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第七章 番外編

[前書き]


これは、彼氏と一緒に書いた小説の番外編です。

本編では入れられなかった、去年のクリスマスイブのことを書きました。


同じ夜のはずなのに、見えていたものが少しずつ違っていて、書いていて面白かったです。

もしよかったら、前の話とあわせて読んでください。



[ユウトサイド]


去年のクリスマスイブ。

僕は、約束の場所へ向かう支度をしていた。


#16時00分 自宅


リビングには、ストーブの低い音だけが流れていた。


テレビはついている。

けれど、何をやっているのかは頭に入ってこない。


台所から母が顔を出した。


「今から出かけるの?」


鍋の湯気の向こうで、少しだけ不思議そうな顔をしている。


「クリスマスイブなのに珍しいわね。ご飯は?」


「あとで適当に」


そう答えると、母は小さく肩をすくめた。


「寒いから、ちゃんとコート着て行きなさいよ」


「うん」


それ以上、会話は続かなかった。


スマートフォンを開く。


未読通知はない。

トーク履歴のいちばん上にある名前は、ここ数か月、動いていなかった。


最後のメッセージは短い。


――またね


それだけ。


別れたわけではない。

けれど、続いているとも言いにくかった。


会う理由を作らないまま、連絡が減った。

減ったことを、どちらも責めなかった。

責めなかったから、そのまま消えた。


終わったのかどうかもはっきりしない関係は、終わりより先に、日常の外へ追いやられることがある。


スマホをしまう。

コートを羽織って、玄関の扉を開けた。


外気が、頬にまっすぐ触れた。


#その日の午前 9時30分 公民館


会議室は、まだ静かだった。


十時から、天文ボランティア団体の定例会がある。

冬は参加者が減る。

それでも僕は、いつも少し早く来ていた。


机を並べ、椅子を整え、資料を順に置く。


頼まれたわけではない。

そうしていると、何となく落ち着くからだ。


窓の外では、風が枝を揺らしていた。

暖房はまだ効ききっていなくて、机の天板が少し冷たい。


資料を意味もなくめくっていると、後ろでドアが開いた。


振り向くと、アヤが立っていた。


ダッフルコートの肩に、黒い髪が落ちている。


「来てたのか」


彼女は、僕の手元の資料を見て言った。


「今日、クリスマスイブだぞ」


「約束は夜ですし」


答えると、アヤは少しだけ眉を上げた。


「公園に行くのか」


僕は視線を外した。


「……まあ」


彼女は、それ以上聞かなかった。


窓の外で風が鳴る。

会議室には、それだけがしばらく残った。


やがてアヤは、小さく肩をすくめた。


「そうか」


短く言って、入口脇の椅子に座る。

資料を広げる音だけが、やけに近く聞こえた。


「ま、別にいいけどな」


軽い言い方だった。


けれど、その軽さの奥にあるものまでは、うまく読めなかった。


#19時00分 海浜公園へ向かう途中


冬の夜は、吐く息まで冷たい。


歩道橋を上る。

白く広がった息が、街灯の下でほどけていく。


海浜公園は、クリスマスイブの夜には人が多い。

けれど、向かっているのはメインの広場ではない。


少し外れた、暗いほうのベンチだ。


来るはずがない。

たぶん、来ない。


それでも行く。


昔、自分が「いいね」と答えた約束だったから。


――クリスマスになったら、海浜公園で星を見ようよ


あのときは、もっと軽い言葉だった。

軽かったはずなのに、時間が経つと、約束だけが静かに重くなることがある。


僕はポケットの中で、指先を組み直した。


来ない相手を待ちに行くのは、格好のいいことじゃない。

ただ、行かなかった場合のほうが、あとで自分の中に残る気がした。


そういう意味では、たぶん誠実なんだと思う。


少なくとも、そのときの僕は、そう思っていた。


#19時15分 海浜公園


ベンチに腰を下ろす。


空を見上げる。


冬の星は、明るいというより冷たい。


遠くの灯りと、海の匂い。

時々、船の汽笛が低く響く。


手が冷えていく。

時間だけが静かに過ぎる。


やっぱり、来ない。


そう思ったとき、背後で枝がかすかに鳴った。


振り返る。


アヤだった。


何も言わずに歩いてきて、僕の隣へ腰を下ろす。

少しだけ距離を空けて。


その座り方が、いかにも彼女らしかった。


「……どうして」


思わず聞く。


アヤは空を見たまま言った。


「別に」


少し間を置く。


「星を見に来ただけだ」


その言葉に、胸の奥の冷たいものが少しだけほどける。


たぶん僕は、誰かに見つけてほしかったのだと思う。

来るかもしれない誰かではなく、来ないと分かっている場所に来てしまった自分を。


「今日は星がきれいだな」


アヤがそう言う。


僕はうなずいた。


「そうですね」


それ以上は話さなかった。


沈黙は続いたけれど、不思議と苦ではなかった。

待つ時間は終わっていて、でも何かが始まったのかどうかは、まだ分からない。


そんな沈黙だった。


しばらくして、アヤが言った。


「……そろそろ帰るか」


僕は、隣を見ずにうなずいた。


### 20時00分 帰り道


街灯の下を、並んで歩く。


遠くにイルミネーションが見える。

それは星空より近く、星空より雑だった。


「……アヤさん」


「ん?」


「来てくれて、ありがとう」


アヤは首を振った。


「礼を言われることじゃない」


「でも」


そこで言葉を切る。


――助かりました


そう言いかけて、飲み込んだ。


あまりにそのままだったからだ。


「……なんだ?」


アヤが聞く。


僕は少し笑う。


「いえ。なんでもないです」


彼女の頬が、街灯に少しだけ赤く見えた。


また黙って歩き出す。


あの夜のアヤの優しさを、

僕はたぶん、一生忘れない。


でも──


誰かを好きになって、

傷つくのも傷つけるのも、

もう十分だと思っていた。



[アヤサイド]


去年のクリスマスイブ。

私は、海浜公園へ向かう準備をしていた。


#18時00分 自宅


部屋の中は静かだった。


エアコンの送風音だけが、かすかに響いている。


ベッドに仰向けに寝転び、天井を見上げた。


……何やってるんだ、私は。


そう思う。


思うのに、体が動かない。


スマホを持ち上げる。

画面は真っ暗だった。


当然だ。

ユウトから連絡なんて来ない。


今日、彼がどこに行くかは知っている。


海浜公園。


クリスマスの夜、星を見に行く。


……元カノと。


いや、正確には違う。


待ち合わせじゃない。

もう連絡も取っていないらしい。


それでも彼は行く。

昔の約束だから。


「……バカじゃないの」


小さく呟く。


そんなの、来るわけないだろ。


それでも行く。


それが、あいつだ。


私はゆっくり体を起こした。


椅子の背にかけてあったコートを手に取る。


袖を通しかけて、ふと止まる。


……待て。


そもそも。


──何時に行けばいいんだ?


私は天井を見上げた。


「……いや、落ち着け」


両手で顔を覆う。


これは推理だ。


推理なら、答えは出る。


#18時30分 推理開始


海浜公園は広い。


でも、星を見る場所は限られる。


まず時間。


クリスマスイブの夜。


普通なら、食事をしてから公園に来る。


レストランのピークはだいたい十八時から十九時。


そこから移動すると──


「十九時半くらいか」


口に出してみる。


たぶん、それくらいだ。


ユウトの性格なら、少し早めに来る。


十九時。


それくらいのはずだ。


「……よし」


私は立ち上がった。


#18時50分 海浜公園


海浜公園の入口は、イルミネーションで賑わっていた。


カップルばかりだ。


私は小さくため息をつく。


「……最悪だな」


こんな場所に一人で来る女がいるだろうか。


いや、いる。


ここに。


私は腕を組んだ。


問題は場所だ。


海浜公園には、星を見る場所が二つある。


南の広場。


それと、東の展望台。


南は人が多い。

イルミネーションの中心だ。


星を見るには向いていない。


「……じゃあ、東か」


ユウトは静かな場所を選ぶ。


そういう男だ。


私は歩き出した。


#19時05分 社


公園の奥へ向かう途中、小さな社がある。


ほとんど誰も気づかない、小さな祠。


私は立ち止まった。


賽銭箱に百円玉を入れる。


手を合わせる。


……何を祈る?


自分でも分からない。


少し考えて、結局こう願った。


『バカな男が、これ以上バカなことをしませんように』


目を開ける。


「……よし」


深呼吸して、歩き出した。


#19時15分 東エリア


林の中を抜けると、港の灯りが見えた。


展望スペースのベンチ。


そこに──


いた。


ユウトだ。


ベンチに座り、空を見上げている。


「……ほんとバカ」


思わず呟く。


来るわけないだろ。

元カノなんて。


それでも、ここにいる。


私は少し迷った。


帰るか。

声をかけるか。


……いや。


そんな選択肢、最初からない。


私はわざと枝を踏んだ。


パキッ、と音が鳴る。


ユウトが振り向いた。


その顔を見た瞬間、胸の奥が少しだけ痛くなる。


私は何も言わず、隣に座った。


いつも通り、少し距離を空けて。


「……どうして」


ユウトが聞く。


私は空を見上げた。


「別に」


少し間を置く。


「星を見に来ただけだ」


夜空には、冬の星が冷たく瞬いていた。


「……今日は星が綺麗だな」


そう言うと、ユウトが少し笑った。


沈黙が落ちる。


でも、不思議と気まずくない。


三十分後。


──長い。


「……そろそろ帰るか」


私は言った。


ユウトは小さくうなずいた。


#20時00分 帰り道


街灯の光の下を、並んで歩く。


沈黙は続いていた。


でも、悪くない沈黙だった。


「……アヤさん」


「ん?」


「来てくれて、ありがとう」


私は首を振った。


「礼を言われることじゃない」


「でも」


ユウトが言いかける。


「……なんだ?」


「いえ」


ユウトは小さく笑った。


「なんでもないです」


私はそれ以上、何も聞かなかった。


冬の夜空は静かだった。

吐く息が白く、静かに消えていく。


隣を歩く彼の歩幅に、自然と自分の歩幅も重なっていく。


この先に何があるのかは、わからない。


けれど──


期待していいんだよね?


そんなことを考えながら、私は歩き続けていた。


***


署のオフィスは静かだった。


蛍光灯の白い光の下で、キーボードの音だけがぽつぽつ響いている。

誰かが紙コップを潰す音が、遠くで一度だけ鳴った。


「……終わりですね」


斎木が言う。


俺は机の上のノートパソコンを見たまま、何も言わなかった。


クリスマスイブ。

海浜公園。

ベンチ。


さっき読んだ小説の場面が、そのまま頭に残っている。


「特に変なところはないですね」


斎木が続ける。


「中山の小説とも、大きく食い違ってないですし」


俺は小さく頷いた。


「そうだな」


「付き合う前の話も、続編も」


斎木は肩をすくめる。


「ちゃんとしてます」


その言い方が、妙に引っかかった。


ちゃんとしている。


整っている。

読みやすい。

筋が通っている。


そういう意味では、その通りだった。


だが、整いすぎている気もした。


俺は画面を見たまま言った。


「……なあ、斎木」


「はい」


「誠実な男って、恋愛をどう終わらせると思う」


斎木が少し考える。


「え?」


「数年付き合った相手だ」


俺は言った。


「別れるなら、どうする」


「……普通は、話しますよね」


「だろうな」


少し間が空く。


斎木は首をかしげた。


「でも、それがどうかしました?」


俺はすぐには答えなかった。


画面には、海浜公園の場面がまだ残っている。

“たまたま”見つけられた男。

“たまたま”迎えに来た女。


そういうふうに読めるように、きれいに並んでいる。


「中山の元カノに、話は聞けないだろうか」


斎木が顔を上げた。


「元カノ、ですか?」


「ああ」


「……なんでです?」


率直な声だった。

責めるわけでもなく、ただ本当に繋がりが見えていない顔をしている。


「いや」


俺は視線を画面に戻した。


「少し気になるだけだ」


「この小説のことですか」


「そうだ」


斎木は少し黙った。


「正直、俺にはまだよく分からないです」


そう言って、ノートを閉じる。


「番外編って感じでしたよね。二人で同じ思い出を書いたっていう」


「……そうかもな」


俺はそう答えたが、腑には落ちなかった。


二人で書いた。

同じ出来事を書いた。


そのわりに、男の立ち位置だけが妙に都合よく見える。


元カノとの約束の場所に行く。

傷ついた男として待つ。

そこへ、川原が自分から来る。


綺麗だ。


綺麗すぎる。


それがただの偶然なのかどうか。


「中山から、連絡先を聞けるか」


俺が言うと、斎木はまだ少し納得していない顔のまま頷いた。


「……まあ、聞くだけなら」


「頼む」


「はい」


それ以上、斎木は何も言わなかった。


俺はもう一度、ノートパソコンの画面を見た。


クリスマスイブ。

海浜公園。

ベンチ。


この小説の中に、何か決定的な嘘はないのかもしれない。


ただ、何かがうまく並びすぎている。


その“並び方”が気になった。


画面を閉じる。


「行くぞ」


「はい」


斎木は、まだ少し首をかしげたまま立ち上がった。


俺たちはそのまま廊下へ出た。


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