第二十六話 城下と港は、笑って迎える
港町というものは、遠くから見れば賑やかで、近づくほど忙しい。
だがその忙しさが、どこまで人を受け入れるためのものかは、入ってみなければ分からない。
卜伝たちが海風の混じる町へ入ったのは、昼の盛りを少し過ぎた頃だった。空は高く、陽はまだ強い。だが川沿いの湿りとは違う乾いた明るさがあり、風が吹くたび塩の匂いが服の表を撫でていく。
町は、最初の一歩から生きていた。
魚市場が先にある。
朝の盛りを過ぎても、なお魚の匂いは路地の石や板に染みついていた。桶の中で銀色の腹を見せる魚、切り身になったもの、干される途中のもの、貝をより分ける女たち。威勢のいい声が飛び、濡れた床へ水が撒かれ、鱗が光る。
そこを抜けると、今度は塩問屋の白さが目についた。
塩俵がいくつも積まれ、倉の壁際には白い粉が風で寄っている。塩の匂いは魚の生臭さとは違い、乾いて鼻へ残る。人足たちは肩に俵を食い込ませながら無駄なく動き、番頭らしき男は声を張り上げるでもなく札だけで人を動かしていた。
さらにその先には、蔵屋敷が並ぶ。
板壁の高い蔵、土壁の厚い蔵、屋号を控えめに掲げた蔵、何も書いていない蔵。商いの顔が見える蔵もあれば、顔を見せぬまま口だけ開けているような蔵もある。川湊の蔵は流れの途中にある顔だったが、ここの蔵は“抱え込む”顔をしていると卜伝は思った。
そしてその蔵筋を抜けると、道は少しずつ幅を変え、奥へ向かう。
奥には武家屋敷の塀が見える。
白く塗られた壁、黒い板塀、門前に立つ雑兵、城下へ続く通り。
港と城下は別々ではない。同じ町の中で、商いの顔からそのまま武家の顔へ滑らかにつながっている。だからこそ、この町は厄介なのだと、小夜は入る前から言っていた。
「どう?」
その小夜が、卜伝の顔を見て聞いた。
「何がです」
「町の顔」
「……多い」
「それは前にも言ってた」
「では、硬い」
卜伝が言うと、小夜は少しだけ笑った。
「今度はいい答えね」
「褒めていますか」
「かなり」
「珍しい」
「失礼ね」
小夜自身も、町へ入ってからはかなり目を動かしていた。魚市場の女たち、塩問屋の小僧、井戸端で話す女中、路地へ入っていく荷持ちの足。見ているのは人の顔だけではない。人がどこで言葉を止め、どこで笑い、どこで急に目を逸らすかまで拾っている顔だ。
新九郎はというと、すでに港の荷役人夫のほうへ興味を向けていた。
「港の野郎どもは、川湊の人足より肩に力が入ってるな」
「見ただけで分かるの?」
小夜が聞く。
「分かる」
新九郎が言う。
「こっちは海船も絡むからな。荷が重いってだけじゃなく、落とした時の損がでけえ顔してる」
「その言い方、分かるような分からないような」
「分かればいいんだよ」
「でも海は嫌いなんでしょう?」
小夜が刺す。
「嫌いだ」
新九郎は即答した。
「嫌いだが、嫌いなものを見ないで済むわけじゃねえ」
「そこだけ聞くと立派ね」
「そこだけじゃなくても立派だろ」
「それはどうかしら」
「ほんとに辛えな、お嬢さん」
道賢はそんな三人の少し前を歩いていたが、町の真ん中へ差し掛かったところで、ふと立ち止まり、ゆっくり振り返った。
「覚えておけ」
と、いつもより少し低い声で言う。
「何を」
卜伝が問う。
「こういう町は、表の笑顔ほど裏が硬い」
道賢は答えた。
「港の人足は笑う。魚売りも笑う。宿の主も、問屋の番頭も、外から来た客にはまず愛想を見せる。だが、少し深く訊ねた途端、皆そろって口を閉じる」
「さっそくそういう顔をいくつか見たわ」
小夜が言う。
「ええ」
卜伝も頷く。
「市場で“河口からの荷はどの蔵へ上がる”と聞いたら、皆すぐ別の話へ逃げた」
「それがこの町の硬さだ」
道賢が言う。
「知らぬふりをすることに慣れておる。しかも、ただ怖がっているだけではない。知っていても口にしないことが、この町では身を守る手になっておる」
新九郎が鼻を鳴らした。
「気に食わねえな」
「気に食わぬだろうな」
道賢はあっさり返す。
「だが、気に食わぬからといって殴って回れば、こっちが賊になる」
「分かってるよ」
新九郎は言った。
「さすがにそのくらいは」
「本当に?」
小夜が横から言う。
「おい」
「だって、ちょっと考えたでしょう」
「……半分くらいはな」
「やっぱり」
そのやり取りのあと、一行は港寄りの宿をひとつ取った。表通りから少し引いた場所にあり、海風は届くが、港のど真ん中よりは人の目が散る宿だ。荷を置くと、四人は自然に役割を分けた。
小夜は、宿の主と女中、それに近くの問屋筋の女たちへ顔をつないで話を拾う役。
新九郎は、港の荷役人夫と船乗りの輪へ混じる役。
道賢は、町全体の空気と、表に出ぬ顔を見に行く役。
卜伝は、目につく流れと、妙な荷の動きを見る役。
それぞれが、もう何を見ればいいかを知っていた。
卜伝は宿を出ると、町の奥へ続く通りへ足を向けた。
港の側から城下の側へ少し入るだけで、空気はたしかに変わる。海と魚の匂いはまだある。だが、そこへ木の匂い、乾いた土壁の匂い、武家屋敷の門前に漂う静けさが混じる。音も変わる。市場の喧騒は遠くなり、代わりに草履の擦れる音、下働きの小者が駆ける足音、遠くで木剣の打ち合うような音が届く。
この町は、一枚ではない。
表に商いの町があり、その奥に武家の町が重なっている。しかも、その二つが無理なくつながっているから、外から来た者には境目が見えにくい。
卜伝はその境目を見ようとして歩いた。
その時、道の先を、小ぶりの荷駄が通っていくのが見えた。
馬ではなく、人が引いている。箱は二つだけ。大きくもなく、重そうでもない。だが、付き添いの者が二人いる。ひとりは小者風、もう一人は武家の下役のような格好だ。大げさな警戒ではない。だが、ただの商い荷にしては、妙に目が配られている。
「……」
卜伝は立ち止まった。
何かが引っかかる。
荷そのものではない。
その扱い方だ。
大事にしているというより、“誰に見られているか”を気にしている運び方。
河口で見た流れに近い。
卜伝はさりげなく歩調を変え、通りの脇からその小荷駄を目で追った。相手も露骨ではない。普通の顔で、普通の速さで、城下寄りの道へ入っていく。だからこそ厄介だ。見た目が普通であるほど、中に何かを隠しやすい。
荷駄が曲がる一瞬、箱の側面が光を受けた。
卜伝の目が、そこで止まる。
打たれている。
印だ。
河口で見た木片に刻まれていたのと同じ系統の、あの浅い印。荷札のように表へ見せるものではない。持ち主か流れの内側の者だけが分かるような、小さな印。
卜伝は息を浅くした。
間違いない。
真壁の流れだ。
ここへ来てもう、“受け取る側の町”の中まで入っている。
港町は笑って迎える。魚も塩も、宿も問屋も、よそ者にはまず愛想を見せる。だがその笑いの奥に、真壁の流れの先の硬さが確かにある。
そして、その硬さは今、武家の顔をした小荷駄の中にまで紛れ込んでいた。




