本名当てゲーム 2
まずは夕食を摂ろうということになって、私たちはキッチンに向かうことになった。『宝箱探しゲーム』で既に一度訪れている私が先導するようにして全員でキッチンに移動する。
キッチンは充実していた。
業務用サイズの冷蔵庫の中には食材が豊富に詰め込まれていて、パントリーの中には各種調味料やスパイス、乾麺の類まである。調理器具に関しても、名前もわからないような異国の包丁まで取り揃えられていた。
三日という時間で食事に困ることはなさそうだ。
「もうお腹もペコペコですし、今日のところは簡単にカレーでいいですかね。この中にカレーが食べられない頓狂な方はいらっしゃいますか?」
カレンちゃんがそう言いながら、固形のカレールーを掲げる。
カレーが食べられない人間が頓狂かどうかはともかく、この場にその人間はいなかった。
「いいでしょう。どうやらわたしの辣腕を奮うときがきたようですね。調理は私にお任せください。わたしの本名はカレー・ユースティティアです。カレーを作るために生まれてきたと言っても過言ではありません」
「今年一の過言だと思うけど」
「しかし、いくらこれだけの広さを誇るキッチンとはいえ、五人で調理となると少し手狭ですね。というか、それ以前にカレーを作るのに五人も必要ありません。精々三人いれば充分でしょう」
私はおずずと手を挙げた。
四人の視線が私に集まる。
「あの……私、料理できない」
顔から火が出るかと思った。
実家でママご飯生活を二十年続けてきた私である。料理に限らず、家庭的な能力の一切を有していない。驚くべきことに、ひとりでは洗濯すらできないのが山内妃奈というニ十歳の女の実態だ。料理も、包丁の使い方すらわからない。中学生のときに家庭科の授業で使ったのが最後だ。野菜を切るときは押すのだったか引くのだったかも思い出せない。
女子力なんてものに固執する年代の女でもないけど、しかし、一人前の人間としてできて当然のことができないのは普通に恥ずかしい。
私の告白を受けた四人が「そっか、なら仕方ないね」という表情で私を見るのも、より私の心を追い詰める。
「なら、そうですね……カレーは、わたしとアザミさんと流流さんで作りましょう。うちなさんと朋絵さんは食後のお皿洗いをお願いします」
さりげなく独断でチーム分けを行ったカレンちゃんだったけど、誰も文句は言わなかった。
淡雪ちゃんとうづきちゃんを別チームに分けた意図が私にはわかっていたし、私にわかったのだから他の皆にもわかっただろう。そういう細かいところでちゃんと気が利くところが、カレンちゃんの憎めない気質だ。
「カレーはどのくらい作ります?」
うづきちゃんが言った。
「篠宮さんたちの分も作った方がいいのでしょうか?」
「要らないんじゃない?」
荊木ちゃんが憮然と答える。
指がまた、習い性のエアギターを奏でていた。
「ウチらはゲームのプレイヤーなわけだし、運営側の人間の食事の世話をするのはおかしいでしょ。逆ならともかく」
「でも、食料がギリギリというわけでもないのに、あえて作らないのは意地悪なのでは? そもそもこの食料だって、篠宮さんたちが用意してくれたものでしょうし。恩には恩を返すのが飛天御剣流の神髄ですよ」
「受けた恩より返すべき仇の方が多い気がするんだけど」
荊木ちゃんがシニカルな口調で言う。
ここまでの性根の腐ったようなゲーム――オーディションの展開に、彼女も思うところがないというわけではないらしい。
私も同じ意見だ。
仇……と言われるほど、特別なにか直接的な危害を加えられてわけではないけど、それでも、運営に対してなにかを施してあげる気分にはなれない。私が作るというわけでもない料理を、分けてあげる気分にはなれない。
こんな調子で大丈夫なのだろうか。
もしデビューを果たしたとして、会社にこれほどの不信感を感じている状態でやっていけるのだろうか……いや、『もしデビューを果たしたとして』なんて、そんな皮算用はよそう。今はとにかく、目の前の事象を片付けなければならない。
「まあ別に、それに関しては余計に多く作っておけばいいだけの話でしょう」
カレンちゃんが戸棚から見つけたエプロンを着けながら呟いた。
「カレーは多めに作っておいて、篠宮さんたちが必要とするなら恵んであげればいいし、そうでないなら明日の朝ごはんにすればいいだけです。二日目のカレーは美味しいとも言いますし、ジャガイモを入れずに作ればカレーは腐りません」
「あ、じゃあ、篠宮さんたちには私が訊いとくよ」
調理で役に立たないどころか、皿洗いでも役に立たないことが目される私なので、ここは積極的に役割を引き受けにいった。
それにちょっと、やりたいこともある。
必死である、私も。
「じゃあ、あたしも……」
「ううん、淡雪ちゃんは休んでて。食事が必要なのか訊くだけだから、ひとりで行こうがふたりで行こうが変わらないし。妊婦には適度な運動が推奨されてるのかもしれないけど、過度な運動が許されているわけじゃないでしょ? 今日は色々あったし、食後には皿洗いが控えてるわけだし、淡雪ちゃんは食堂でゆっくりしてて」
「うーん……じゃ、お言葉に甘えちゃおっかな」
淡雪ちゃんは少し救われたような表情をして、愛想で笑って見せた。
夕食のカレーライスは三十分ほどで仕上がり、私たちはそれを三十分ほどで食した。
篠宮さんたちは、食事には参列しなかった。自分の食事は自分で用意してあるらしい。
だから、私たちは五人で食堂のテーブルを囲った。
カレーライスは家によって味が違うというのは俗説として有名だけど、それはそのとおりだった。使っているルーに違いがあるのかもわからないが、たしかに、ママの作るカレーライスとなにかが違う。ジャガイモが入っていないのも要因として大きいのかもしれない。
他の四人も、カレーには首を傾げていた。
美味しくないとはさすがに誰も言わなかったけど、違和感は覚えたらしい。「船頭多くして船山に上るってことですかねー」と、カレンちゃんが呑気にスプーンを揺らした。
付け合わせのサラダには、セロリが入っていた。
私は好き嫌いがそれほど多いというわけでもないけど、セロリだけは苦手だ。あの独特な苦みと香りをどうにも身体が受け付けない。
とはいえ、好き嫌いしているところを他の四人に見られるのも恥ずかしくて、私は必死に平気なふりをしてサラダを食した。名残るようなセロリの苦みが、いつまでも舌の上に残留した。
食後、食器は私と淡雪ちゃんで洗った。
カレーの付着した皿やカトラリーを軽く水で流してから、洗剤の泡立ったスポンジで擦って汚れを落とす。洗い終わった食器の水気を取るのは、淡雪ちゃんの仕事だ。
私たちは最初、黙々と仕事を続けていた。
気まずい空気があったのだと思う。
しばらくして、カレンちゃんたち調理班がキッチンに姿を見せないことを確信した淡雪ちゃんが、ゆっくりと口を開いた。
「カレー、美味しかったね」
「うん」
視線を向けることなく答える。
彼女にタメ口を遣うのは、実のところ、いまだに慣れてはいなかった。口に馴染まない言葉が水流の音に流されていく。
「うちなちゃんは、もしかしてセロリ苦手?」
「え、なんでわかったの?」
「わからない方がおかしいってくらい、嫌そうな顔してた。食べるときは平気なふりしてたみたいだけど」
「まあ、セロリは特別苦手。別に、野菜が苦手なわけじゃないんだけど」
言い訳がましく言った。
言ってから、野菜が苦手じゃないことをわざわざ主張することの方がよほど幼く、恥ずかしいことだと自覚して、首筋が僅かに熱を持った。
「わかるよ。好き嫌いって誰にでもあるよね。あたしも豆腐が苦手だもん。なにが嫌いなのってよく聞かれるんだけど、大豆の匂いが気になるんだよね。まあ、嫌いっていうか苦手なだけで、食べられはするんだけど」
「豆腐って……大豆の匂いする?」
「にがりの匂いかな? まあ、独特な匂いがするよ。気にしないようにすれば、気にならないのかもしれないけどね。でも、苦手な食べ物って大概そうじゃない? 気にしないようにすれば食べられるって」
「ピーマンも鼻を摘まめば食べられるみたいな?」
いや、ちょっと的を外したことを言ってしまったかもしれない。
「うちなちゃんはピーマンも苦手? セロリ苦手だと、あれも苦手そうだけど」
「ピーマンはむしろ好きなんだよね。理由はわからないけど。塩昆布と和えると最高」
「あー、いいね」
食器の洗浄は、ものの数分で終わった。
五人分の皿である。篠宮さんと安住さんは別で夕食を用意していたようで、カレンちゃんたちが多めに用意したカレーには手を付けなかった。カレンちゃんは少し、残念がっていたように思う。
皿洗いが終わっても、私たちはキッチンから出なかった。
どちらかが引き留めたわけではない。自然と、ふたりとも留まった。
話しておかなければならないことがあるからだ。そのことを、私たちは察し合っていた。
淡雪ちゃんが黙ってコーヒーを淹れだす。インスタントではなく、ドリップだった。
電気ポットのスイッチを入れて、コーヒーサーバーにドリッパーを設置して、フィルターを張る。その上にコーヒー粉を乗せると、それだけで香ばしい匂いが鼻先を掠めた。電気ポットがしゅうしゅうとがなるように音を鳴らす。
淡雪ちゃんは、静かにポットから出る湯気を見つめていた。
「今回のゲームに関してなんだけど――」
切り出したのは私だった。
私も淡雪ちゃんも、会話の主導権を握るタイプではない。しかし、どちらか切り出さなければならいのなら、その役を担ってもいいと、それくらいの主体性を私はこのオーディション全体を通じて獲得していた。
「私たちはお互いの本名を知っている、もしくは推理できる関係にある。それはいいよね?」
淡雪ちゃんは頷く。
「こっちだけ一方的に本名を知ってるのはアンフェアだと思うから、もうこの際教えちゃうけど、私の本名は山内妃奈。内山じゃなくて、山内。妃のひに奈良のなで妃奈」
「素敵な名前ね」
「ありがとう」
この名前は、私を、そしてママを棄てたパパが、テキトウにネットで検索してつけたものだと聞いているけど、そんな白けるような名前の由来はわざわざ口にしなかった。
子供の名づけといえば。
「話は脱線するけど、お腹の子の名前は決めてるの? そもそも、双子ちゃんの性別は?」
「ふたりとも女の子。お姉ちゃんが春架で、妹は紅音。ふたりには、あたしみたいに狭い世間で小さく育った蒙昧な大人にはなってほしくないから、大きな世界を広く知ってほしいと思って『はるか』と『くおん』にしようって」
「素敵」
お愛想ではなく、本気でそう思った。
少なくとも、ネットでテキトウに検索した名前とは違う。きちんと意味の込められた名前だ。愛を感じる。母の愛を。そして、自分自身とそれを取り巻く世間への僅かな憎悪も。
「漢字はどう書くの?」
「『はるか』は季節の春に橋を架けるで春架。『くおん』は紅の音で紅音」
「へえ、お洒落だね」
「なるべく人と被ってほしくないから。まったく同じ読みのまったく同じ漢字の人と出会うとさ、なんだか微妙な気分になるのよね。一気に、自分が特別な存在じゃないことを突き付けられるような気分? 表現が難しいけど。子供たちには、自分のことは特別な人間だって思ってほしい。学校で先生が困っちゃうかもしれないけど。特に紅音は」
あまり理解はできなかったけど、私は「なるほど」と言った。
妃奈という名前は、割合よくいる名前だ。同姓同名とも会ったことがある。しかしそのときに、私が淡雪ちゃんの言ったようなアイデンティティクライシスになったかといえば、ならなかった。
それはひとえに、私が端から自分のことを特別だと思っていなかったからかもしれない。
なにひとつ誇れることのない人生だ。
親の名づけが子供の自尊心に深く影響を及ぼすのだとしたら、パパの名づけは失敗しているということになる。あるいは、別に失敗でもないのかもしれないけど。
お湯が沸いた。
淡雪ちゃんはポットを持ち上げ、回しかけるようにコーヒー粉にお湯を垂らす。キッチンに焦げたような香りが充満した。
淡雪ちゃんは一度にお湯を注いだりはしなかった。
ポットを細かく傾けて、注ぐお湯の量を調節している。よくわからないけど、きっと拘った淹れ方なのだろうと私は解釈した。
話しかけていいタイミングかわからなかったが、コーヒーが淹れ終ったらそれを皆の下に持っていかなければならなくなる。だから、猶予がないと思って私は口を開いた。
「今回のゲーム。私たちがなにもしなければ、全員でゲームを通過できる。三日は体感では長いかもしれないけど、耐えられないこともない」
「うん」
「私たちはお互いの本名を知ってる。私が本名を教えたのは、淡雪ちゃんに私のことを信じてほしいから。私がなにを言いたいか、わかる?」
「同盟の提案、かしら」
「その通り。私たちは互いに互いを裏切らない。そういう同盟を結ぼう。三日耐えればゲームは終わる。全員で通過できる。お互いを信じて、一緒にゲームを通過しようって、そういう提案がしたかった」
淡雪ちゃんは五回目のお湯の投入を終えたあと、コーヒーサーバーを持ち上げてゆっくりと回した。
それからカップを五つ用意して、お盆の上に置く。
ソーサーとカップは同じ容積――どうしてか、そんな雑学が頭を過った。
「うちなちゃんは、どうしてVTuberになりたいの?」
淡雪ちゃんは唐突にそんなことを訊いてきた。
少し色素の薄い瞳が、真っ直ぐと私を捉える。内側を見透かそうとしているような、ある種の不躾さを感じる視線だった。
私はたじろぎながら答える。
「別に理由はないかな」
「VTuberになりたいわけじゃないの?」
「なりたいよ」
淡雪ちゃんが私をまじまじと見る。意味ありげに。意味深を創り出したような表情で。
なにか、返答を間違えたような感触があった。
奥歯に物が挟まってしまったかのような、言い表せない不快感。
発言を取り消して、訂正したかった。
だけど、私がなにを間違え、なにを正せばいいのかがどうしてもわからなくて、言葉を口の中で捏ねているうちに、淡雪ちゃんが「わかった」と会話を終わらせてしまった。
「信じるよ、うちなちゃんのこと」
私を見て、言う。
変調なく放たれたその言葉は、縋るような心を秘めているようにも見えた。信じる、ではなく、信じたい、と言っているような。裏を読みすぎだろうか。人間関係に慣れていない私は、どうしても相手の心の裏側を知りたくて、考えてしまう。勘繰ってしまう。
そのせいで、私は言葉を返せなかった。私が言葉を返せないまま、時間だけが縷々と流れていく。
淡雪ちゃんは、ゆっくりとひとつ瞬きをした。
「行こう。コーヒーが冷めちゃう」




