第3話 王家、ごねる
入学式前日、サンクチュアリ王国王城。
国の政務の中心たる女王の執務室は、かつてない程の緊張感に包まれていた。
「行きたい」
「駄目です」
エリスの訴えを即時却下する宰相。
「……私は女王よ?」
「存じ上げております」
「なら、妹の入学式くらい――」
「なりません」
即答し、静かな睨み合いが始まった。
政務絡みの問答であればここでどちらかが折れて終わる。実際、一度はエリスが折れた。だが、諦め切れないのか今、再び同じ問答が繰り返されている。
「明日の分は今日中に終わらせたわ」
「なりません」
「裏門からなら?」
「なりません」
「ならば私たちなら良いだろう!」
会話を遮り、バンっと勢いよく開かれた扉を潜って入って来たのはリゼットとエリスの両親、前国王夫妻だ。
「なりません」
宰相は前国王夫妻の突然の来訪に動じる事なく冷めた目で却下した。
「私はもう国王ではないのだぞ?」
「存じ上げております」
「では、問題ないでしょう?」
「問題しかございません」
王妃が一緒になって食い下がるも宰相は取り合わない。
「なぜだ」
「先代国王夫妻が揃って御来場された場合、会場全ての皆様が式に集中できません」
宰相の目はどこまで行っても冷静で静かだ。
「入学式は生徒が主役。なのに皆様が参加されれば注目を集めるのは必至」
宰相は淡々と詰める。
「しかも、今回の入学式は普段あまり表に出る事のない王女殿下のお披露目の場となります。そこへ陛下方が出席されれば、学園は入学式どころではなくなります」
一旦言葉を切り、王家の保護者三人の顔を順に見渡す。
「よろしいのですか? リゼット王女殿下の大事な晴れ舞台を潰す事になりますが」
「「「うぐっ」」」
宰相以外のその場にいる全員が怯んだ。勝負は決した。
*
翌朝、宰相は補佐官を連れて執務室へ続く廊下を歩いていた。
「……本当に、必要でしょうか」
続く補佐官は背後を気にしながらもためらいがちに宰相に問うた。
「必要になる可能性があるから連れてきた」
宰相は淡々と答える。
宰相らに続くのは精鋭の騎士たちだった。全員真剣な面持ちでぴりぴりしているのがわかった。
「あの、宰相閣下。本日はランバート筆頭補佐官は……」
「王城にはいない。別の用を命じてある。今回の件からは外している」
「何故です?」
「役に立たないからだ。むしろ、足を引っ張りかねない」
「そんな事は……」
「あるから言っている」
シエル・ランバートは確かに有能ではあるが、難のある男だ。
女王の言葉は絶対と信じて疑わない節が多々見受けられる。
手短に事を収めるにはむしろ邪魔だった。城内にいてはどこで聞きつけられるか分からない。だから前もって城から出したのだ。
そうしたやり取りを終え、到着した執務室の室内には、忙しく立ち回る官吏のみで女王の姿はなかった。
宰相の姿を認めた官吏たちが救いを求めるような視線を向ける。
「業務はいつも通りに。会議も予定に変更はない。ただし、女王への決済書類と提案書は出せるだけ出しておくように」
それだけ指示すると、宰相は踵を返した。
宰相補佐と精鋭たちの表情が引きしまる。
「王女殿下の私室に向かう」
宰相は再び歩き出した。
「お前たち」
騎士たちの視線が宰相に集まる。
「陛下が万が一、実力行使に出た場合、捕らえようとは考えるな」
「と、申しますと」
先頭を歩く騎士が戸惑いがちに聞き返す。
「時間を稼げ。入学式が終わるまででいい」
「……承知致しました」
少し考える顔になり、すぐさま切り替え騎士に宰相は頷きを返した。
*
その後、リゼット王女殿下の機転により事なきを得、無事、女王陛下を執務室に戻す事ができた騎士たちは安堵した。しかし、まだ終わっていないと騎士たちは執務室の周囲の警戒にあたる。無論、外敵ではなく、女王陛下の脱走防止の為である。
執務用の席に座らされたエリスは執務机だけでなく、その周囲にすら積み上げられた書類に目を向けた。
「……朝より増えてない?」
エリスが呟く。
「通常通りでございます」
明らかに嘘だった。
「昨日は今日の分まで済ませた筈よね?」
「ですので、明日以降に処理予定のものをご用意しました」
「じゃあ、明日で良いのではなくて?」
「明日の仕事を今日してはいけない謂れはございません。現に陛下は2日分のの仕事を昨日済ませておいでです」
「……っ、……それは、今日のリゼットのために……!」
「陛下」
「……何よ」
「王女殿下が別れの際に陛下に何と仰っていたか、お忘れですか?」
「それは……!」
いつもとはまた違った可憐な制服姿と共に鈴のなるような声がエリスの脳裏に蘇る。
『お仕事、がんばって下さいまし。お姉様』
「くっ、リゼット……!!」
「ご理解いただけたなら、まずは書類の決済をお願い致します。この後の会議も予定通りに行われる予定ですのでお忘れなきよう」
「今に見てなさい……!」
「何か仰いましたか」
「いいえ!何も!!」
常人ならば竦みあがるエリスの視線も宰相はさらりと受け流した。
*
エリスが政務に付き、程なくして前国王夫妻も執務室にやってきた。
政務の手伝いという名目で宰相が手配したものだ。
面倒なものは一処にまとめるに限る。
こうして冷静に見ると王家のアクティブさと諦めの悪さは血統であるかもしれない。
3人共、落ち着かない様子で時計を見ていた。それらが良い方に向かっているなら宰相とて止めないが、如何せん今回ばかりは止めざるを得ない。
リゼット王女殿下の晴れ舞台を台無しにするわけには行かないからだ。
王女殿下を気にかける理由は宰相とて理解している。
魔物による災害が発生した際、行方不明になった第一王女。その後、なかなか子宝に恵まれず、ようやっと生まれたのがリゼットだった。
しかし、虚弱に生まれた第2子は、何度も生死の境を彷徨い、どうにか健康に育ったかと思えば幼い身で心を病んだ時期もある。
エリスが生死不明という事もあって、不安定な立場に立たされていたのだから仕方がないとも言える。国王夫妻もそんなリゼットを気にかけつつも、政務とエリスの捜索にと奔走し、ろくに構ってやれなかった負い目がある事も理解している。
エリスもまた、新しくできた妹との時間を多く取りたがっているのも知っている。
しかしだ。王家の人間として、一人の大人の行いとしてはどうかと思う。
大人気ない大人たちに囲まれているリゼットの方が余程大人びているという皮肉。
「そろそろ入学式の時間ではないか?」
前国王が尋ねる。
「はい」
「ならば、我々もそろそろ」
「お控えください」
これだ。
宰相の内心は既に呆れを通り越している。
「アルベルトよ……何も言っていないぞ」
「聞かずとも、顔に書いてあります」
「……」
前国王夫妻は悪戯が見つかったかのように顔を背けている。
宰相は一切表情を変えない。
「なあ、アルベルトよ、昨日も言ったが、儂はすでに王位を譲っている。現役の国王ではない」
「昨日も申し上げましたが存じております」
「ならば――」
「なりません。退位されたとはいえ、国内外における影響力は健在です」
「では、変装すれば?」
「陛下方は、変装しても目立ちます」
前国王は体格に恵まれた偉丈夫で、前王妃もまた、国1番の美姫と謳われる程の美貌の持ち主だ。それに変装程度では隠しきれない威厳もある。反論できずに夫妻が黙った。
「ねえ、アルベルト。母親が我が子の晴れ姿を見たいと思うのは、そんなにいけない事なのかしら」
感情に訴える方向に舵を切った王妃に、宰相の目が僅かに細くなった。
宰相は王妃から目を離さず口を開く。
「女王陛下」
隙を見て、そっと席から立とうとしたエリスを宰相は声だけで制した。
「……こっそり行くわ」
「お止めください」
「誰にも迷惑はかけないから」
「陛下」
「リゼットが壇上に立つところだけ」
「陛下」
「……」
耐えきれなくなったのか、エリスが立ち上がる。机に積み上げられた書類が宙を舞い、室内に控えていた騎士たちが、一斉に姿勢を正した。
エリスが騎士らを視界に納め、身構える。
「私を止めるつもり?」
「いざとなれば。しかし」
宰相が一旦言葉を切る。
「リゼット王女殿下の為、御自重なされるものと信じております」
「…………」
「陛下方が本当に殿下のためを思われるのであれば、本日はここでお戻りを待つべきです」
エリスは今度こそ諦めたのか、構えを解いた。
*
「アルベルト」
「はい」
「入学式はもう始まった頃かしら?」
「……」
「リゼット、今頃どうしているでしょうね」
「……」
「壇上に立っているのか?」
「……」
「緊張していないといいのだけれど」
「…………」
宰相は静かに目を閉じた。
やはり、別の場所に集めるべきだったかもしれない。
同時にふと、宰相の脳裏を過ったのは、最初に排除できた厄介者の筆頭補佐官の顔だった。
——彼を真っ先に城から追い出しておいて正解だった。
三人の視線が、時計へ向かっている。
その気持ちだけは、宰相にも理解できた。
今日という日は、王女殿下にとって大切な日なのだから。




