幕間 書記官は踏み外す
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その日、サンクチュアリ王国女王が最も信頼を寄せる7人に、密かに深夜、招集がかけられた。
執務机に肘を立て、祈るように組まれた指の上に口を乗せた姿勢で7人を見据える女王。その傍らには、特別に呼ばれた、やや顔色の悪い若い書記官が所在なげに立たされている。
書記官は、独身で貯金以外趣味のない己が身を嘆いた。
家に帰ってもやる事がないので先輩方の仕事を引き受け、黙々と仕事をこなしていれば、気づけば一人だった。
慌てて帰り支度を始めたところに、何故か女王陛下が直々においでになったのだ。
全ては女王から発せられた、「書記官なら誰でもできる簡単な仕事」と「特別手当」という甘美な響きに釣られた自分が悪かった。
あれよという間に連れて来られたのは夜の執務室。そして7人の顔ぶれが揃った頃には、夜もすっかり更けていた。
女王の信頼厚く、いずれは国を支える柱と有望視される7人が、人目を忍ぶように集められたのだ。
まだ表には出せない、国の今後を左右する決め事が為されるに違いない。
そんな場に彼は書記官として立たされている。
3級書記官になってまだ間もない彼が、である。話し合いの内容を書きとる作業と言えば大したものではないかもしれないが、1文字のスペルミス、ニュアンスの取り違えで意味合いは大きく変わる。
特に今回のような重大な話し合いであれば、特級、もしくは1級書記官が妥当である。
内容にしたって、底辺の3級書記官が聞いていい筈がない。
「では、これより定例報告会を開きます」
宰相の筆頭補佐官の立場に就き、この定例会で進行役を務めるシエル・ランバートが開始を宣言した。
始まった!
彼は緊張で震える手でペンを握り直し、自身の耳に全力で集中した。
「議題は『リゼット王女殿下に関する報告と健やかなる見守り方針について』」
「………………えっ?」
なんて?
書記官は無意識にペンを止め、脳内に届いたその内容に思わずシエル・ランバートの涼やかな顔を凝視した。
「聞き取れなかったか? 議題は『リゼット王女殿下に関する報告と健やかなる見守り方針について』だ」
至極真面目な顔で議題を繰り返す筆頭補佐官からは、冗談を言っている気配は感じない。思わず他の6人の顔を確認するが、誰一人表情を崩す事はなく、直立不動の姿勢で立っている。
女王を見る。
こくり。
肯定を返された。
「あ……、ハイ。失礼いたしました」
書記官は口を閉じて、何事もない風を装って書板に向き直った。
「続けます」
宰相補佐が続行を宣言する。
女王は、両手を組んで口元を隠した姿勢を崩さずに7人を見据えている。
「まずは報告を」
「はっ」
重々しく発せられた言葉に、王室御用達の品を扱う大商会の次期頭取、フェリクス・グランが応える。
「例のモンクレール家令嬢の件以降、リゼット王女殿下は中等部内では特に大きな問題を起こす事もなく……」
「フェリクス」
たかが名前一つ。されど名前一つ。
報告を遮り咎める響きに書記官の筆が止まり、フェリクスの喉が鳴った。
「リゼットが……、あの可愛い妖精さんに問題がある筈がないでしょう」
静かな、けれど確かな圧の込められたその言葉に、フェリクスの背中を冷や汗が伝う。
「もし、あの子に関して問題が起こったなら、原因は周囲の者どもよ。お分かり?」
「はっ! 失言でした! 申し訳ありません!」
「よろしい。報告を続けなさい」
「はっ」
よろしい筈がない。
思わず出かけた言葉をぐっと飲み込み、書記官は筆を握り直し、滑りまくる目を動かして文字を追う。
「リゼット王女殿下は授業にも真面目に取り組み、ご学友との交流も楽しんでおられるようでした。殿下と特に親しくしている令嬢はヴァレンティア公爵家とその寄り子であるベルフォード伯爵家。最近はローディア子爵家の令嬢とも親しくしているご様子。そして、こちらが証拠映像です」
ことり、と置かれた虹彩を含んだキューブ。
それをエリスは手に取り、ランプの灯りに翳して確認をとると、自身の手元に引き寄せるように置いた。
「よろしい」
満足げなその言葉に、フェリクスはそっと胸を撫で下ろした。
裏取引のようなやり取りに書記官は震えた。
盗撮、などという表現は使ってはいけない。
これはあくまでも権力を握った姉が可愛い妹を見守る為の行為だ。
書記官は自分に言い聞かせる。
権力コワイ……。
そして、さらに女王の口から吐き出された不穏な言葉に書記官の手が震えた。
「さて、次はモンクレール公爵家を即座に潰すか、時間をかけて潰すか、という話になるのだけれど……」
「お待ちください女王陛下」
挙手したのはクラウス・フォン・セルディックだった。セルディック公爵家嫡男。
その優秀さは他の高位貴族の中で頭一つ分抜けており、王配の最有力候補と目されている男だった。
書記官は心から安堵した。
さすがに議題があまりにも不穏すぎた。先ほどのフェリクス・グランの報告で、学園で王女殿下に何かマズい事をモンクレール公爵家のご令嬢がやらかしたのだと察せられた。
それでも公爵家は王家に次ぐ権力の持ち主である。公爵家を潰すなど、口で言うほど簡単な事ではない。
「何かしら、まずは当主の首が先か、娘の首が先かという話で」
思考があまりにも蛮族すぎる。
「ですのでお待ち下さい、女王陛下。王女殿下の御ためを思えばこそ、私の意見をお聞き下さい」
クラウスの発言はこの狂気じみた場に於いて、あまりにもまともだった。
「良いでしょう、言ってみなさい。クラウス」
エリスの目がキラリと光る。
「陛下はリゼット王女殿下に対して、少々過保護にすぎるのではないでしょうか」
まさにその通り。
書記官は心の底から同意した。なんならやりすぎまである。
「ほう、続けなさい」
「はっ。私めが愚考しますに、リゼット王女殿下もまた、サンクチュアリ王家の一員。陛下に及ばずとも強さもまた必要。現に、今回はモンクレールの小娘に王女殿下は王家としての威厳をお示しになりました」
「そうね。私も何度もあの場面を再生したけど見るたびにリゼットの成長に号泣しているわ。お父様もお母様も泣いて喜んでらしたわ」
家族ぐるみだった。
「左様でございます。私も涙腺が緩むのを堪えるのに苦心いたしました。この先もこういった事はございましょう。囲い、危険から遠ざけるばかりでは、いざという時、御身一つで王女として立てる強さをも奪ってしまう可能性がございます」
「つまり、何が言いたいのかしら?」
何か、聞いては行けない台詞も混ざっていたが、リゼット王女殿下にとっても良い流れになっているのではないだろうか。公爵家嫡男の発言に書記官の期待が高まる。
幾分か余裕が出てきた書記官は、やり取りをサラサラと書き連ねる。
「はっ、率直に申し上げます。自立心を育てる事で、たおやかで愛らしいご様子だけでなく、もっと強気や我儘なリゼット様のお姿を堪能する事ができるのではないでしょうか」
それだけ言って、クラウスは背筋を正して口を閉じた。
書記官の筆も止まった。
何言ってんの、公爵家嫡男。
室内にしばしの沈黙が降りた。
エリス女王の様子を窺うと、俯き無言になっていた。一拍置いて筋肉が膨張したと同時に覇気が発せられた瞬間、エリスの瞳がカッと見開かれた。
「クラウス……」
語尾が僅かに震えていた。
書記官も全身が震えていた。
「はっ」
公爵家嫡男の返事は揺るぎない。
「その案、採用!!!」
「有り難き幸せ!!」
静かに成り行きを見守っていたシエル・ランバートが、そっと目を伏せた。
「書記官」
「はい」
「陛下のご聖断をしかと記録するように」
「…………承知しました」
この場に、まともな人間が誰一人として存在しない事が明白となった。
「ただし!! 中等部在籍中の3年間は現状維持とします!!」
「無論にございます。リゼット王女殿下は新しい環境に順応する途上にございます。限られた期間だからこそ増す尊さもあるというもの。今はこの瞬間の懸命な王女殿下をご堪能いただくのが最良かと」
「クラウス、あなたはよく分かっているわね」
悦に入る女王陛下。
そして何処か悔しげな雰囲気を漂わせる、国の中枢を支えるであろう6人。
書記官のペンを握る指に力が入り、乱れそうになる文字を必死で整える。
なんっっっっっっでだよ!
書記官は口をしっかりと閉じたまま、心の中で突っ込んだ。
その後も議論は続いたが、クラウス以上の良い案は上がらず、お開きとなった。
翌日は女王陛下の計らいで書記官は一日休みをもらい、その翌日には清書した議事録を執務室まで提出に行き、深夜残業分と口止め料を上乗せされた「特別手当」を頂戴した。
何気に、噂に聞く闇バイトに手を染めてしまったような罪悪感と後ろめたさと共に受け取った「特別手当」からは、ずしりとした別の重みも感じていた。
もう二度としない。
残業もしない。定時上がり厳守。用事がなくても家に帰る。
絶対にだ。
書記官は固く心に誓った。
そんな書記官の決心を他所に、迅速かつ、きちんとした議事録にまとめ上げられたそれに目を通した女王陛下から再びお声が掛かるのは、また別の話である。




