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本名当てゲーム 3

「えー、夜中にコーヒーですか? あまり健康によさそうだとは思えませんね。美容にもよくなさそうです。わたし、そうは見えないかもしれませんが、美容にはうるさいタイプなんですよ」


 カレンちゃんの第一声がそれだった。

 ラウンジの、テレビ前のソファでのことである。

 カレンちゃんとうづきちゃんと荊木ちゃんは、そこで一定の距離を空けて座っていた。余所余所しく、まるで他人のように。


 こう見えてもどう見えても、お前は美容どころか全方面においてうるさいタイプだろと思ったけど、生憎そこまで痛烈な言葉を吐ける性格に私はなかった。淡雪ちゃんも同じで、たじろいだように差し出したカップを震わせる。


「えっと……ゴメンね。じゃあ、紅茶でも淹れ直そうか?」


「いいよ、淡雪。こいつのことは無視して」


 荊木ちゃんが苦々しく吐き捨てて、淡雪ちゃんからコーヒーを受け取った。

 そのカップから白煙がくゆる。

 やけにコーヒーに似合う荊木ちゃんである。ブラックのままカップを傾けるその仕草は絵になる魅力があった。


 うづきちゃんは一瞬だけ淡雪ちゃんに視線を送ったあと、無言のままテレビを消した。

 うづきちゃんが視線を逸らしたあとに、入れ違いになるように淡雪ちゃんも視線を寄越す。そんな風にしてすれ違った視線は、また、すぐに逸らされた。

 彼女たちの和解も、今すぐにとはいかないようだ。


「こいつ? 撤回してくださいアザミさん。わたしのことを軽んじるような呼称は許可できません。尊敬か、あるいは信愛を込めた呼称への変更を要求します。数えるときも数詞は『柱』を遣ってください」


「あんたを数えることがないから却下。あんたのことは常に意識外に置くことにしたから」


「おやおや、照れますね。気も置けない仲だと言いたいんですか? 信愛を受けるのは悪い気はしませんが……申し訳ありません、わたしはそれほどアザミさんと仲良くなったつもりはないんです。勘違いさせてしまったのなら、ごめんなさい」


「ふざけんな。普通に無視するって意味で言ったの」


「だとしたら、本質というものをわかっていませんね、アザミさん。無視とは無意識に行うもので、意図的に行うものではないんですよ。意識しないようにしていしまっている時点で、もう相手のことを意識してしまっているんです。アザミさんも、既にわたしという魅力タレントの虜なのかもしれません」


 荊木ちゃんは答えず、優雅にコーヒーをひと口だけ啜った。

 有言実行。カレンちゃんを無視した形である。


「返す言葉もありませんか」


 豊かな胸を張ったカレンちゃんは、それからコーヒーを受け取った。結局受け取るんかい、とは思った。もちろん、口には出さない。

 淡雪ちゃんはコーヒーのように苦く笑うと、それからカップをうづきちゃんに差し出した。


「よかったら……」


「……はい。ありがとうございます」


 ふたりはまるで喧嘩明けの友人同士のように見えたし、実際そのようなものだった。


 ふと、これが最終オーディションであることを思い出した。

 これが終われば、全員デビュー。ならば、彼女たちはあのギスギスした関係のままデビューするのだろうか。うづきちゃんはプロ意識で関係の修復に努めそうだし、その逆があってもおかしくはなさそうだ。私は結局、うづきちゃんのことをなにも知らない。

 なにも知らないまま、デビューするのだろうか。

 うづきちゃんのことだけじゃない。荊木ちゃんのことも、カレンちゃんのことも、淡雪ちゃんのことも、ちゃんとは知らない。ちゃんとは知らないまま、私たちは同期としてデビューすることになるのだろうか。

 そんなことで、上手くやっていけるのだろうか。


「………」


 かぶりを振る。

 来年のことを言えば鬼が笑うと言う。先々のことばかり考えて目先の石に躓いていては仕方がない。


 なんて。

 考えないように意識すれば、それで頭の中から不安の種が去ってくれるなら世話はない。意識しないようにしている時点で、もう意識してしまっているのだ。一度覚えた不安は忘れてしまうことでしか払拭できない。

 忘れるって、どうやるのだったか。

 英単語ならいくらでも忘れることができるのに。

 忘却の山内とは私のことだ。

 そんな忘却の山内でも、息づいた不安の獣は忘却できない。歩き方を訊かれた百足むかでのように、意識して忘れろと言われると、かえってそのやり方がわからなくなってしまう。わからなくなって、より、深く刻まれてしまう。


「おや、どうしました、うちなさん」


「んぇ?」


「なにやら深刻なご表情をなさっていましたが。なにか不安事があるなら、わたしになんでもお聞かせください。同期のよしみで相談料は取りません。自慢ではありませんが、わたしは大抵の悩みは解決できますよ。なにせ、碩学鴻儒ですから。歩く大英図書館と渾名されたこともあります」


「そんなシャーロック・ホームズみたいな二つ名持ってるんだ……ド日本人なのに」


「シャーロック・ホームズ? はっ。あんな薬物中毒者とわたしを同列に扱わないでください。失礼ですよ」


「失礼なのはカレンちゃんだと思うよ」


「話は変わりますが、五指の中で薬指と中指が並んでいるのって、なにか示唆的だと思いませんか? 頭文字を取ったら薬中です。誰しも両手両足に薬中を飼っているのだと思うと、なんだか世界は平等だと思えてきませんか?」


「平等っていう言葉をそんな風に使わないで」


「ところで薬指は、どうして薬指と言うのでしょうね? 別に薬を飲むときに使うイメージはありませんが」


 話が脱線しすぎている……。

 最初は私の悩みを聞いてくれるという話だったはずだが、その話は彼女の記憶に微かでも残っているのだろうか。忘れているのだとしたら、是非、そのやり方をご教授願いたいものだ。


「たしか……薬を調合する指だって聞いたことがあるけど」


 カレンちゃんの疑問には、淡雪ちゃんが控えめな声で答えた。

 カレンちゃんは指を顎に当てて、小首を傾げる。


「調合する指? ……ああ、なるほど。薬指で混ぜるというわけですか。しかしでは、薬を調合するという概念が生まれる前は、この無用な指はなんと呼ばれていたんでしょうね?」


「それはわからないけど、薬指には、別で『名無し指』っていう名前があるって聞いたことはあるかな」


「名無しですか……なんだか物侘びしい呼び名ですね。いかにも必要とされていない感がバンバンに出ている呼称です。しかし、そう思うと逆に愛着が湧いてきました。誰も愛してあげない指なら、わたしが愛してあげないと嘘じゃないですか。これからは、薬指のことを一層可愛がってあげることにしましょう」


 訳のわからない話が訳のわからないところに着地した。

 薬指を可愛がるってどうやるのだろう、とか、そういうマトモなツッコミをしてくれそうな唯一の人である荊木ちゃんは、ただ今カレンちゃんを無視している最中だ。

 この気持ちの悪い話は、この気持ちの悪いオチで終わるらしい。


「しかし暇ですね」


 と、うづきちゃん。

 彼女はまだ、淡雪ちゃんが淹れたコーヒーに口を付けていない。


「テレビも地方テレビを有線で引っ張ってるだけみたいです。明日の天気くらいはわかるかもしれませんが、山の上ですし、アテになるかも怪しいところですね。バラエティーは期待するだけ時間の無駄です。現代っ子にこの空間で三日は息苦しいかもしれませんね。携帯電波が通じないのも厳しいところです。特にわたくしには。ポッの心はネットにあるので」


「そうマイナスにばかり考える必要もないんじゃねぇの?」


「荊木さん……」


「まあ、外との繋がりが断たれたのはたしかに答えるけど、別にウチらで時間を潰せばいいだけだし。遊戯室とかあるらしいじゃん。それから、バーカウンターも。酒飲める奴は?」


 私はおずおずと手を挙げた。

 もうひとり手を挙げたのは、カレンちゃんだった。


「わたくしは未成年なので」


「あたしは妊娠中だから」


 うづきちゃんと淡雪ちゃん。

 このふたりを残して皆で飲みに行こうとは、さしもの荊木ちゃんも思わないようだった。


「じゃあ、ま、酒は諦めるとして……遊戯室も明日以降でいいだろ。さすがに疲れてるし。ビリヤードとか久しぶりにやりたいけど、今日のところは体力がな……」


「ならば、このままコーヒー片手に女子会とでも洒落こむのはいかがでしょう。わたし、女子会得意ですよ。女子会でご飯を食べていけるくらいには。恋バナしましょうよ。恋バナ。それとも女の子らしく、この場にいない那由多さんの悪口大会でも開催します?」


「そんな女の子らしさは存在しない」


「ですか? 意外とあると思いますけど」


「あるかないかで言うと、たしかに意外とあると思いますが」


 うづきちゃんが答える。

 ケロッとした口調で。

 意外とあるのか……そうなのか。女子の世界って怖いな。


「しかしわたくしは、そして皆さんも星海さんの陰口は好まないでしょうし、ここはどうでしょう。懐かしのフロモンでもやりませんか?」


「フロモン? なにそれ?」


「え、荊木さん、知らないんですか?」


 知らなかったのは、荊木ちゃんに留まらず全員だった。もちろん私も知らない。彼女たちの反応を伺うに、どうやら女子の常識というわけではないらしい。

 異口同音に首を捻った私たちに、うづきちゃんは目を白黒させながら、


「え、え、学校とかでやりませんでした? フロリダモンスター、略してフロモン。自分の誕生日のフロリダマンを検索して、その狂気度で勝負するゲームですけど」


 と、駆け抜けるような早口で言った。


「……え、本当にやったことありませんか?」


「ごめん、まず、フロリダマンがなに?」


「アメリカのフロリダ州でおこる、奇妙奇天烈な犯罪を起こす人のことです。自分の常備のフロモンの強さでマウンティングとかしませんでした? わたくしが通っていた女子校では、はじめましての次の会話はこれと決まっていたのですが……」


 そんな狂気じみた文化が女子校の中には根付いているのか。

 自分がマイノリティだったことに、うづきちゃんが本気で驚いていたのだから驚かされる。


「ちょっと面白そうだからいっそやってみたいくらいだけど、ここ、ネット通じてないから無理だろうね」


「そうですか。わたくしは自分の誕生日のフロリダマンを暗記しているので、いつでも対戦できるのですが」


「イカれてやがる」


 荊木ちゃんがニヒルに言って、コーヒーを飲み干した。淡雪ちゃんがコーヒーサーバーを持ち上げて「おかわりは?」と訊く。荊木ちゃんが「ありがと」と答えた。


 そういうような他愛ない会話を、私たちは三時間ほど続けた。

 誰もが抱え込んだ孤独や不安に圧し潰されないように必死だったと思う。私たちはいつだってラウンジを出て自室に引き上げることができた。だけど、誰ひとりとしてそれをしなかった。それが、目には見えない、私たちの心の答えだったのだろう。

 このゲームを乗り越えたら、デビュー。

 その言葉が、どうしようもないほどに脳裡を鳴っていた。きっと皆そうだった。時計の針が回る毎、私たちは被った仮面の奥に緊張の感情を蠢かせた。


 やがて時間がきた。

 深夜零時。

『本名当てゲーム』が始まって、一回目の回答の時間である。

 篠宮さんは私たちの緊張とは裏腹にニル・アドミラリを体現したような態度でラウンジに現れて、私たちに一枚ずつ用紙を配った。

 そこには、ここにいる五人の名前が記されている。

 五人の、タレント名が。

 その横には空欄がある。ここに、彼女たちの本名を書けということだろう。


 先の三時間弱の会話の中で、うっかり自分の本名に繋がるような情報を落とした人間はいなかった。()()()()()()()()。だから、誰もここに正しい回答を書ける人間などいるはずがなかった。

 私と、淡雪ちゃん以外は。


「それでは皆様、用紙を持参して客室にお戻りください。後ほど回収しに伺います。開票の結果は明朝八時に、ここラウンジにてお知らせいたしますので、皆様におかれましては、どうぞごゆるりとお休みください」


 それを聞いた私たちは、三々五々、一階のラウンジから二階の客室に戻った。

 ラウンジから出ていく淡雪ちゃんに視線を送ったが、残念なことに視線は合わなかった。




 夢を見た気がするが、覚えていない。だから、夜は一瞬だった。


『Virgo』の部屋に帰り着いたあと、十分ほどして部屋を訪れた安住さんに用紙を提出して、それから私は泥のように眠った。

 目が覚めたのは、七時少し前。外は恨めしいほどに快晴だった。

 自分の家より寝心地がいいベッドからなんとか抜け出して、伸びをして、朝の支度を済ませる。時間がないのでパパっと。元より、私は女子にしては準備に時間があまりかからないタイプだ。


 寝癖を撫でつけながら一階に下りると、ラウンジには荊木ちゃん以外の全員がいた。

 淡雪ちゃんは眠れなかったように見えたが、それでも眠そうには見えなかった。うづきちゃんは変わった様子がない。もちろん、服装は変化しているが。カレンちゃんは髪型が変わっていた。昨日はポニーテールにしていたと思うが、今日は片編み込みにして、肩から後ろ髪を垂らしている。

 篠宮さんと安住さんは昨日と変わらない様子だった。着替えくらいはしているかもしれないが、フォーマルな服装は私の目では区別が付けられない。

 荊木ちゃんは八時の三分前に現れた。誰か呼びに行こうかと相談していたところである。そこにひょっこりと彼女は顔を出した。

 荊木ちゃんはまだ眠そうだ。半目で生欠伸をしている。パーカーは右肩から落ちていて、どことなくアンニュイというか、ダウナーというか、有体に言って、エロティックな気配を纏っていた。

 おはよう、という簡単な挨拶を交わす。


 そうしているうちに、八時になった。


「それでは、結果発表に移りたいと思います」


 篠宮さんが宣言する。

 息を呑んだのは、私だけだった。


「今から、本名を当てられた方のお名前を読み上げます。もちろん、名前を読み上げられた方が脱落者です」


 読み上げられるのは、どちらの名前なのか。

 タレント名なのか、本名なのか。

 そんなことは誰も訊かなかった。

 これからの展開を聞いていればわかることだし、そもそも、誰の名前も読み上げられない可能性だってあるのだから。

 そう。

 誰の名前も読み上げられない可能性が。

 全員で通過する可能性が。

 この一回目の回答の結果発表が、これから始まる三日間の共同生活の幕開けにすぎない可能性が。


 あったのだから。


 篠宮さんの真っ赤な唇が、視界の中で、スローモーションで動いた。

 彼女は告げる。その名前を。


「桧山うちな、山内妃奈」


 ルージュは私の名前を描いた。

 どちらの名前を読み上げるのかというのは、だから、やはり徒爾な疑問だった。どちらの名前も読み上げるのだから。

 桧山うちなと山内妃奈。

 どちらも、私の名前に違いない。


 私は、淡雪ちゃんを見た。

 彼女は青い顔をして視線を逸らした。

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