やや、遠慮があるらしく、浅くソファに腰掛けた。
(遠慮はあるが警戒心がない)
多少のひっかかりを覚えながら、ルシウスは研究室の奥へ向かった。
湯を沸かし、普段、彼の補佐がやるように見様見真似で茶を淹れる。
そしてふと、菓子が目についた。子どもであれば甘いものは好むものだ。
結界の揺らぎの確認さえ取れればすぐに帰すつもりだった。
しかし、疲れ切った子どもを追い返すのも気が咎める。
ルシウスはトレーを持って戻った。
「どうぞ」
「いただきます」
王女は紅茶に口をつける。
「おいしい」
緩む表情に安堵した。
「それは良かった」
ルシウスが小さく笑えば、王女も小さく笑う。
「好きに過ごし給え。私も好きにする」
ルシウスは先ほどまで呼んでいた本を手に取り読みだした。
王女はそんなルシウスの様子に驚きつつも何も言わずに紅茶と菓子を口に運んだ。
時計の針が進む。静かな時間だった。
不思議なことに、不快ではない。
「……」
ルシウスはページをめくりながら、向かいに座る王女をちらりと見る。
――なるほど。
この部屋に足を踏み入れた当初の張り詰めた空気とは打って変わって随分寛いでいるように見える。王家に生まれた故の責務や責任というのもあるだろうが、子どもは子どもらしくあるべきだ。偶になら良いだろう。
幸い茶葉も菓子も余っている。
「ごちそうさまでした。アステル先生」
「ああ、出口はそちらだ」
立ち上がった王女にルシウスは扉を指し示す。
「ああ、それと」
扉の取っ手に触れた王女に思いつきのように声をかける。
「ここは特別な場所だ、君にはここへの自由な立ち入りを許そう。
避難場所は必要だろう。疲れたらいつでも来なさい」
王女がこちらを振り返る。
「外の二人には扉の前で君を待つ事を許す。扉には私が許した者以外、誰も気づかない。無論、扉の前に立つ者にもだ。」
王女は目を見張り、ルシウスの言葉に次第に表情が緩んでいく。
「ありがとうございます」
別れ際に浮かべた笑顔は年相応の少女のものだった。
夜明け色の瞳には活力が戻っているのを確かめ、 ルシウスは本へ視線を戻した。
「行き給え。君のお守りが待ち構えている」
「はい」
扉が閉じ、再び静寂が戻った。
ルシウスはしばらく本を読んでいたが、ふと手を止める。
「……王女、か」
独り言のように呟くと、過去の記憶が蘇った。
*
この世界には竜が守護する国がいくつかある。
その中のひとつが月光竜が守護するサンクチュアリ王国であり、その王族と代々契約を結んでいるのがルシウスだった。
初めて対面したのは彼女が生まれて間もない頃だ。
国王と王妃が彼の前に跪き、王妃が胸に抱いた赤子を彼の眼の前に差し出した。
「リゼットと名付けました。次の契約の要となるかもしれない子です」
生命力に溢れた第一子とは違い、差し出されたのは小さな灯火のような赤子だった。
ふとした拍子にあっさりかき消えてしまいそうだった。
その赤子の様子と言葉から、ルシウスは2つの意味を汲み取った。
行方不明となった第一王女が見つかれば、要となるのはこの赤子ではない。
それ以前に契約の要となる年を迎える前にこの子の命は潰えてしまうかもしれない。
国王夫妻もそれは分かっているのだろう。表情は取り繕ってはいるが晴れないのが見て取れる。
王家との契約はこの地に住まう事。それ以上でもそれ以下でもない。欲を掻けば竜は去る。それを守護の契約を成した王家の血筋の者らはよくよく肝に命じる。
竜という頂点がこの地に落ち着く事で人では対処できない脅威からサンクチュアリは守られている。人にとっての脅威、その最たる存在が魔物だ。
姿形は様々だが、力が強く、賢いものほど強者の気配には敏感だ。そういった存在は竜の気配の満ちた地に近づこうとはしない。
結果、魔物は出るものの、それほど強い存在はサンクチュアリには生存していなかった。第一王女が行方不明となる発端となった魔物の王都襲撃事件では、裏で邪教徒が暗躍した結果、招いた事だった。人が起こした問題は人が解決するのが筋であるため、ルシウスは手出しはしない方向ではあったが、小物に縄張りを荒らされて面白い竜などいない。多少の腹いせは致し方なかっただろう。
しかしながら、やっと生まれた赤子が早々に儚くなるのはルシウスとて気持ちの良いものではない。かと言って、人間に肩入れしたと取られるのは避けたい。
だからルシウスは秘密裏に第二王女に僅かながら庇護の印を与える事にした。
命の灯火が安定するまでは災いや病魔、呪いから守られるように。その程度の些細なものだった。
*
その王女が目の前に現れた。
改めて見て、やはり見立てに間違いない。自分が刻んだ印の他に、同胞のしるしが見て取れた。
恐らく本人は気づいていない。
以前視た時はただの無垢な赤子のそれだった魂が、今は随分と稀有な色を発している。
その異変の原因の見当はついている。
魂を歪め、壊し、塗替えかねない内側からの奔流を受け止め、糧とする事で魂が磨かれている。
いつからそれが始まったのかはわからないが、これを見て、同胞は彼女の魂が奔流に呑まれぬよう印を与えたのだろう。
竜は稀なるものを好む。時と共に輝きを増すと分かっているなら尚更だ。
「騒がしくなるかもしれない」
竜の時間感覚は人間の目からみれば大雑把で曖昧だが、彼女の場合、しるしだけ与えて放ったらかしという事にはならないだろう。なんとなくそんな気がする。
ただし、この学園在籍中に現れるとは限らない。
そう自身に言い聞かせ、現実的な次の事を考える。
ここに立ち入る人間は彼女一人ではない。そちらにも伝えておく必要があるだろう。
それ以上のことは、まだ何も決めていなかった。
ルシウスにとって、いつもと違う日常がしばらく続く事になる。




