狼ゲーム 3
「それでは皆様の投票の集計が完了しましたので、結果の発表に移りたいと思います」
ニ十分後。
再びラウンジに集められた私たち六人は、円形に並んだ椅子に座って篠宮さんの結果発表を待っていた。
私たちに交わす言葉はない。
誰もが、誰とも目が合わないように巧妙に視線を逸らし合っていた。特に、淡雪ちゃんは意図的に視界外に追いやられている。
彼女たちの気持ちも、わかる。
全員で結託して、示し合わせて、無抵抗な誰かひとりを数の暴力で追放するなんて、いじめみたいではないか。
そう思っているのだろう。
ルール上問題はないし、むしろそれが推奨されているくらいのゲーム性ではあったとしても、人間はそれで自分の正義を失うほど薄弱な生き物ではない。彼女たちの心は良心を裏切った心痛と恥辱で満ちているのだろう。
だから、私たちに交わす言葉はない。
篠宮さんの結果発表が淡々と続く。
「淡雪朋絵さん、四票」
淡雪ちゃんに票を投じた四人が、僅かに俯いた。無記名投票も形なしである。
彼女たちに勝利を確信した者の笑みはなかった。あるのはただ、悲痛なまでの無表情。なにかを堪えているような表情にも、私には見えた。
そして、篠宮さんが続ける。
「桧山うちなさん、四票」
俯いていた四人が顔を上げた。
その表情には、ありありと驚嘆の色が浮かんでいる。
うづきちゃんは淡雪ちゃんを見たあと、私に視線を向けた。私はあさっての方向に視線を逃がす。
「以上の投票結果より、朋絵さんとうちなさんの同数票となりましたので、規定通り『狼ゲーム』はやり直しとなります。これから再び三十分の議論を行い、同じく、追放したいプレイヤーのタレント名を書いて投票してください」
それだけ言って、篠宮さんは一礼と共にラウンジを出ていった。時計の針は十七時四十分を刻んだところだった。
逸らしていた視線を前に戻す。全員の視線が私を捉えていた。
「桧山さん、よければ説明をお願いできますか?」
「説明って?」
「空惚けないでください。淡雪さんに四票、桧山さんに四票。合わせて八票。私たちは全員で六人ですから、数が合いません。投票はひとり一票というルールに、なにか抜け道でもあったのですか?」
「抜け道、でもないのかもしれないけど……」
私は視線を淡雪ちゃんに向ける。
厳密には、その大きく膨らんだお腹に。
「知ってた? 淡雪ちゃんのお腹の子って、双子なんだって」
「……まさか」
「そう。そういうこと。ルールで、どうしようもない理由で投票できない場合には代理を立てて投票することができることになってるでしょ? まだ生まれてないっていうのは、どうしようもない理由に該当するよね」
そう、淡雪ちゃんは妊婦だ。
彼女の身体はひとりの身体じゃない。精神的にも、物理的にも。
「桧山さんと淡雪さん、そしてお腹の双子の票を集めて四票ということですか」
「投票はひとりにつき一票。まだ生まれていない人間を『ひとり』に数えられるのかに関しては賭けだったけど、天運は淡雪ちゃんに傾いたみたい」
そこに関しては本当に賭けだった。
ただ、第一オーディションでカレンちゃんが強行したあの無理やりな攻略が認められたのだから、胎児もひとりの人間として数えられるのではないかと篠宮さんに提言するのは、割のいいギャンブルだったと言える。
むしろ今となっては、これが正攻法だったのではないかとすら思う。
無記名投票というルールが、名前を持たない胎児に投票権を与えるルールだと思えてしまうのは、勘繰りすぎだろうか。
「なるほど。でもひとつ、わからないことがあります」
「淡雪ちゃんが実質的に三票持ってることに関しての苦情なら、篠宮さんの言葉を借りるしかないかな。つまりさ、不平等は当たり前だって」
「それはわかっています。わからないのは、どうして桧山さんに票を集めたのかに関してです」
「………」
「もしも、わたくしたちの誰かが気変わりして淡雪さん以外に票を投じていた場合、淡雪さんに集まった票は三票以下。桧山さんに四票を確定で入れてしまっては、あなたが追放されていた可能性すらあります。スプリットを狙って投票を示し合わせるのなら、他の誰か、たとえばわたくしなどに票を集めた方がよかったのでは?」
「……たしかにね。その可能性に気付かなかった。自分に入れるなんて逆転の発想がカッコいいって思って、そんなに深く考えてなかったよ」
「わたくしは桧山さんがそこまで浅慮だとは思いませんが」
「買い被りすぎ」
薄く笑って首を振る。
たしかに、私は自分が追放されてしまう可能性については考慮していた。しかしそれは、私に差し向けた票を他の誰かに集めたとしても同じことだ。同数票による再選を狙った作戦の結果、うっかり、その誰かを追放してしまう可能性はあった。
テキトウに選んだ誰かを、理由もなく追放してしまう可能性が。
それは、よくない。そんな理不尽があっていいわけがない。そんな後味の悪い結末を迎えるのなら、いっそその役回りは私自身が担った方がいいと、そんな浅慮に支配されて私に票を集めることを提案したのだ。
私はうづきちゃんが思うよりもずっと、思いもよらないほど、浅はかな人間なのだろう。
それでいいし、どうでもいい。
話し合いの時間は三十分。改めて突きつけられると、短い時間だ。この三十分という僅かな時間で、私たちは今度こそ、追放するひとりを選ばなければならない。
「言っておきたいんだけど、たしかにさっきの投票で私は私に票を固めた――でも、それは別に負けてもいいと思ってるからじゃない。この話し合いで私が席を譲ることはないから、そこは誤解しないで」
イニシアティブを取ろうと思って、少し高圧的にそんなことを言った。
効果があったようには見えなかったが。
円形に並んだ椅子に座ったまま、私たちは視線を飛ばし合った。睨み合ったという表現も、できなくはないかもしれない。
「そもそもさ――」
長い脚を組みながら、荊木ちゃんが口を開く。
「投票がやり直しになったとしても、ウチの主張は別に変らないんだけど。淡雪はデビューに相応しくない。それがウチの主張。理由はもう一回言う必要はないでしょ? 淡雪がひとりで三票持ってるなら、ウチは残りの五票を淡雪に集めることを提案するだけだよ」
「それには、桧山さんの説得が不可欠になりますね」
「そもそも、なんで桧山は淡雪に協力してるわけ?」
荊木ちゃんの鋭い視線が私を貫く。
どこか冷めた視線だった。薄い軽蔑すら含んでいるように見えるのは、私の被害妄想だろうか。
「妊婦にタレント活動が難しいことくらい、あんたもわかってるでしょ?」
「わかってるよ。けど、淡雪ちゃんの主張をなにも聞かずに一方的に追放なんて、そんなの間違ってる」
「間違ってる? なにが?」
「なにがって言われると難しいけど、でも絶対に正しくない。たしかに、蹴落とす相手の事情なんて私も知りたくないよ。そっちの方が気楽だもん。でも、それはズルい」
荊木ちゃんの表情が、火で焙られた蝋のようにぐにゃりと歪んだ。
彼女は下唇を甘く噛んでから、小さく舌打ちをする。
「……たしかに、あんたが正しい」
それだけ言って、荊木ちゃんは脚を組み替えた。
それからそっぽを向く。
どことなく不器用さを感じさせる彼女の態度に場が和んだ。刺々しいながらに、どこか嫌いになれない性質が彼女にはある。それが彼女の魅力なのだと、私はやっと理解できた。
ゆったりとした静寂が空間を支配する。
誰もが淡雪ちゃんの言葉を待っていた。私たちを納得させるだけの事情があるなら教えてほしいと、そんな五人の視線を受けて、
「あたし、は――」
と、ツギハギな口調で彼女は語り始める。
会社の上司と不倫関係にあったこと、その不倫相手の子供を妊娠したこと、相手の男に子供を認知してもらえなかったこと、そのすべてを淡雪ちゃんは辿々しく語った。その語り口が感情的に聞こえなかったのは、彼女があえてそういう風に語ったからだろう。
彼女が求めているのは同情ではなかった、と思う。
「だから、あたしはこの子たちを育てていくために……」
そう言って。
それから、ゆるゆると首を振った淡雪ちゃんはいつも自分の子供に注いでいた視線を上げて、宣誓するように言の穂を継いだ。
「あたしは、愛されたい。誰かに好きになってもらいたい。生きていてもいいんだって思えるように、誰かに求められる誰かになりたい……から、あたしはこの輪廻転生プロジェクトに応募したの」
それは最初に語っていた展望とは異なるけど、きっとそれが淡雪ちゃんの本音だった。
愛されたい。
最年長ながら、なんと青々しく痛々しい願いか。
誰かに必要とされたい、好かれたい、認められたい――そんな真っ直ぐな気持ちをぶつけられて、私は心の捻じれを正されるような痛みを覚える。
知っている、その感覚を。
誰かに求められる誰かになりたいと、私たち人間は誰だって一度は願うものだから。
だから……。
だけど……。
「わたくしは、それでも――いえ、それだからこそ、淡雪さんに票を投じたいと思います」
うづきちゃんは言った。沈痛な面持ちで。
彼女の表情からは、心の底を引き絞って無理に言葉を吐いているような印象を受けた。
淡雪ちゃんは悲愴な表情を浮かべる。
「淡雪さんの事情は理解しました。ですが、夢は前を向いて見るものです。希望とは人から逃げていくものですから、それを追いかけるなら、人は常に前を向いていなければならない。後ろを振り返ったときに見つけた希望は、断じて追いかけてはならないのです。なぜなら、過去は有限ですから」
「あたしの夢は、後ろ向き?」
「愛されなかったから、愛されたい。求められなかったから、求められたい。その気持ちは痛いほど理解できます。ですがそれらは、きっといつか破綻する。限界がきてしまう。満たされてしまったら、それ以上を求めることができなくなってしまいますから」
「満たされることのない貪欲さが、VTuberには必要だって言うの?」
「決して満たされることのない貪欲さがVTuberには必要だと、わたくしは言います。声を大にして」
「……あたしは、そんな不純な心が誰かの心を惹きつけるとは思わない」
うづきちゃんも淡雪ちゃんも決然としていた。
そこにはお互いの正しさがあるだけで、善も悪もない。
そう、善も悪もないのだ。最初から。このゲームは狼ゲームと銘打っておきながら、明確な敵が存在しない。私たちがすべきことは生け贄をひとり捧げることで、そして誰も生け贄になんてなりたくない。
うづきちゃんも、淡雪ちゃんも。
カレンちゃんも、荊木ちゃんも、星海ちゃんも――そして私も。
簡単に匙を投げられるなら、初めからそうしていた。一度目の投票で決着がついていた。
それぞれにそれぞれの事情があるから、私たちは簡単には引けない。負けられない。だから、白熱していく。うづきちゃんも淡雪ちゃんも、気炎を高めていく。
「人を惹きつけるのは、いつだって膨大な野心を胸に宿した人間です」
「それは独裁者の理論でしょ? タレントの好かれ方じゃない」
「同じです。人は前を見ている人間を応援したくなり、後ろを振り返る人間に同情する。タレントは――VTuberは同情される職業じゃない。可哀想だから売れる、なんて簡単な世界じゃありません。前を見て、前に進んだ人間だけが成功を手にすることができるんです」
『簡単』という単語は、正しい表現だろうか。
言葉は、使う側の意志とは無関係に、受け取る側の想像力にすべてが委ねられている。
うづきちゃんの語った『簡単』は、淡雪ちゃんの未来設計を軽んじる言葉に聞こえてしまったりはしないだろうか。
淡雪ちゃんは、傷付いた顔をした。
「それは……あなたがそう思うってだけでしょ」
ひっかくような声だった。
どこか侮るような色を孕んだその声音が、冷静を保っていたうづきちゃんを逆撫でる。
「わたくしはVTuberを、Pr@yerをよく知っています。大好きですから。なにも知らずに応募してきたあなたとは違う」
あなたとは違う。
その言葉には、どうしようもないほどに隠し切れない敵意と、そして蔑みの感情が混じっていた。
それで、わかった。
うづきちゃんは淡雪ちゃんのことを軽蔑しているのだと。彼女の悲惨な過去に同情はしているのかもしれないが、それと同じくらい、それよりもずっと、不倫の末に無責任ともとれる妊娠をしてしまった彼女のことを見下しているのだと。
わかってしまった。
きっと、淡雪ちゃんにも。
「なんだ……同じなんだ」
淡雪ちゃんは目の色を変えた。
それは実際に虹彩の色が変化したのかと思うほど、目に見えて雰囲気が変わったという意味である。
淡雪ちゃんはうづきちゃんを見ながら、その奥を見るような目で呟いた。
「あなたも同じなんだ、あの男と」
「……あの男?」
「あたしを捨てた、あの男――表面を取り繕うのばかり上手くて、その実、心の中では他人を見下してる。自分はいつだって一番正しくて、自分と違う価値観を持っている人間は敵で、自分に不利益を働く人間は悪で、どれだけ蔑ろにしてもいいと思ってるんだ」
攻撃的な声音。
明確に害意を孕んだその声音を受けて、うづきちゃんは表情を拉げる。
「そんなこと、思ってません」
嘘を吐いている声だった。
そういう風に私には聞こえた。だから、淡雪ちゃんにどう聞こえたかは、想像するまでもないことだ。
淡雪ちゃんは蔑むような目をして、言った。
「嘘ばっかり。どうせ、あなたも裏アカで目を覆いたくなるような侮言を吐き出してるタイプの若者なんでしょ?」
図星を指されたと思ったのか、うづきちゃんの顔が歪み、歯ぎしりの音が聞こえてくるようだった。
止めなくてはならない。
もう手遅れかもしれないが、このままで決定的にふたりが決裂してしまう。それは、よくない。そんなの間違ってる。
ふたりは腹の中を見せ合った。直接的に、あるいは間接的に、互いの持つ互いへの偏見をぶつけ合った。そんなことをすれば、関係に亀裂が走るのは当たり前だ。
誰もが胸の裡に毒を抱えて生きている。友達でも、恋人でも、家族でも。私たちは決して、それを他人に見せてはいけない。毒は言葉にすれば刃となり、相手を傷付け、返す刀で自分すら傷付けてしまうから。
そんなこと、誰だってわかっている。
ある程度生きていたら、それをどこかで学んでくるものだから。
そのはずなのに、それを知っているはずのふたりなのに、彼女たちは互いを傷付け、自らを傷付けてしまった。
愚かなことだ。
だけどそれは、彼女たちの自己責任とは言い切れない。なぜなら、こんなにも明確に互いを蹴落とし合わせるような、悪趣味なゲームに巻き込まれていなかったら、そんなことにはならなかったはずだから。
だから、間違っている。
彼女たちが傷付け合うのは間違っている。
「もういいよ、喧嘩はやめて、ふたりとも」
割って入ったのは、星海ちゃんだった。
私も彼女たちを止めようと思っていたところではあったが、しかし、どんな言葉をかければいいのか、それを考えている間に先を越されてしまった形である。
喧嘩はやめて、くらいの言葉だったら私もすぐに言えた。
しかし、事態はもうそれで収まるところにはない。
そのことは星海ちゃんもわかっていた。それでも彼女が静止の言葉を迷いなく放つことができたのは、彼女が喧嘩を――というか、議論を終わらせることができる奥の手を持っていたからである。
星海ちゃんは、言った。
「これ以上の議論は必要ないよ。星海が狼だから」




