1-4. 「自由都市にて」
第四章 自由都市にて
「どうしてもダメぇ?」
似つかわしくない艶やかな声を出しながら上目遣いでディアドラがノイシュに声をかける。慣れていないのか、やや声が上ずっており、緊張しているようだ。一応部下から提案された色仕掛けを、ディアドラなりにかろうじて試しているのだと思われる。彼女が頼んだエールは10杯を越えており、その決断にアルコールの助力を借りたのは明らかだった。
「ダメだっての。護聖は用心棒じゃないんだよ。」
何度目の誘いかわからないが、断るノイシュも手慣れたものだ。そろそろ夜も更けてきて、騒がしかった店内も人気はまばらになってきている。天地郷出身者であるひげ面の店主が洗い物をしながら、今にも吹き出しそうな顔でノイシュ達の方に視線を送っているのがわかった。
「はぁ、部下から言われた誘い文句は全部試したわ。ぜんめつね…」
ほとほと疲れたようにディアドラは椅子に深くもたれ、もはや何杯目かわからないエールを再びオーダーする。ディアドラが団長を務める「赤枝の戦士団」の部下たちからの提案を律儀に全てやり尽くした彼女であったが、ノイシュを翻意させることは叶わなかった。
「ようやく諦めてくれたかい。」
ディアドラと同じくらい飲んでいるノイシュも、まだまだ酩酊していないようだ。そう言いながら再びエールに口をつける。
「…まぁ、最初から厳しいとは思ってたけどね。」
ディアドラ自身も、命を賭して為すべきことがある。講じられる手段は方々手を尽くすべきであることは彼女自身もわかっている。だが、同時に護聖にも、同様に為すべきことがあるということもわかっていた。無頼の旅人とは根本的に違うのだ。護聖獲得のために文献を読み漁った彼女だからこそ、目の前に居る蟒蛇の青年もまた、護聖として相応しい資質を有しているであろうことを感じていた。
「確かに「アガデのロード団」は危険だ。けど、必要なんだ。終末の年が訪れる前に、「神」と逢っておくことが…ディアドラに協力したい気持ちも勿論あるんだけどな。」
これはノイシュの偽りのない本心である。旧神の「体」を降ろしたとされるバアルという男の存在は、過去に出現し世界を混乱に陥れた偽帝シャヘル・悪汪レシェフと同等以上の危険性があるだろう。放置しておけば、終末の年に破滅を齎す大きな脅威となることは間違いない。遠くない将来、バアルという男との対決はまず避けられないだろう。そしてそれは、確実に死闘となることを歴史は物語っている。
だからこそ、バアルとの対決の前にやるべきことをやっておかなければならない。今はまだ、ディアドラの組織に身を寄せるのは早すぎるのだ。
―三国を周って、「神」と逢ったら、その時は君に協力させてくれ。
そう言い残し、ノイシュとディアドラは別れた。
――――――――――――――――
翌日、商業都市ラルサを後にしたノイシュは、自由都市ギルスを目指し出発した。
―自由都市ギルス。
三つの大国と隣接する都市国家の一つであり、それぞれの国への関所が設けられた唯一の都市である。どの国に行くにしても、先ず初めはこの都市を経由しなければならない。そのため、各国からの巡教者や商人などが入り乱れ、非常に多くの宗教・人種が混在している都市であり、その渾然とした在りようからいつしか自由都市と呼ばれるようになった。
大陸のほぼ中央に位置するギルスは、ノイシュの健脚を持ってして、ラルサから5日ほどの距離だ。だが、ノイシュは10日ほどの時間をかけることとした。多くの都市国家を跨ぎ、それぞれの街で住人と触れ合いながら、情報収集を行い、また人々の考えを良く聞いた。その間、ならず者らの姿を見ることはなく、自由都市へは穏やかな旅路となった。
「ふう、やっと到着したか!」
10日目の朝、ノイシュはようやく自由都市 に到着した。今まで通ってきたどの街よりも大きく活気のある都市は、終末の年への不安というよりも、まだ明日の生活を考えている人々の方が多そうだ。ギルザーブという、鶏・豚・牛の3種の肉と野菜を串に通して焼いた自由都市特有の名物料理の芳香が鼻腔をくすぐる。三国からの訪問者が多い土地柄、それを模して考えられた料理で人気が高い。だが、三国の中には戒律でそれらを食すことが出来ない者も多いため、一部の者からは反感を買っているが。
「最初は…換金所かな。」
換金所。3つの大国では当然通貨が異なるため、ここ自由都市では通貨の換金を常に行っている。その全ては天地郷の者により運営されていた。早くから換金所の有用性を見出し、金の出入りの大元を抑えることで、天地郷は多くの都市国家に対して陰から絶大な影響力を有することが出来たのである。
金が出入りするところは、同時に情報が出入りする所でもある。三国の現在の情報を得る為にも、換金所の支配人から話を聞くためにノイシュは換金所へ足を運んだ。
白を基調とした、ベランダ・コロニアル風の様式で建築されたこの換金所は、ギルスの中核に位置する本店でもある。中に入ると、青と白で彩られたゆったりとしたドレスを着た女性が丁寧にお辞儀をし、ノイシュを出迎えた。
「ノイシュ様ですね。支配人がお待ちです。こちらへどうぞ…」
換金を待っている他の人々から奇異な目で見られながら、ノイシュは応接間へと案内された。
しばらく待っていると、換金所の支配人が装飾の少ない、だがツヤのあるコートを召しながら入ってきた。モノクルをかけた、すらりとした長身が特徴の男性で、髪には白髪が混じり始めていた。だが真っすぐに正されている姿勢も相まって、年齢以上に若く見えるだろう。
「お待たせしましたね、護聖。お久しぶりです。」
「フィネガス先生!」
換金所の支配人であるこのフィネガスは、護聖に選定された者へ至高の修練を積ませるための師の一人でもあった。天地郷から大陸中に散らばった、多くの有能なエージェント達の中で、とりわけ一芸に優れ、かつ極めて高い育成能力がある十名が、護聖の師として厳しい修練を行い、各々の持つ知識・技能の粋を護聖に結集させる。
フィネガスは大陸の中央に位置する自由都市に存在する多くの換金所の元締めとして、表と裏双方の世界情勢について誰よりも詳しい。彼の耳には全ての情報が集まるとされ、「天耳」の異名を持つ男だ。彼の博識ぶりには、護聖となった今でも到底及ばないであろうとノイシュは思っていた。
久しぶりの師との再会に喜び勇んで振り返ったノイシュは、フィネガスが手に大量の資料を持っている姿を目に入れ、目を丸くした。
「えっ…それってまさか…」
紙束をドンと机に置き、鉄面皮かと思われた顔を少しニヤリとさせながらフィネガスが言う。
「そう、勿論私は忙しい。なので、ここ最近三国で起きた主要な出来事を纏めておきました。これを読んで下さい。」
「よ…読めって言っても…」
「天地郷には新聞はありませんからね。近年の出来事にはさすがの貴方も疎いでしょう。秘匿せざるを得ないのはやむを得ませんが、情報は護聖の生命線。頭に入れて置いた方が生き残る確率が上がりますよ。」
至極正論である。が、元々ノイシュは努力の人物というよりは才能・センスの人物である。だからこそ護聖に選出されたわけではあるが、こういった単純な読み物は彼の不得手な分野でもあった。護聖は万能の天才ではないのだ。
「はぁ~…外に出たらこんなことしなくても良いと思ってたのになぁ…」
とはいえ、その重要性はフィネガスの言う通りだ。重要な出来事を切り抜いて作られたこの数年分の資料だけでも、知っておく必要はあるだろう。
「2,3日ってとこですかね。覚え終えるのに。宿はこちらで手配しておきましたから、残りの分はあとで届けさせます。旅の疲れもあるでしょうから、しばらくは養生して、備えなさい。」
最後にフィネガスからの薫陶を受けてから、現在までの知識のアップデート。それが自由都市で最初にノイシュに課せられた使命だった。




