6話 練習動画。 初めての推し
一ノ瀬 絢香は学校帰り、激しい絶望感の中でひどく落ち込んでいた。
夏の大会が顧問のエントリーミスでなくなってしまったのだ。 ゴメンで終わってしまった私の夏。
この夏の大会の為に必死で頑張って来たのに……
(テニス辞めたくなっちゃったな……)
この夏休み、何しよう……何にもやる気が起きない。
ベッドに横たわりスマホを開き適当に動画をめくる。
ふと目に入った動画、タイトルは『全然ダメだった日の夜、僕はこう過ごします!』
もしかしたら少しは気が紛れるかもしれないと、アヤカは動画をクリックした。夜の公園、そこにはトレーニングシャツ姿のキヨがランニングをしていた。カメラがキヨを追いかける。
「今日のレッスンは全然ダメでした。だから今夜は自主トレします」
「でもキヨくん、メンバーでダンス一番上手いよ。だいたい今日も先生に怒られたりしてなかったけど」
カメラマンが答える。
「僕達、5年以内に武道館を目指してるんです。時間が無いんです。だから僕はもっともっと上手くなって、メンバーを引っ張らなくちゃ。もし今日頑張らなかったら、明日がこない気がするんです。今夜は僕達を支えてくれる皆に感謝のステップ1000回に挑戦します」
汗だくになってステップを繰り返すキヨ。やがて動画が早回しになり1000回をやり切った後、キヨは楽しそうに公園の遊具で遊び始めた。やり切った笑顔が眩しくて素敵だった。
あれ……この公園、隣町の公園じゃない。
キヨが遊ぶ公園の景色は、確かにアヤカが見覚えのある公園だった。
「またダメだったらここに来ます。まぁ、ほとんど毎日この公園で走ってるんですけどね」
「じゃあまた」
そう言って動画が終わった。
ちょっとこの公園、行ってみようかな…… アヤカはベッドから起き上がり靴を履いた。
江東区にある夜の公園。
たしかこの辺だよなとアヤカが周りを見渡すと、あの動画と全く同じ景色が広がっていた。 間違いないと確信した。周りに人はほとんどいない。まるで運命の人を探すようで胸がドキドキした。
いるわけないよな、何やってんだろ私……
そろそろ帰ろうかなと思ったとき……
本当にいた。
動画のままの人がひとりで走っている。こっちに向かってくる。
すれ違いざまに思わず声を上げてしまった。
「……あの!」
キヨが止まる。
「ごめんね、ぶつかりそうだった?」
「あの、動画……見ました」
「あ、ありがとう」
キヨが照れくさそうに下を向く。
「あの動画のタイトル『全然ダメだった日の夜、僕はこう過ごします!』、私も今日、全然ダメだったんです」
「大会が無くなっちゃったんです。先生がエントリー忘れてて、一生懸命練習したのに……」
「仕方がないのはわかってるし、もうどうにもならないんだけど……」
目に涙が浮かんできてしまった。
初めて会った人に何をいきなり言ってるんだろう。
申し訳なさそうにアヤカが顔を上げると、キヨさんは私を真っ直ぐ見つめていた。
「頑張ったんだね」
「名前はなんていうの?」
「……アヤカです」
「アヤカちゃん、君はまだ若い。辛いことがあっても諦めないでほしいんだ」
「僕は時間がないんだ。だから頑張らないと次はないと思ってる。アヤカちゃんは頑張ったんだから次があるんだ」
「だから諦めないで……」
「ダメだった日は、次の日のスタートだよ」
優しい微笑みがアヤカを包む。
「キヨさんの動画で私、救われたんです。まさか本当に出会えるとは思ってなかったです」
「あ、あの……私、キヨさんの推しになります」
驚いた顔をしてキヨは「ありがとう」とまた照れ笑いをする。
「僕の初めての推しだよ。アヤカちゃん」
「と、ところでちょっと聞きたいんだけど。推しにはどうやって接すればいいの?」
「僕、女の子とその、あんまり話した事なくて……いつも男とばっかり遊んでたから」
「できたら恋人みたいに接してほしいな!」
「そ、その、恋人とかいた事ないし……」
アヤカにとってキヨはかなりのイケメンだった。 こんなイケメンで恋人がいないとは信じられなかった。
「キヨさん、カッコいいと思います。 絶対女の子にモテると思うんだけどな……告白とはされたことないんですか? バレンタインの日とか」
「電車乗ってたら、知らない女の子が急に話しかけてきてチョコレート貰った事は何度もあったよ。せっかくだから、その場で食べてお礼にガム返したりしたかなぁ」
(おいおい……)
「そのあと、その人とは何にも無かったんですか?」
「だいたい、好きですって言ってきたから、僕も好きだよって返したけど」
「チョコレートくれるんだもの、好きに決まってるよね」
(やばいな……)
「キヨさん女の子を好きになったことは?」
「みんな、好きっていうんだけどよくわからないんだよね。僕、みんな好きだし……」
(これは本格的に非モテかも……)
アヤカはちょっとイタズラ心がキヨに対して芽生えて来た。
「まさか、キヨさん童貞ですか~?」
アヤカはいたずらな笑顔をつくる。
「うん、童貞です。アヤカさんはどうなの?」
まさかの直球質問。
この人マジでモテないな。
アヤカは面白くなってしまった。瞳に涙はもうない。
「私も処女ですよ~」
「童貞と処女……ならばこれからやる事は決まったね」
えっ!
キヨがジッとアヤカをみつめる。やはりキヨさんはカッコいい……
「そんな童貞な自分を卒業しようと思ってるんだ。僕は残りの人生を生まれ変わるんだ」
「アヤカちゃん、それなら僕と一緒に……」
ここは夜の公園。
周りに人の気配は無い、やっぱりアイドルやろうって人が童貞のわけない。
どうしよう、逃げる? でもキヨさんならいいかも……でも今日会ったばかりで……
心臓の鼓動が高鳴る。
キヨが真剣な眼差しで私を見つめる。
キヨが一歩私に近づく。
アヤカはつい目を閉じてしまった、心臓の鼓動はこれ以上ないくらいに鳴っていた。
キヨはポケットからスマホを取り出し、
「恋愛シミュレーションゲームをやろう。まずここから慣れていかないとね」
本当にこの人、やっぱり童貞かも……
アヤカは少し笑って
「キヨさん私は今は恋愛はいいです。キヨさんと話していて元気になってきました」
「キヨさん、私、テニスまた頑張れそうです。キヨさんの事も全力で応援しますね。頑張ってください」
「アヤカちゃんがテニス頑張るなら、僕もアヤカちゃんの推しになるよ。頑張ってね」
「それから、女心の勉強も頑張ってください。何かわからないことがあったら私に聞いてくれてもいいですよ」
「うん、教えてね」
すっかり笑顔を取り戻したアヤカは自宅へ帰っていった。 ベッドに飛び込むとスマホを取り出しラスト☆スターズのSNSをすべてフォローした。
「ただいま~」
シェアハウスにキヨが帰ってきた。
キヨはリビングの真ん中に立つと、
「報告があります」
「アヤカちゃんって子が俺に会いに来てくれた。だから俺、その子を推す!」
「ええ~!!」
ゲンちゃん立ち上がる。
「お前アイドルだろ!? 逆だろ!?」
「応援してくれる人を応援したいと思ったんだ」
「高校一年生で大会なくなって落ち込んでて。でもすごく頑張ってた」
メンバーが静かになる。
キヨは続ける。
「俺の動画見て会いに来てくれたんだ」
「俺の動画見て元気出たって」
「名前は?」
「アヤカちゃん」
「キヨちゃんも推しを持つようになったんだね。進歩だね」
感心した顔でエプロン姿のヨーくんが笑った。
「そして、これからは恋愛も毎日練習する!」
「おまえ、恋愛の意味わかっとるんか?」
シーちゃんが突っ込んだ。
童貞と処女のあらたな決意の始まりだった。
後日、アヤカはたびたびキヨに恋のレッスンをした。 だが、しょせんアヤカも処女なのでアドバイスの内容は少女漫画の読みすぎのような非現実的なことが多かった。
「キヨさん、いいですか? 女の子がピンチの時は、王子様みたいに無言でサッと手を差し伸べるのが鉄則です!」
「なるほど……無言で、サッと、だな。覚えたぞ」
ある日、道を歩いているとキヨの前で女の人がつまずいて転んだ。
キヨはいきなり無言でその人を背負うと一目散に病院へ走っていった、そして警察のお世話になった。幸い、事件にはならなかったが全てはアヤカのせいだった……




