運ゲーム
「最初に警告させていただきますが、これより、プレイヤー間での相談の一切はお控え頂くようにお願いします。簡潔に申し上げて、会話の禁止です。言葉を発さずとも、なにか意思伝達と捉えられるような行為が発覚した場合、そのプレイヤーは脱落扱いとなりますのでご注意ください」
エクストラオーディションは、篠宮さんのそんな注意喚起から始まった。
時刻は、もうすぐ八時半を回ろうとしている。
そういえば朝食を摂っていないが、お腹が空いている感じはしなかった。朝食は抜きになるだろう。
篠宮さんが注意事項を伝達している間に、安住さんが紙とペンを配り歩いていた。
私も、それを受け取る。
紙は開いてみるとただの白紙だった。二つ折りにされたユポ紙。新雪のような空白が、なにか暗示的にそこに広がっている。
「再度になりますが、皆様には籤引きを行っていただきます。お配りした紙に、皆様自身で〇、あるいは×をお書きください。それをこちらで回収し、よく混ぜた後に皆様に引いていただきます」
安住さんがラウンジの端から箱を持ってきた。なんの変哲もない段ボール箱。私たちが第一オーディションで使った物かもしれないし、まったく無関係なものかもしれない。
なんにしても、あのどこにでもありそうな段ボールが、私たちの運命を決定づける籤箱となるわけだ。
「籤引きで〇と書かれた紙を引いた方は合格。×と書かれた紙を引いた方は不合格です」
ここまで来て、最後の最後でただの運ゲー。
なるほど時の運を測るのにこれほど優れたやり方はない。
……いや。
違う。
このゲーム、ゲームとして成立していない。
なぜなら、×を引いた人間が脱落となる以上、プレイヤーは少しでも×を引く確率を下げようと〇を書くからはずだからだ。全員が〇を書いてしまったら、それはハズレのない籤引きとなる。
だから、ゲームのルールがこれだけのはずがない。
「ただし――」
ほら、やっぱり。
種明かしの時間だ。
「全員が〇の紙を引いた場合、全員を脱落といたします」
一瞬だけ、騒然とした。
私たちは息を呑んだ。言葉を発しなかったのは、相談禁止のルールがあるからだ。その意図がなくても、意思疎通の意図があったと捉えられてジャッジキルされてはたまったものではない。
「また、用紙に傷や折り目などの目印をつける行為も不正行為とさせていただきます」
篠宮さんはのっぺりとそんなルールを付け足した。
そんなことはどうでもいい。
全員が脱落?
全員脱落させるわけにはいかないから設けられたエクストラオーディションで、全員脱落のルールが存在しているのは、矛盾ではないだろうか。
「………」
矛盾では、ないのか。
皆の表情を見て理解した。
この全員脱落のルール、基本的には意味がない。なぜなら、絶対に誰かは×を書くからだ。
全員が〇を書いたら、籤運関係なくその時点で脱落が決定する。しかし×を書けば、最低限籤引きまでは持っていける。〇を書くなら周囲が〇を書かないことを祈ることになり、×を書くなら×を引かないことを祈ることになる。
どちらにしても結局は運だ。
ただし、×を書くなら自力の運にできる。
もちろん、全員がその思考をして全員が×を書いたら、それは全員が〇を書いたのと同じことになるわけだが、そうはならないだろう。そうはさせない。私は〇を書く。
このゲーム、ひとりだけが×を書くのが最も全体の被害を小さく済ませることができる。
ただ、相談が禁止されている以上、それは非常に難しい。
ならば読み合うしかない。
出会って一日も経っていない彼女たちの性格を推理して、その紙になにを書くのかを考える。それが、この運ゲーに介在する唯一のプレイングだ。
蹴落とし合いのゲームに見せかけて、その実、お互いの考えを予想し合い、×の数を最小限にするという協力要素が、この『運ゲーム』の根幹をなしている。
「ルール説明は以上となります。それでは皆様、○、または×をお書きください」
私はボールペンをノックして、紙に小さく〇を書いた。
そして紙を折り目どおりに畳んで、安住さんに渡す。
実際には五分ほどしかかからなかったであろう準備作業も、私には悠久の時に思えた。五人の紙がすべて段ボール箱に入ったとき、私は知らず知らずのうちにシャツの胸の部分を強く掴んでいた。
「それでは、『運ゲーム』を開始いたします」
私たちは思い思いに箱から紙を引き出した。
順番は関係ないが、カレンちゃん、荊木ちゃん、私、うづきちゃん、淡雪ちゃんの順番だった。
手にした紙を閉じたまま、目を閉じる。
祈ること。
今さら遅いと自覚しつつ、私は神に祈った。
こんなことは初めてだった。神を信じたことはない。祈りを捧げたこともない。受験の合格発表だって、ここまで真摯に祈ったことはなかった。
今さらになって、後悔が押し寄せる。
なにか、確実にこのオーディションを突破する奇策が存在したのではないか。もっとやれることがあったのではないか。
そんな不安を甘く息に溶かして、吐き出す。
そして目を開けて、紙を開いた。
そこに書かれていたのは、
「……まる」
だった。
少し線が歪んでいるが、それはどう見ても×には見えず、つまり〇で間違いないということだ。
胸の内側から、なにかが溢れてきそうになった。
だけど、快哉を上げるのはなんとか堪えた。
私が〇を引いたということは、つまり、×を引いた人間がいるということなのだから。
剣道ではルールで勝ってもガッツポーズを取ることが禁止されているという都市伝説を聞いたことがあるけど、今の私は、ルールに明記されていなくても、そんなことをする気分にはなれなかった。
結果だけを無感情に書こうと思う。
私とカレンちゃんとうづきちゃんが〇を引き、淡雪ちゃんと荊木ちゃんが×を引いた。
それだけだった。
それだけのことで、運命は決した。たかだか運によって、決してしまった。無感情に、無感動に、籤を引いただけのことで。
その無情さに、腹立たしい感情を抱かないわけではない。
だけど、私は本人そっちのけで怒りを露にするほど、頓珍漢な女ではなかった。
「ちっ、×か。いいとこまでいっただけに、悔しいわ」
「悔やむ必要はありませんよ、アザミさん。あなたの勇気は私が連れていきます。アザミさんが死んでも、アザミさんの意志はわたしの中で生き続けるのです」
「ふざけんな」
アザミちゃんはニヒルに笑った。
「ま、しょうがないか。運だけは自分じゃどうもできない。死ぬわけじゃないし、生まれ変わったと思って、また音楽やるよ」
「はい。応援してます」
「ウチも、あんたのこと応援してる」
「ええ。草葉の陰で見守っていてください」
「なにがなんでもウチのことを殺そうとするな」
アザミちゃんはカラカラと笑った。
サバサバとした彼女によく似合ったドライさだった。
そんな彼女を見て、それほど熱意がなかったのかな、と勘繰るのはお門違いだ。下種の勘繰りですらある。彼女には彼女の情熱があった。間違いなく。そのことを、私たちだけは忘れてはいけない。
そしてそれは、淡雪ちゃんも。
「ざまあないね、あたし」
淡雪ちゃんは自嘲気味に呟いた。
その表情に僅かな笑みが見て取れるのは、錯覚だろうか。それとも……。
「人を貶めようとするから、あたし、籤引きで負けちゃったんだろうな。神様ってちゃんと見てるのね」
「神様はなにも見てませんよ」
答えるは、うづきちゃん。
その声音にいつだかのような攻撃性はない。堪えるような悲痛さが、声の裏側に張り付いている。
「わたくしが通過したんですから」
「流流ちゃんのこと、ちゃんと見てたから神様は〇をくださったんじゃない?」
「だとしたら、神様は見る目がありませんね。わたくしと淡雪さんの間に差なんてなかったというのに、わたくしたちの結果に差をつけるなんて、節穴だとしか言いようがありません」
「そうかな?」
「そうです。今だから言いますけど、わくしたちは結構似ているところがあると思います。だから、その……衝突も、あったのだと思いますし。所詮は運です。神様なんていう、どこの誰とも知らない奴の意思なんて、関係ありません」
励まそうとしている、のだろうか。うづきちゃんなりに。
だとしたら、不器用がすぎるというものだと思うけど、しかしその不器用さにほっこりとしてしまう私がいるのだった。
「わたくしは×を書きました。淡雪さんか荊木さんが引いたのは、わたくしが書いた×です。恨んでくれて構いません」
「恨まないよ。あたしが引いたこの×、あたしが書いたものだもの。筆跡でわかる」
「そう……ですか」
「そうよ。自業自得。流流ちゃんは否定するのかもしれないけど、あたしはやっぱり、天命ってあると思うの。お腹に命を宿すあたしは生まれ変わるべきじゃないって、神様が言ってくれたんじゃないかって……そう、勝手に思っておくことにするわ」
淡雪ちゃんは淡雪のようにふわりとした声で言った。
そんな風に、綺麗に話を纏めないでほしかった。話はまだ終わっていないから。
そう、話はまだ終わっていない。
人生は続く。
VTuberになろうが、なるまいが。
転生しようがしまいが。
私たちは死ぬわけじゃない。ガワを手に入れても、そうでなくても、これからの人生はやっぱり地続きだ。これまでがこれからを作る。
淡雪ちゃんにもこれからの人生が待っている。
認知されない子供の出産と育児は目が回るほどに大変だろう。
そのことを、今の彼女はわかっている。ように見える。
荊木ちゃんも同じ。
私も、カレンちゃんも、うづきちゃんも同じ。
誰にも平等に厳しくて、誰にも平等に優しいこの世界を、私たちは生きていかなければならない。その残酷な事実を私たちは皆、受け止めて前へ進まなければならない。
誰かを蹴落とす覚悟がある人間だけが、上に登ることを許される。
それは、デビューした後も同じ。
ここで敗退した彼女たちのことを憐れんでばかりもいられない。
私も私で、これからがあるのだから。
「では、エクストラオーディション『運ゲーム』を終了いたします」
篠宮さんが、終了のゴングを鳴らした。




