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狼ゲーム 4

 いつの間にか吹雪は収まっていた。窓の外には晴れ間が広がっていて、傾いた西日が長い木の影を作っている。

 車が一台、深い雪にタイヤの跡を残しながら停まった。運転席から安住さんが下りてくる。彼女の呼気が夕陽の茜を跳ね返し、燃える炎のブレスとなって消えていった。もうすぐ、日没だろうか。


「星海さんが狼……」


 室内に視線を戻すと、うづきちゃんと淡雪ちゃんが揃って戸惑ったような表情を浮かべていた。

 ふたりの視線の先には、股座に手を置いて座る星海ちゃんの姿がある。

 彼女は困ったような、笑っているような、曖昧な表情をしていた。その曖昧な表情が、そのまま彼女の心境なのだろう。イマドキのメイクが乗ったその表情は、高校生とは思えないほど大人びていた。

 大人びている、から。

 だから、言ったのだろう。自分が狼だと。そんな嘘を吐いてまで、喧嘩を仲裁してくれようとしたのだろう。


「星海さん、あの、申し出はありがたいのですけど……」


 うづきちゃんが言葉を選んでいるのがわかった。

 自分に端を発した問題が他者に自己犠牲を要求してしまったとき、人はこういう風に狼狽するものなのか。


「空気を悪くしてしまったことは謝ります。わたくしが間違っていました」


「別に間違ってないと思うよ、流流も朋絵も。いや、どっちも間違ってたのかな? まあ、星海にはわかんないけど、謝られることじゃないのは確かだと思う。むしろ謝るのは星海じゃない? 嘘吐いててごめんなさいって」


「嘘……」


「そう、嘘。狼なのに羊のふりしててごめんなさい。本当は、一回目の投票のときに名乗り出るべきだったかも」


 星海ちゃんはなにげなく舌をペロっと出した。

 そんなコミカルな仕草も、彼女にはよく映える。


「騙すつもりはなかったなんて言わないよ。騙すつもりだった。ルールの説明を受けてるとき、狼超有利じゃんやったー、って思ってたし。ま、だから、ごめんちゃい。まさか喧嘩にまでなるとは思ってなかった。もっと早く自白するべきだったね。星海、馬鹿だからタイミング逃しちゃった」


「そんな、軽々しく……」


 淡雪ちゃんが呻くように呟く。

 軽々しく……なんなのだろう。

 言い差した言葉の続きは、なんとなくわかる気もする。


 言葉を途中で止めた淡雪ちゃんに星海ちゃんは優しい視線を向けた。淡雪ちゃんは、逃げるように視線を逸らす。

 どちらが年上か、わかったものではなかった。

 星海ちゃんは大人で、そして子供だった。

 大人らしく他人に譲ることができる子で、子供らしく争いが苦手。

 私も彼女と歳がそれほど変わらないからわかる。競争は嫌いだ。テレビで教育学者とやらが垂れる講釈の通り、私たちは較べられることに慣れていない。慣れていないから、蹴落とされる誰かの気持ちを考えてしまう。

 実のところ、なんだってそうだ。世の中は競争社会。自分が選ばれるということは、ひとりの人間が選外にされているという事実がある。

 それが当たり前だということは、わかっているのに。

 わかっていても、その誰かのことを想うと、胸が潰されるような苦しさを覚える。

 そんな余計な優しさが、私たちにはある。

 星海ちゃんも、きっと先の喧嘩に圧し潰されてしまったのだろう。

 自分のせいで、なんてお姫様みたいな考えもあったのかもしれない。


「もういいでしょ」


 短い沈黙を終わらせる声が、ラウンジに静かに響いた。

 そのよく通る声の持ち主は、荊木ちゃんだった。

 彼女は苛立たしげにカフスを触りながら、うづきちゃんと淡雪ちゃんを睨んでいる。


「さっさとふたりは和解して。時間もないし、さっさと議論に戻ろ」


「議論は必要ないよ」


 答えたのは星海ちゃんだった。


「星海を追放するんだもん」


「そんな必要はない。あんたの行動はすごいと思う。喧嘩の仲裁のために自分を犠牲にするなんて、普通の奴にはできない。あんたの優しさ……みたいなのには、素直に尊敬する。でも、他人の争いを止めるために自分の夢を諦めるのは、違うと思う。それは、間違ってる」


 私が使った言葉を、彼女もそのまま使った。

 間違ってる。

 私もそう思う。

 優しい人には、勇気がある人には、幸せになってほしい。正しいことをしたのなら、その分だけ得をしてほしい。だから、星海ちゃんには勝ち残ってほしい。悪人ばかりが得をする現実だからこそ、VTuberだけは理想であってほしい。


 しかし、星海ちゃんは首をゆるゆると振った。

 苦笑いしながら。


「アザミの気持ちは嬉しいけど、それこそ違うよ。間違ってる。星海、別に夢を諦めるとか、そんなたいそうな決意したわけじゃないし。VTuberとかさ、なれたらラッキー、くらいのつもりで応募しただけだから。本気で叶えたい夢だったら、さすがに譲らないよ。そんなに甘ちゃんじゃない」


「そんな嘘を吐いてまで――」


「嘘じゃないって」


 星海ちゃんは噴き出した。

 くつくつと喉の奥で笑いを堪えている。

 まるで見当違いな意見を差し向けられたときのように、おかしくてたまらないといった様子で彼女は笑っている。

 嘘じゃない――その言葉に嘘はなさそうだった。


「星海、高校生だしさ、来月から三年生だし、デビューしたら受験は諦めなきゃかな、とか思ってたんだけど、ま、そういうの決めるのも早すぎるかなとも思ってたところだし。もうちょっと高校生活楽しんで、卒業してからデビューの方がいいかもって思ってたんだよね。ぶっちゃけ、Pr@yerに思い入れがあるとかじゃないし、VTuberになれるなら、別の企業でも、個人でもいいし」


「彼氏を見返してやるんじゃなかったの?」


 思わず、口を挟んだ。

 私としたことが、重要な局面でステルスを忘れてしまうなんて陰キャの名折れもいいところだが、しかし、このままでは彼女が追放されてしまうと思って、口を挟まずにはいられなかった。


「スターになって、浮気野郎にザマァするって言ってなかった?」


「ザマァはしたいけどね。でも、よく考えたらVTuberじゃそれできないし。だって、ザマァするにはさ、あいつに身バレしなきゃいけないじゃん」


「……たしかに」


「ま、あいつのことは一発ぶん殴っとくよ」


 そう言って、星海ちゃんはニッと笑う。

 この短い時間の中で色々な種類の笑みを見せてくれた彼女だった。


「へー、那由多さん、浮気されてたんですか?」


 カレンちゃんが目を瞬かせる。

 相変わらず空気の読めない、呑気な声音。


「人は見かけによりませんね。わたしほどではないにせよ、那由多さんも充分に美人なのに。彼氏さんは、いわゆるブス専だったのでしょうか? それとも、浮気相手が那由多さんより美人だったとか? ま、どちらにせよ、どちらもわたしほどではないでしょうがね」


「あんたは余計なことを言うな」


「余計なことなどこの世にはひとつとしてないのですよ、アザミさん。わたしの放つ言葉は、一言一句が玉よりも価値の高い金言として膾炙されています。『カレン・ユースティティアとは、それ即ち歩く聖書』と巷間よく言うではありませんか」


「黙れ」


「黙りません。まだ重要な問題が解決していませんから」


 カレンちゃんは腕を組んで、椅子の上で踏ん反り返る。

 どうも彼女のことが掴めない。他の四人のことはぼちぼちわかってきたところなのだけど、カレンちゃんだけは一挙一動が意味不明だ。天然でやっているようにも見えるし、わざとやっているようにも見える。

 キャラクターだとして、どうしてそんなキャラクターを選んだのかが気になるし、素だとして、普段どうやって生きているのかも気になる。


 ただ、今は彼女の性格について言及している暇はなかった。

 彼女の言の通り、重要な問題がまだ解決していない。


「問題はふたつです。つまり、結局誰を追放するのかという問題と、那由多さんは本当に狼なのかという問題。これらを解決しないことには、わたしたちは次のゲームに安心して進むことができません」


「だから、星海が狼だから、星海を追放すればいいじゃん」


「あんたはそう言うだろうけどさ……はっきり言って、喧嘩の仲裁のために嘘を吐いてるように見える。あんたを信じたい気持ちがあるからこそ、あんたが狼だとは思えない」


 荊木ちゃんの言葉に、星海ちゃんは頬を膨らませた。

 幼い仕草、というよりは、わざとそういう表情をしてみたという印象を受ける。彼女には余裕があった。きっと、もう諦めてしまったからだろう。背水の陣も、泳ぐ覚悟を決めてしまえば決意が薄れる。


「狼は第三オーディションでアドバンテージを得ることが明言されています。それがどのようなものかは判然としていませんが、生半なものではないでしょう。そのアドバンテージを持っている人間が誰なのかまではわからずとも、せめて存在の可否だけははっきりさせておきたいところです」


「まあ、そうですね」


 しばらく黙っていたうづきちゃんが、やっと口を開いた。

 一時はリーダーシップすら発揮した彼女は、今ではおずおずと発言している。

 先の喧嘩が彼女に与えた瑕疵は、思ったよりも大きいのかもしれない。


「第三オーディションの最中、狼が生き残っているのかいないのかで、ゲームの性質が大きく変わるのは間違いありません。『狼ゲーム』が終わったタイミングで狼が誰だったのか発表されるならいいですけど、狼の優位性を確保するために、誰が狼だったか発表されない公算の方が高い。そうでなければ、有利なはずの狼が第三オーディションで狙い撃ちにされてしまいますからね」


 たしかにその通りだ。

 第三オーディションがどのような形態のゲームになるのかは予測も付かないが、もし連携が可能なゲームなら、アドバンテージを持っている狼を残りの四人で袋叩きにできてしまう。それではアドバンテージを与える意味がない。

 狼は、ゲームが終わっても発表されないと見るべきだろう。

 しかし、そうなるとたしかに次のゲームの性質が大きく変わってくる。いるかいないかもわからない狼を探すという、もっと最悪な形での『狼ゲーム』が次のゲームに持ち越されることになってしまう。


 狼が生き残るのは、この際いい。

 誰が狼なのかも、最悪わからなくていい。

 ただ、狼が存在するのかどうかだけは、確定させておきたい。


「なので、わたしはまず、那由多さんを追放することを提案します」


 カレンちゃんはそんなことを言った。

 眉を顰める荊木ちゃんに構わず、彼女は揚々言葉を続ける。


「那由多さんを追放することを確定させて上で、那由多さんが本当は狼なのか羊なのかを訊くというのはどうでしょう。那由多さんが狼なら、第三オーディションに狼はいないことが確定する。羊なら、第三オーディションに狼がいることを確定させて、那由多さんを追放する。これが現状で取れる最善策だと愚考しますが……あ、いえ、わたしはまったく愚かではないんですけどね。世界一のおりこーさんとは、わたしのことです」


 カレンちゃんが世界一のおりこーさんかどうかはともかく、たしかにそれは悪くない提案だった。

 星海ちゃんを追放する。

 その一点にさえ目を瞑れば、もうそれ以上の案は浮かばない。可能なら狼を特定しておきたいところではあるけど、最初からわかっていることとして、このゲームで狼を見つけることはできない。


 荊木ちゃんは不満そうだけど、反論はないようだった。

 うづきちゃんも淡雪ちゃんも、特に反対意見を唱える様子はない。不満があったとしても、それを口にできる立場に彼女たちはないのかもしれない。

 カレンちゃんが私を見た。意見を求められているのだと思い、私は頷いて応えた。


「では、那由多さんを追放するということで。それでいいですか、那由多さん」


「ここでヤダって言ったら盛り上がる?」


「盛り上がりますね、間違いなく」


「マジ? それはちょっと悩むわー」


 そんなことを言って、彼女は例の特徴的な引き笑いをした。


「なんてね。嘘嘘。星海を追放するんでいいよ。てか、最初からそう言ってるじゃん。星海が狼だから、星海を追放してって。ほら、この通り」


 言って、星海ちゃんはポケットから一枚のカードを取り出して、それを全員に見せつけた。

 彼女の持つそのカードには、狼のイラストが描かれている。

 私たちは、それが『狼ゲーム』が始まったときに配られたカードだと察して、たしかに彼女が狼であることを認識して――それから、慌てた。


「ちょ……ちょっと!」


 荊木ちゃんが上ずった声を出す。

 星海ちゃんは小首を傾げた。


「カードを見せるのは禁止ってルールじゃなかった? 星海、あんた失格だよ。失格しちゃったから、星海に投票できない。ゲームは投票で誰かを追放するまで続くから……結局、他の誰かを追放しないと」


「それは杞憂というものでしょう」


 カレンちゃんが指を振る。まるで教師が子供を諭すときのように。

 異様に癇に障る芝居がかった仕草だが、それは今はともかくとして。


「杞憂? なんで?」


「ああ、ちょっと待ってください。今、アザミさんでも理解できる表現を考えているところなので」


「あんたはウチをイラつかせない表現を考えろ」


「狭量な。アザミさんの心って深いけど狭いですよね。わたしの膣穴のようです」


「死ね」


「死にません。カレン・ユースティティアは不死身ですから。自由死すともカレン死なずです――いいですか、アザミさん。篠宮さんの言葉をよく思い出してください。ルールで禁止されているのはカードを見せて羊であることを証明することであって、狼を証明することは禁止されていません。狼である那由多さんがカードを見せることは、ルール上なんの問題もないんですよ」


「……なんか、納得できないな。それホントにあってんの?」


「この『狼ゲーム』は狼が有利なゲームと運営も明言しています。羊にはないゲームを下りる権利が狼にあるのも、その一理でしょう」


 カレンちゃんは壁掛けの時計にチラッと視線を向けた。


「ぼちぼち時間ですね」


 たしかに、定められた時間まであと五分と迫っていた。

 もう少し、ほんのちょっとだけでも議論したかった。まだ完全に納得のいく結論とは言えなかった。

 だけど、時間は無情に流れていく。

 五分は五分であって、それ以外ではない。

 いや、時の流れの無情さを笠に着るなんて、いかにも白々しい。五分もあれば、少しくらいの議論はできたのかもしれない。

 ただ、私たちはそれをしなかった。その理由を、私たちはきっと、誰も口にできない。


「じゃ、あとは頑張ってね、みんな」


 星海ちゃんは溌溂とした声で言った。

 彼女はこれで見納めとばかりに、私たちの顔を順番にひとりずつ見ていく。大人びた表情と若さとが入り混じった、今の彼女にしかできない表情がそこにはあった。


「あ、信楽焼の弁償は五人でやってね? 高校生の星海にウン十万のお金とか払えないし。ま、ここで大人しくリタイアする星海への手向けってことで。百万を五人で割って、ひとり二十万。キリのいい数字だね。やったじゃん」


 私は、笑っていい場面か一度考えた。


「そんな他人事みたいな」


「他人事だよ。だってもう、星海とみんなは他人になっちゃうんだもん。あ、敬語遣おうか?」


 また笑っていい場面か考えて、結局私はどうとでも取れる曖昧な顔をした。

 星海ちゃんは小さく引き笑いをして、囁く。


「もう会うことはないかもしれないけど、みんな仲良くね」


 それが彼女と交わした最後の会話だった。


 第二オーディション『狼ゲーム』。

 再投票にまで縺れ込んだこのゲームは、六人の持つ八つの票すべてが星海ちゃんに集まり、彼女の敗退という形で幕を下ろした。

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