本名当てゲーム 1
星海那由多という少女には華があった。
魅力、と言い換えても相違ない。とにかく、彼女には人を惹きつける才能があった。もしも六人の中で一番タレント力を持っていたのは誰かと問われたら、私は迷いなく彼女の名前を挙げただろう。
本名かもわからない、星海ちゃんの名前を。
そういえば、彼女の本名はなんだったのだろう。本当の名前を詮索するなんて下世話だとわかっているけど、どうしても気になってしまう。
彼女の一人称は『星海』だった。
もしも彼女の本当の苗字が『星海』じゃないのだとしたら、彼女は意図してその名前を名乗っていたということであり、それはとりもなおさず、彼女が私たちの前では演技をしていたという可能性を示唆している。
本当の彼女はどんな人間だったのだろう。
明るく快活な彼女の性格はただのガワで、本当の彼女は、争いを好まない穏やかな少女だったのかもしれない。
演技をしていたようには見えなかったけど、心は誰にも見えないものだ。ともすれば、本人にすら。
だから、気になる。
本当の彼女はどんな人なのだろう。
本当の名前は。
そんなことを考えていたから、篠宮さんの、
「第三オーディションは『本名当てゲーム』となります」
という言葉に、私は心を読まれたのかと思った。
見慣れないスタッフの運転する車で山を下りていく星海ちゃんを、ラウンジの窓から見送った直後のことである。
どうやら、『狼ゲーム』が終わったと思ったら、今度は第三オーディションが始まるらしい。
矢継ぎ早に、五月雨式に。
タレントに休む暇など与えるつもりはないということだろうか。
どんと来い、と腰を据えて構える余裕はもう私にはない。
一瞬は心を読まれたのかと肝を冷やした私も、すぐにそんなわけがないことに気が付くと、意識が窓の外の白銀に希釈されてしまうような錯覚に囚われてしまった。
眠い、のとはまた違う。
今は懐かしい高校の古典の授業を受けているときのような、どことなく気が漫ろで集中できない、そんな感覚。
窓際に椅子を動かして、漫然と外を見ていた私の意識は、しかし、次の篠宮さんのひと言で一気に現実へと引き戻された。
「そして、第三オーディションを最終オーディションとさせていただこうと思います」
視線を向ける。
人の話を聞くときは相手の目を見ましょう、なんて幼稚な理論を思い出したわけではないけれど、偶然にも篠宮さんも私を見ていたようで、私と彼女の視線ががっちりと交わった。
なんとなく発言を促されているような気分になって、私は乾燥した唇を恐る恐る開く。
「最終って、最後ってことですか?」
なんとも間抜けな質問だと、言ってから自覚した。
篠宮さんは鷹揚に頷く。
「はい」
「それはつまり、第三オーディションを勝ち残ったら、デビュー?」
「諸々の手続きや研修はございますが、概ねそのようになります」
なんてことだ。
つい数時間前、恋詩ちゃんと戦っていたときはあれほど遠いと思っていたVTuberデビューの席が、気が付けばすぐそこまで迫っていた。
まさか……まさか、私ごときがここまで勝ち残ってしまうなんて。
思ってもみないことだった。
ゴールが見えると、途端に走る気力が湧いてきてしまうのが人間の不思議なところ。
私の胸中には、ほんの僅かな熾火が燻っていた。
「このオーディションを通過した方は弊社所属のVTuberタレントとしてのデビューを確約させていただきます。つきましては、最終オーディションはVTuberタレントのアキレス腱とも言える『身バレ』に関するゲームをご用意しました」
身バレ――たしかにそれは、VTuberのアキレス腱だ。
VTuberとはヴァーチャルタレント。ガワと現実の人間とのリンクに関しては、非常に扱いが難しい。
現在活躍しているVTuberは、個人も含めて約六万人。所謂『中の人』の扱いについてはそれぞれがそれぞれの対応をしているが、Pr@yer所属のタレントは、事務所の方針で徹底秘匿となっている。SNSに画像をアップするだけでも事務所を通さなければならないと、碧落へいろちゃんが配信で愚痴っていた。
「『本名当てゲーム』は、その名の通りお互いの本名を当てるゲームとなります。本名を当てられた人はその場で脱落。脱落者がひとり以上出た時点で、ゲームは終了となります」
私は思わず淡雪ちゃんを見た。
彼女も、私を見ていた。
私は彼女の本名を知っている。本名をそのままタレント名として使っていると、本人がそう言っていた。
そして、彼女も私の本名を知っている。知っているというか、推理できる。本名をアナグラムしてタレント名を作ったと、私は彼女に教えてしまった。桧山うちなをアナグラムして作れる人名など、そう多くはないだろう。
私が彼女の本名を握っているように、彼女も私の本名を握っている。
そう考えて相違ない……いや。
「質問いいですか?」
「はい、うちなさん」
「ゲームの終了条件を確認させてください。本名を当てられた人が脱落。脱落者が出たらゲーム終了。それはわかりました。でも、それだけではゲームとして成り立ちません。だって、普通は本名を当てるなんて不可能ですから。脱落者を出さずにゲームを終了させる方法が、存在するんじゃありませんか?」
これは、半分はただの期待だった。
これ以上誰かを犠牲に前に進む覚悟を持てない私の儚い期待。そうであったらな、という浅薄な望み。
全員でゴールしようね、なんていかにも甘ったれた現代っ子の思考だ。
それでも、可能性が存在するのなら。
「『本名当てゲーム』を終了させる方法は他にはありません」
と。
篠宮さんは特に溜めるでもなく、非常に淡泊に切って捨てた。
そして、淡泊に言葉を続ける。
「ただし、ゲームには期限があります」
「期限?」
首を捻る。
「三日間です。本日から数えて三日後の正午、『本名当てゲーム』は終了となります。そのときまで誰も脱落していなければ、自動的に皆様全員が勝ち残りとなり、第三オーディション通過となります」
「……っ」
それはつまり。
このゲーム、全員がなにもしなければ全員で通過できる、ということだ。
甘く、強く拳を握っていた。
身体が希望に打ち震えていることに気が付く。
「本名当てに関しましては、アンケート方式で行わせていただきます。これより三日間、一日二回、昼と夜の十二時に皆様のタレント名が記された用紙をお配りいたしますので、看破したタレントの本名を、そのタレントの名前の横にご記入ください」
ということは……回答回数は今日の深夜、明日の正午と深夜、明後日の正午と深夜、そして最終日の正午の計六回。
回数だけで考えれば多くも少なくもないけど、各回答の間に十二時間ものクールタイムが存在することを考えると、ゲーム性はそう単純なものではないのかもしれない。
特に、私と淡雪ちゃんの間では。
私と彼女は、互いにいつでもゲームを終わらせることができる関係にある。相手の名前を用紙に書いて提出すればいいだけだから簡単だ。三日間耐えれば全員で通過できるゲームも、先に名前を書かれてしまっては自分だけ通過できない。相手に名前を書かれる前に、先に名前を書いて脱落させるというのも戦略の内になる。
このゲーム、心理戦だ。
相手を信頼して全員でゲームをクリアするのか、裏切って自分だけでもクリアするのか。
囚人のジレンマというゲーム理論がある。
共同で犯罪を行ったと目されるふたりの囚人に、自白をすれば刑を軽くするという司法取引を持ちかける話だ。
ふたりとも黙秘すればそれぞれ二年の懲役。片方が自白すれば、自白した囚人は釈放で黙秘した囚人は十年の懲役。両方自白したらそれぞれ五年の懲役となる。
全体の利益を考えるなら、確実にふたりとも黙秘するのが得だ。しかし、どうしてか人間はそれでも裏切ってしまう。人間は全体の利益ではなく個人の利益を優先してしまう生き物だから、とよく言われるが、私はそうではないと思う。
この立場に立ってみてよくわかる。
私は別に自分の利益を優先したわけではない。ただ、裏切られる恐怖に怯えているだけだ。自分だけが不利益を被ることがどうしても生理的に許容できない。
死なば諸共。
そんな言葉が脳裡をちらつく。
淡雪ちゃんを見る。
彼女も私を見ていた。
先の『狼ゲーム』を経て弱り切ったその瞳の中に、彼女はなにを映しているのだろう。
なにを思っているのだろう。
心は、人の目には見えない。
「それでは、次の回答は約五時間後の二十四時となります。それまではご自由にお過ごしください。再度ご説明いたしますが、当館の設備はご自由に利用していただいて構いません。ただし、館の外にはお出にならないようご注意ください。また、なにか必要な物がございましたら、マネージャーの安住までお申しつけ下さるようお願いします」
篠宮さんはそれだけ言い終えると、相も変わらず悠然とした足取りでラウンジを退出していった。
こうして。
私たちの裏切り合いのゲームは始まった。




