本名当てゲーム 4
そうか、信じられなかったんだ、私のこと。
その表情を見て確信した。
そして、それは少し違うかもしれないと思った。
淡雪ちゃんが信じられなかったのは、きっと私のことじゃない。誰のことでもない。強いて言うなら、自分のことを信じられなかったのだ。裏切られるかもしれないという、自らの裡から湧く恐怖に勝てなかった。
そのことを責めることはできない。
だって、私も……。
「淡雪朋絵、淡雪巴」
篠宮さんは読み上げた、のっぺりと。
淡雪ちゃんのタレント名と、本名を。
彼女は跳ね上がったように顔を上げて、私を見た。
物盗りに遭った物盗りのような表情だった。
視線が絡み合う。彼女の乾燥した唇が、なにかを言いかける。そして辞める。それから、がっくりと諦めたように項垂れた。
「桧山さんと淡雪さんが脱落……?」
状況を理解できていないうづきちゃんが、吐息に混乱を雑じらせて呟く。
私は、首を振って答えた。
「まだ」
演出過剰ですよ。
そういう意味を込めた恨めしい視線を、私は篠宮さんに向ける。彼女はやはり無表情で、無感情で、無感動のまま、続きを口にした。
ひと息に。
「荊木アザミ、佐藤美緒。うづき流流、春日部弥生。カレン・ユースティティア、光井飛鳥」
名を呼ばれた三人が目を見開いた。
それはまあ、そうだろう。油断していたところで急に隠していた本名を暴かれたのだから、その驚きは、私や淡雪ちゃんを上回るものだったはずだ。
どこかで覚悟していた私たちとは違う。
完全な不意打ちだった。
「五名全員の本名が当てられましたので、五名全員の敗退となります」
「ちょっ、ちょっと待ってください!」
さあ、ここからが勝負どころだ、と内心で腕捲りをしていた私の覚悟を蹴散らすように、うづきちゃんが慌ただしい声を上げた。
その表情には混乱がありありと浮かんでいる。
そうは見えなかったけど、意外と不測の事態に弱いタイプなのだろうか。
以前は彼女のことをリーダータイプと称したけど、それはうづき流流のキャラクターであって、春日部弥生はそうではないのかもしれない。
そのどちらも、彼女であることに変わりはないのだけど。
「訳がわかりません。全員敗退? どうして?」
「全員の本名が当てられたからです」
「それはわかります! あた……わたくしが訊いているのは、どうして全員の名前が当てられているのかということです。少なくともわたくしは、自分の本名が洩れるようなミスは一切してません」
上擦った声は、次第に落ち着きを取り戻していった。
喋るうちに冷静になれる人間というのも珍しい。
想定外の出来事に弱く、声を半音高くして言葉を捲し立てる彼女が春日部弥生なのかは知らないけど、少なくとも、今の彼女は完全にうづき流流だった。
うづきちゃんは浅く呼吸をすると、私を見る。
「どういうカラクリか、教えてくれますか?」
「どうして私に訊くの?」
「空惚ける意味がありますか? 隠すつもりもないでしょう」
「そうだね……うん」
私は頷いた。
それか三歩下がって、ラウンジに集まった全員の視界に収めて、言った。
「私が皆の名前を書いた。悪いとは思ってる」
悪いと、思っているのだろうか。本当に。
思ってないかもしれない。
私は、ふと思い付いた『全員を脱落させる』という作戦に気分が高揚して、特に罪悪感もないまま皆の名前を用紙に書いた。
「どうやって、わたくしたちの名前を?」
うづきちゃんは声音を細かく震わせた。
その動揺が、声という形を伴って伝わってくる。
「それを説明するには、ちょっと昨日の話をしないといけないかな」
「あ、安住さん」
皆がカレーを作っていた頃。
私は玄関ホールで安住さんを呼び留めた。黄色いカーディガンの裾がふわりと翻って、彼女が振り向く。肩にかけていた黒革のトートバッグに着いていたキーホルダーが、ちゃらりと和音を奏でた。
「ああ、うちなさん。こんばんわ」
安住さんは茶髪を耳にかけながら微笑んだ。
やはり、どこまでも篠宮さんと好対照なスタッフである。
いや、スタッフではなくマネージャー、か。
その単語が、いつまでたっても舌に馴染まない。
「私になにかご用ですか? なにか困ったことがあったら、なんでも頼んでください!」
ない力瘤を作る仕草をする安住さん。
そういうボディランゲージの多さも、篠宮さんにはない表現力だ。
「えっと……今、みんなでカレーを作っているんですけど、安住さんたちも一緒にいかがかなって思って……一応、お誘いにきたんですけど」
一応、という単語に、私の性格が表れている気がした。
安住さんは雲間を抜けた太陽のように明るく笑って、それから、本当に申し訳なさそうな顔をした。
「それはそれは。ありがとうございます。でも、すみません。私たちスタッフは自分の食事を持ち込んでいるので。私も、お弁当を拵えてきたんです」
「あ、そうでしたか」
「せっかく誘ってもらったのに、申し訳ないです」
「いえいえ」
安住さんはぺこりと会釈をした。
どういう意味の会釈だったのか、私にはわからない。
彼女はそれから「では」と言って、振り向いて歩き出した。その背中を呼び止める。
「安住さん」
「はい、なんでしょう」
素直に振り向く安住さん。
「たしか、初めて部屋に案内してもらったとき、必要な物があったらどんな物でも用意するって言ってましたよね?」
安住さんは目を見開いたあと、少し妖しく笑った。
から、私はアタリを引いたのだと確信した。
「どんな物でも、というわけではありませんが、可能な物ならなんでもお渡しします」
「それは例えば、この輪廻転生プロジェクトの参加者名簿も、ですか?」
「もちろんです。でも、うちなさん、残念ですけど、参加者名簿に皆さんの本名は記載されていませんよ。タレントの身バレ防止に努めているのは、タレント本人だけじゃありませんから。皆さんの本名は資料には残していません。皆さんの本名は、篠宮先輩が記憶してるんです。あ、篠宮先輩の記憶を寄越せとか言うのは、ナシですからね?」
安住さんは胸の前で大きくバツ印を作った。
ダメを表現したかったのかもしれないけど、大きな胸を強調したような仕草にも見える。
いや、これはさすがに、ちんちくりん女の僻みだろうか。
「答えは篠宮さんだけが知ってるってわけですか」
「ですです。篠宮先輩に答えを教えてって言っても、無理だと思いますよ? なにせ堅物ですから。そこがカッコいいんですけど」
「まあ、そりゃあそうでしょうね」
篠宮さんに訊いただけで本名がわかってしまうなら、拍子抜けもいいところだ。
ゲームの答え合わせは篠宮さんが直々に行えばいいわけだし、タレントの本名を記載した資料がないのも、まあ、納得だ。
しかし、問題がある。
篠宮さんはどうして私たちの本名を知っているのか、という疑問だ。
それはもちろん、輪廻転生プロジェクトの書類選考のときに送った(であろう)応募用紙に本名が記載されているから、それを覚えてきたのだろうけど、しかしそれが本名である確証はどこにもないはずだ。
本当の名前ではない、かもしれない。
そんなことをする人間がいるのかは甚だ疑問だが、理論として、プロフィール欄に嘘を書く人間がいてもおかしくはない。実際、小説の新人賞の公募なんかではそういうことをする人間が幾らかいると聞く。
そして、もし運営側がタレントの本名を把握できていなかったら、この『本名当てゲーム』はゲームとして成立しない。
だから、なのだろう。
だから、本社で篠宮さんと初めて会ったとき、彼女は私の身分証を確認した。私はなんの気なくマイナンバーカードを提示したが、あれは、プロフィール欄に書かれた名前が本名なのか確かめるための術だったのだろう。
まあ、そんなことはどうでもいい。
重要なのは、だとするならば、この館にいるプレイヤーは全員、今、身分証を持っているということになることである。
「あまり時間があるわけでもないので、本題に入ってもいいですか?」
「どうぞ」
安住さんがニコニコと促す。
どうもその様子を見るに、私がこれからなにを言おうとしているのか察しているようだった。
話が早くて助かりそうだと思う反面、驚かせることができなくて残念だとも思う。
そんなどうでもいい感傷を腹の底に叩き落として、私は言った。
「私に『Ophiuchus』の鍵をください」
安住さんはまず、音が出ないくらい小さく拍手をした。
それから私を純粋な視線で射貫いて、小首を傾げる。
「さすがです、うちなさん。でも、あくまで個人的な興味でお聞きしたいんですけど、どうして『Ophiuchus』の存在に気が付いたんですか?」
「理由はありません。ただ、部屋の名前が十二星座に由来していると気付いた時点で思ってたんです。蛇遣い座はどういう風に使われているんだろうって」
蛇遣い座。
医神アスクレピオスをモチーフとした、南天に広がる五角形の星座。その領域を黄道が通過しているので、十三番目の星座とも呼ばれている。
「十二星座をモチーフとした館で十三番目の蛇遣い座の存在を無視するのはナンセンスな気がして……でも、二階の客室は数えても十二個しかない。隠し部屋がないことは淡雪ちゃんが壁を叩き回って証明してしまったし、一階にもそれに該当する部屋はない。そこで思ったんです、蛇遣い座――『Ophiuchus』は、部屋はないけど鍵だけ存在するんじゃないかって」
「なるほど」
「十二の部屋と十二の鍵。そこに十三番目の鍵が出てくるなら、その鍵の役割はマスターキーしかありえない――『Ophiuchus』の鍵は、マスターキーなんですね?」
安住さんは、正解とは言わなかった。
代わりのように、トートバッグに手を突っ込んでなにかを取り出す。
取り出したそれは、手の平サイズの宝箱だった。
「宝箱?」
「この中に『Ophiuchus』の鍵をしまってるんです」
「……ああ、なるほど。『頼めばどんなものでも用意してくれる』っていうのは、『宝箱探しゲーム』の攻略法だったんですか」
どうやら、タヌキの信楽焼を壊す必要は端からなかったらしい。
ただ、安住さんに「宝箱をください」と言えば、それでクリアできるゲームだったのだ。
「てことはやっぱり、『宝箱探しゲーム』は協力ゲームじゃなかったんですね」
「と、言いますと?」
「だって、『宝箱探しゲーム』でこの宝箱を最初に見付けた人はマスターキーを獲得できたってことでしょう? 私たちはカレンちゃんの横紙破りでクリアしちゃったけど、正規の方法でクリアしていたら、クリアした人はその後のオーディションを有利に進められるマスターキーを獲得できていたわけですから、つまり、『宝箱探しゲーム』は協力ゲームではなくて、同じチーム内での競争だったってことじゃないですか」
あるいは、チーム全員でマスターキーを発見してしまったらもっと最悪だ。
百万円の借金はなんとか等分できたけど、ひとつしかないマスターキーは絶対に等分できない。
「さすがですね、うちなさん。その通りです」
「その通りですって……」
「世の中で、競争じゃない仕事なんて存在しないんですよ。もちろん、社会にはチームで行う仕事もありますけど、そういう仕事はチームプレーと同じくらいチーム内での競争が大切なんです」
「VTuberも競争ですか?」
「VTuberこそ、です」
安住さんは断言するように言い切った。
そこまで力強く断言されると、こちらとしても両手を上げるしかなくなる。
なんにしても、マスターキーを無事にゲットできた。
そういえば、『狼ゲーム』で狼が勝ち残ったときに得るアドバンテージというのは、このマスターキーに関連することだったのかもしれない、なんて、ふと思った。
安住さんから受け取ったマスターキーは、白を基調としたカードキーだった。
普通のルームキーは黒を基調としたデザインだから、そこで差別化を図っているのだろう。裏面には磁気ストライプが、表面には『Ophiuchus』の文字が記されていた。
「ありがとうございます」
ともすれば無愛想ともとれる口調で言って、私はくるりと反転した。
二階へ続く階段に向けて踏み出した瞬間、今度は私の背中に安住さんの声がかかる。
「うちなさんはどうしてこの輪廻転生プロジェクトに?」
「……どうして、と言いますと?」
「いえいえ、別に嫌味じゃないです。うちなさんの性格は、そこまで配信者向きには思えなくて。それにうちなさんなら、この会社じゃなくても、もっと大手の事務所とか、あるいは個人勢として活躍することも不可能じゃなかったでしょう」
「昔から、過大評価を受けがちなことが私の悩みだったんですよね」
私なんて、大学受験に失敗しまくっているただの浪人生だ。そしてもはや、ただの浪人生ですらない。
ただの無職の二十歳だ。
「輪廻転生プロジェクトに参加した理由は、ただの成り行きです。ママが勝手に履歴書送っちゃったんですよ」
「でもうちなさん、それならどうしてまだここにいるんですか? 自分の意思で応募したわけじゃないなら、敗退したっていいわけですよね? あ、重ねて言いますけど、別に嫌味じゃないです。むしろ私は、うちなさんが勝ち残ってくれてちょっと嬉しかったり……あ、今の発言は他の方々には秘密ですよ? 特に、篠宮さんには。どやされちゃいますから」
「ははっ……」
「これは私の勝手な所感なんですけど、うちなさんは性根が歪んだタイプの人間には見えないんですよね。だから、訳もなく他人を蹴落とすタイプには見えません。マスターキーを手に入れてまでオーディションを勝ち残ろうとする理由、教えてくれませんか?」
「どうして?」
「私が個人的に、興味があるからです」
「………」
私がオーディションを勝ち残る理由は、負けたら路頭に迷うことになるから。
だけど。
本当にそうだろうか。嘘ではないだろうか。私は私を騙してはいないだろうか。
自分自身に問いかける。本当の心はどこにあるのだろう。胸の裡か、脳の裏側か。全身を浚って、そして見つけ出した泡のような答えは、それこそ息をするように自然と、私の口から零れ出てきた。
「理由なんて、簡単ですよ」
「というと?」
「VTuberになりたいからです」
「というわけで、皆がカレーを作っている間にマスターキーを使って皆の部屋に侵入して、皆の身分証を見せてもらったわけ」
昨晩の記憶を思い出しながら、端折って要所のみを全員に説明した。
全員、それぞれの困惑を胸に無言だった。
私の説明が上手くなかったのも原因としてあるかもしれない。
「ちなみにこれがそのマスターキー。これはもういらないからお返しします」
「たしかに」
篠宮さんはマスターキーを受け取って、それを安住さんに渡した。
安住さんがマスターキーを宝箱にしまうのを横目で見ながら、私は今度こそ勝負どころだ、と臍を固める。
「さて、篠宮さん」
「はい」
「ゲームのルール上、これで全員が脱落となるわけですよね?」
「その通りでございます」
「なら」
そこで言葉を一度区切って、唇をぺろりと舐めた。
「ならば、逆に全員通過とする、というのはどうでしょう?」
篠宮さんは反応を返さない。
相も変わらず能面のような表情で、私をただ見ている。
「この館の持ち主が誰なのか知らないですけど、この規模のオーディションを開催しておいて、通過者ゼロ名では会社としても大きな赤字になるでしょう?」
「痛手であることは否定しません」
「じゃあ、『宝箱探しゲーム』でカレンちゃんの奇策を認めたときみたいに、篠宮さんの権限でここにいる五人全員を合格としてください」
「ああ、なるほど」
カレンちゃんが手を打った。
「端からその交渉をするつもりで、全員の名前を暴いたわけですか。意外と賢いですね、うちなさん。意外と」
淡雪ちゃんが私の名前を書く可能性に関しては、予想していた。
このゲーム、他人の本名を暴くゲームであると同時に、それ以上に、自分の本名を守ることが大切なゲームだ。なぜなら、ルール上、本名がバレたら確実に敗退するから。防御の方法が存在しない。
淡雪ちゃんがもしも裏切るなら、私にこのゲームを勝ち残る手段は本来は存在しない。
本来は。
そこで、死なば諸共、という言葉を思い出した。
そこから着想を得たのが、今回の作戦だ。
全員を脱落させることで、逆に全員を通過させるという横紙破り。空箱を宝箱と認めてくれた篠宮さんなら、それくらいは認めてくれるだろうと信じての作戦だった。
だった、のだけど。
「残念ですが、それは認められません」
無情に、篠宮さんは言った。
「もしもその攻略を認めてしまったら、この『本名当てゲーム』、最初からお互いの本名を教え合って、お互いの本名を書き合えば全員で通過できたということになり、ゲームの趣旨が破綻してしまいますので」
身バレ防止のゲームを、あえて身バレすることでクリアする。
たしかにそれは、ちょっとタブーな横紙破りだ。
とはいえ、である。
「とはいえ、全員を脱落させるわけにはいかないでしょう」
「その通りです、うちなさん。そこで、特例として、私の権限でエクストラオーディションを開催させていただきたいと思います」
「エクストラオーディション?」
荊木ちゃんが首を捻った。
篠宮さんは頷く。無表情のまま。
「エクストラオーディション。題して『運ゲーム』。VTuberタレントとして必要な能力のひとつ、時の運を測らせていただくために、皆様には籤引きを行っていただきます」




