第2話 王女、入学する2
サンクチュアリ王立学園。
今日から始まる、新しい生活へ。
少なくとも、このときのリゼットは今日が、少し不思議な一日になるなどとは思っていなかった。
*
入学式は、滞りなく進んだ。
リゼットは王女として壇上に立ち、多くの視線を受けながらも挨拶を終えた。
入学式を終えると振り分けられた教室に移動し、教師の説明を聞き、そこで終われば良いのだが、リゼットにとってはここからが本番だった。
席を立とうとしたリゼットの前に行列ができ、仕方なく座り直した。
それを確認したミーナとレオンが何事かを話、頷き合うのが見える。
礼をし、挨拶する貴族の子女たちに笑顔で如才なく応えたと思う。
その結果。全てが終わった頃には、リゼットは疲弊していた。しかし、それを表に出さないのも王族の務めだ。リゼットは伸ばした背筋と凛とした表情を意識する。教室を出るとレオンとミーナが素早くリゼットの側に付いた。朝よりも距離が近いのは、馬車留に到着するまでの間に接触を試みようとする生徒達がいるからだろう。
廊下を歩いているだけでリゼットは視線を集める。大人と違って生徒達は好奇心を抑えきれない。特に平民や低位貴族の視線は不躾なものが多い。高位貴族はある程度弁えているが縁繋ぎに近づこうと必死だ。それをレオンが視線で、ミーナがさり気なく遮り守ってくれている。
人が途切れたタイミングでミーナがそっと声をかける。
「お疲れでしょうか」
「……少しだけ」
リゼットの「少しだけ」を信用していないミーナは護衛のレオンを見る。
レオンも周囲を確認しながら、静かに頷いた。
学園の構造は前以て頭に叩き込んである。レオンは校舎から馬車留めまでの最適なルートを模索する。
「馬車留めまで遠回りになりますが、人の少ない道を選びます。途中、図書室を通りますのでそこで一度、休憩を取りましょう」
「お願いします」
リゼットは力無く笑った。
*
人の多い廊下を離れ、少しずつ、生徒の声が遠くなる。
やがて、図書室へ続く静かな一角に辿り着いた。
「殿下、ここで少しお休み下さい。今日は入学式ですので。今のところ人の気配もありません」
図書室の中を覗き、確かめた後にレオンが提案する。
「迎えの馬車は一度城へ戻らせました。時間を置いてもう一度迎えにくるように伝えております。帰りは多少遅れますが、これだけやれば待ち伏せる者もいないでしょう」
「レオン、ミーナ、ありがとう」
図書室の中は静かだった。
それだけで、肩の力が抜けていく。
レオンとミーナはリゼットが視界に入る位置にいる。
何かあれば、すぐに駆けつけられるぎりぎりの距離だ。
それでも一人で自由に歩ける事にリゼットは張り詰めていたものを吐き出した。
「……落ち着く」
リゼットはゆっくり広い館内を歩いてまわった。
そして――。
「……あら?」
空気が僅かに変わったような気がした。不思議に思い、改めて辺りを見渡すと書架の奥に一つの扉があった。
「こんなところに、扉……?」
妙な扉だった。何が、とは具体的に言語化できないものの、少し不自然に感じながらもそっと近づく。
さっきまでなかった筈なのに、何故か最初からそこにあったような気もする。
扉に近づき耳を澄ましてみる。
「誰も、いないのかしら」
リゼットは少しだけ迷った。
勝手に入るのは良くない。けれど、誰もいないのなら、人の視線のない場所で休みたい。
「少しだけ、覗いてみるだけなら……」
小さく呟いて、リゼットは扉へ手を伸ばした。
取っ手に触れる。鍵がかかっているようには感じない。
取っ手を捻ると扉は何の抵抗もなくゆっくりと開いた。
同時に図書室とはまた違った、古い本と紙、そしてインクの匂いを含んだ落ち着く空気が流れ込んでくる。
そこは静かな空間だった。来客用ソファとテーブル、その先には、山と積まれた古書や古文書。
奥には年季の入った執務机。
「……誰も、いませんか?」
リゼットはそっと中へ足を踏み入れた。
そして部屋の窓辺に立つ、濃紺の髪を弛く束ねた青年を見つけてしまった。
青年の青灰色の瞳がリゼットへと向けられる。
リゼットは思わず口元を押さえた。
とても美しい青年だった。二十代後半に見えるが纏う雰囲気は長い時を重ねた夜の静けさのようだった。
「君は……」
人間離れした空気に呑まれ、我に返ったリゼットは慌てて頭を下げた。
「勝手に立ち入ってしまい、申し訳ありません」
王族は安易に頭を下げるものではないと教わったリゼットだが、ここは学園であり、入学したからには一人の生徒でもある。
不調法を働いたものとしては頭を下げるべきだと素早く判断した。
「本日中等部に入学いたしました、リゼット・フォン・サンクチュアリと申します」
「ふむ……、貴女の事は私の耳にも届いている。王女殿下と呼んでも?」
「はい、如何様にも」
青年はじっと興味深げにリゼットを見つめていた。
「私はルシウス・アステルだ。特任講師として高等部で魔法史を担当している。中等部ではたまに行われる特別授業の講義を受け持つこともある」
ルシウスは一旦言葉を切った。
「ちなみにここは私の研究室だ」
「研究室……」
リゼットは改めて失礼にならない程度に室内に目をやった。
雑然と積み重なった本や古文書。棚には魔道具らしきものが無造作に置かれている。けれど、動線や家具回りがさりげなく確保されているのは本人だけでなく、多少の人の出入りがあるのかもしれない。
「は、はい。勝手に立ち入ってしまい、重ねてのお詫びを申し上げます。あの、アステル先生とお呼びしても?」
「……」
リゼットは恐る恐る聞いてみるが、ルシウスは無言だった。
王城ではそうだったが、教師の呼び方はそれぞれだ。姓で呼ばれる事を好まず、名前で呼ぶように言う教師もいれば、姓で呼ぶよう指示する教師もいる。前世の記憶はあまり宛にしてはいけない。「あちら」には厳格な身分の壁というものが存在しないので、参考にすると思いがけないところで痛い目を見る。
ともあれ、声をかけたとは言えノックもなしに無断で入り込んだのだ。名前呼びは失礼かと思い、姓で呼んでみたが、逆にそちらのほうが失礼だっただろうか。
ドキドキしながら待っていると、
「それでいい」
ルシウスは表情を動かすことなく肯定した。
リゼットはほっと胸を撫で下ろす。
「ところで君はここへはどうやって?」
「人目を避けて馬車留めに向かう途中、人気ひとけのない図書室で休憩をと……」
「そうか、随分疲れているようだな、そこに座り給え。時間はあるのだろう?」
「は、はい!」
「少し待っていなさい」
リゼットが指し示されたソファに浅く腰掛けるとルシウスがどこかへと姿を消す。程なくして良い香りのするトレーと共にルシウスは姿を表した。その手に持ったトレーをリゼットの眼の前に置く。そこには紅茶と菓子が並んでいた。
「どうぞ」
「いただきます」
恐る恐る手を伸ばし、紅茶にそっと口をつける。
「おいしい」
リゼットはほっとした息といっしょに言葉が溢れた。
「それは良かった」
ルシウスは小さく笑った。
それだけで先程の硬質で静かな雰囲気とは打って変わって柔らかくなる。
「好きに過ごし給え。私も好きにする」
そう言ってルシウスはリゼットの事情を詮索する事なく、一冊の本を手にとり読み出した。
常に視線にさらされ、気にかけられ、世話をされるのが当たり前だったリゼットは面食らった。だが、初めての体験だったが、放って置かれるのは不快ではなかった。
部屋の中は静かだった。
ルシウスの本のページをめくる紙の音と時計の秒針が刻む音だけが響く。
リゼットにとっては心地よい時間だった。
紅茶を飲みつつ、リゼットはそっとルシウスを盗み見る。
内心でこっそりゲーム知識を漁ってみるが、該当する人物は思い当たらない。
隠しキャラかと思ったが、1期、2期含めて該当しない。
そもそも、授業はミニゲーム方式で学力のパラメータを上げるに過ぎず、教師や講師の名前など、担任教師以外は出て来ない。これだけキャラ立ちした容姿でかけらも存在を示唆されなかった事が不思議だった。
紅茶とお菓子を食べ終えるとリゼットは再び頭を下げた。
「ごちそうさまでした。アステル先生」
「ああ、出口はそちらだ」
ルシウスはリゼットの入ってきた扉を指し示した。
まるで、別の出口もあるような口ぶりに辺りを見渡すが、扉は指し示された背後のものしか見当たらない。
しかし、そこには深く触れず立ち上がる。
「ああ、それと」
扉の取っ手に触れたリゼットに思いつきのように声をかける。
「ここは特別な場所だ、君にはここへの自由な立ち入りを許そう。避難場所は必要だろう。疲れたらいつでも来なさい」
リゼットは目を見張った。それはつまり、リゼットを招き入れてくれたという事だろうか。
「外の二人には扉の前で君を待つ事を許す。扉には私が許した者以外、誰も気づかない。無論、扉の前に立つ者にもだ。」
静かな嬉しさが胸を満たす。そして柔らかく笑った。
「ありがとうございます」
ルシウスはちらりとリゼットを見た。
そしてすぐに本へと視線をもどす。
「行き給え。君のお守りが待ち構えている」
「はい」
リゼットは取っ手をひねり、扉を開いた。一歩外に出た瞬間、匂いの質が変わった。
あの部屋に入る前の空気の変化が今度ははっきりとわかった。
(不思議……)
本と古文書。図書室と置いているものは同じ筈なのに、似ているようで全く空気が違う。
「殿下!」
顔を上げるとそこには顔色を悪くした、心配げなミーナとレオンがいた。
*
その夜、家族揃っての晩餐でリゼットは学園での出来事を一部始終を話した。
その際に、たまたま迷い込み、親切にしてもらった、高等部の「アステル先生」の話して聞かせたところ、前国王夫妻の表情が凍りつき、エリスの視線が厳しくなったのをリゼットは不思議そうに見つめたのだった。




