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箱庭のテラフォーミング【マーク編】 心折れた農学者が、もう一度土を掴むまで  作者: 大神みや


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9/12

第9話 水辺の馬

そいつは、向こうから来た。


「あんたが、マーク・スキナーか」


ある夜、バシールの工房に戻ると、入り口の影に人が立っていた。


泥と汗にまみれた若い男。


日に焼けた肌。まっすぐにこちらを見る目。


心臓が跳ねた。


あの目の光り方を、俺は知っている。


2年前の俺が持っていた光だ。


「誰だ」


「カイです。この街の外れで、農地を作ろうとしています」


カイ。


スコップ1本で砂漠を耕しているという、あの男か。


「東区画の地下に、灌水システムの跡がありました」


カイは、俺が2年前に放棄した畑のデータを掲げた。


白く染まった土壌の記録。俺の失敗の、動かぬ証拠。


胸の奥が、冷たく締まった。


「あなたの農業管理の基礎データ、本当に凄いです。土壌が死んだ原因が塩害だってことも、これを見てすぐにわかりました。あなたが残した基礎があったから、俺は同じ間違いをせずに済んでる」


褒められている。


わかっている。だがその言葉の1つ1つが、俺の古傷の上を素手でなぞっていくようだった。


「嫌味のつもりか」


声が出た。自分でも驚くほど、冷たい声だった。


「帰れ。俺は失敗したんだ。二度と土に関わる気はない」


カイは動かなかった。


工房の天窓を指差した。


その先に、夜闇に白く浮かぶテウマの山々の頂が見える。


「あそこには雪がある。なら、このマ・カレシュの地下にも、巨大な水脈があるはずなんです」


「そんなことは俺も考えた!」


叫んでいた。


「山にも登った。そこでこの野生のリンゴも見つけた。だがな——」


俺は拳を握った。爪が掌に食い込む。


「深層をスキャンしようとしても、デバイスが50メートルまでしか見せてくれない。水がある証拠はこの木が生きていることだけだ。だが、それじゃデータにならない。誰も動かせないんだ」


カイの目が鋭くなった。


「フロを使って浅いところは調べました。でも見つからなかった。だから、あんたの知恵を貸してほしい」


「知恵? 知恵があっても掘れなきゃ意味がねえ」


「掘る手段は、この街にある」


「何?」


「バシール親方の鉄工技術。旧市街の鍛冶屋たち。それに、この街の終着駅に停まっている蒸気機関車。あの動力を使えば——」


「待て」


口に出した瞬間、自分の脳が勝手に動き始めていた。


レールを延長して東区画まで引き込む。


車輪の回転運動を垂直方向に変換する。


バシールに巨大な鉄のノミを打たせる。


衝撃式掘削。1分間に20回の落下で岩盤を砕く。


止まらなかった。


2年間、酒を造りながら、俺の頭の中でずっと回り続けていた設計が、カイの一言で堰を切ったように溢れ出していた。


「……クソ」


俺は頭を抱えた。


笑っていた。泣いていたかもしれない。


「お前、とんでもないことを言いやがる」


「フロを出せ」


俺はカイの左腕を掴んだ。


デバイスの滑らかな表面に、指先を添える。


あの夜。


屋台のカウンターで、ジャミーラが俺の手を取り、無言でこの配列を叩いてみせた。


指は覚えている。


トン、トトン、タタッ……。


デバイスが震えた。


フロの電子音がノイズに変わり、画面の奥で隠されていた階層が次々と開いていく。


『音声認識バイパス、確認。……管理者権限へ移行します』


空中に、巨大な青いワイヤーフレームのホログラムが展開された。


マ・カレシュの地下500メートルまでの完全な断面図。


俺は、画面の最深部を指差した。


「……見ろ。これがマ・カレシュの真実だ」


カイが息を呑んだ。


「巨大な地下湖……化石水か」


「ああ。何万年も前に閉じ込められた、無菌で純粋な古代の水だ。そしてここ——」


俺はホログラムの別のポイントをハイライトした。


「水脈のすぐ上に天然ガスの層がある。水と、動力源。両方ある。あとは、この岩盤をぶち抜く馬鹿がいればいい」


カイの目が光った。


「その馬鹿なら、ここにいます」


俺は笑った。


久しぶりに、腹の底から笑った。


1人になった工房で、クロエの鉢の前に腰を下ろした。


ただの木彫りのコップに水を注ぐ。


クロエの根元に、静かに流し込む。


「クロエ。今日、妙なやつが来た」


返事はない。枯れかけた葉が、夜風にかすかに揺れるだけだ。


「俺より馬鹿かもしれない。スコップ1本で砂漠を耕すような男だ」


水が赤い土に吸い込まれ、消えていく。


「だが、あいつの目は——」


言葉が途切れた。


あいつの目は、俺がアフリカで最後に見た、ハミドの目と同じだった。


土を信じている人間の目だ。


俺は木彫りのコップを両手で包み、額を押し当てた。

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