1-5. 「自由都市にて②」
第五章 自由都市にて②
「機は熟した…」
長い蝋燭の火が揺らめく部屋で瞑想をしていた男は、そう呟き立ち上がった。一切の剃り残しの無い頭髪は修行僧を思わせる。だが、彼が身に着けている物は袈裟や法衣ではなく、禍々しい赤褐色の色をした、あたかも血液で染め上げられたようなローブであった。
「行け…魔徒を連れてくるのだ。」
部下たちに号令をかけた男は再び黙し、独特の姿勢で瞑想を再開した。
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「ふぅぅぅ、ようやく終わったぁぁ~。」
恩師から課された莫大な量の記事を万遍なく記憶したノイシュは大きく伸びをした。天地郷では知り得なかった近年の各国の動向や、三神の情報など、数多くの有益な情報を得られたのは大きな収穫だろう。もっとも、ならず者に関する情報は、ディアドラから聞いた話以上に深い物はなかった点がノイシュに気がかりだった。多くの都市国家でならず者による殺傷・誘拐などの事件が発生していたが、そもそもならず者とは終末の年を目前に気が触れた破落戸の総称を指す言葉として使用されている。
(あのフィネガス先生ですら旧神主義とならず者の関連については知り得なかった…ディアドラと知り合えたのは僥倖だったかもな…)
かつて読んだ本で、「護聖は旅に出ると今までの経験では考えられない数多の不可思議な体験に連続して遭遇する。それはきっと、護聖の導きなのである。」という記述があったのを思い出す。ディアドラとの出会いも、その一つだったのかもしれない、そう考えながら、ノイシュは宿を出た。
自由都市を訪れて3日目、ようやく街の散策の開始だ。今日はこの自由都市で、とある人物との待ち合わせの予定があった。
目抜き通りは大勢の人で賑わっており、今日も相変わらず活気がある。もう2,3日したら、ノイシュは再び三国のいずれかへ出発することになるだろう。そろそろどの国から行くかを決めなければならない…
そう考えながら歩いていたノイシュは、前方から歩いてきた大きな買い物袋を抱えて前が見えにくそうな女性とぶつかってしまった。
「おっ…とと、ご、ごめん。」
ぶつかった拍子で買い物袋から落ちた果物を、地面に落下する前に素早く空中で掴みながらノイシュは謝った。
「きゃっ…こちらこそすいません!前も見ずに…!」
純白の肌着と法衣を身に着けた、褐色の肌の小柄な女性だった。手に取った果物を渡しながらノイシュは思った。
(クスティーとスドラ…善神教のザラットラの娘か…?)
「あ、ありがとうございます!すごいですね…あんな一瞬でキャッチできるなんて!」
屈託のない笑顔で少女は御礼を述べる。年のころは15歳ほどと言ったところか。子どもではないが大人でもない、一人で自国を出て巡礼するにしては微妙な年齢のように見受けられた。
「たまたまだよ。それにしてもずいぶんたくさん買ったもんだ。豪邸にでも住んでるのかい?」
巡礼にしては不釣り合いな量の荷物を見て素直に疑問に思ったノイシュが尋ねる。
「いえ、お土産です!忙しすぎて中々休みが取れない兄が、今度久しぶりに家に帰ってくるので、何か買っておいてあげようと思って!あ、なんかおすすめの物とかあります!?」
…まだ買うのか?と言いたいノイシュだったが、少女の健気な眼差しにそのような言動は無粋だと感じた。苦笑しながら答える。
「俺も自由都市は数日前に来たばっかだからね。でも、ここは色んな産地の葡萄酒が揃ってるから、カナン産の葡萄酒なんかどうだい?」
少女が持つ袋の形状から、瓶詰の酒類などがなさそうに見えたノイシュは、自身が無類の酒好きであることも相まって、元々注目していた葡萄酒の情報を伝えた。その答えに少女は目を輝かせながらノイシュの手を掴んだ。
「そ~~でした!!兄様お酒大好きだった!忘れてましたぁ!ありがとうカッコイイお兄さん!」
再び買い物袋から果物を落としそうになりつつ、ブンブンとノイシュの手を振り、少女は笑った。ザラットラの関所の方へと伸びる大通りに向かいながら、少女は再び振り返りノイシュに向かってお辞儀をした。
(色んな国の人が居る…良い街だな、ここは…)
雑踏に消えていく少女の後姿を見ながらノイシュは思った。この街に溢れる笑顔が、終末の年にはどれだけ絶望へ変わってしまうだろう。そうならないように全力を尽くす、護聖の使命を再び思い返し、ノイシュは待ち合わせの場所へと急いだ。
街の中心部は各国の関所へと続く大通りと、自由都市の入り口へ続く目抜き通りとが交わっており、象徴としての大きな噴水が設けられている。自由都市での待ち合わせ場所としては最もポピュラーだが、それだけに人の数も多く、この中から特定の相手を見つけ出すのは簡単ではない。だが、ノイシュが探している人物は、周囲の人々から頭一つ分以上に大柄な男性であったため、混雑を見せる噴水前にあって尚、遠目からでも彼を見つけ出すのは容易だった。
「ようセタンタ、相変わらず見つけやすいな。」
天地郷で別れた友人であるセタンタだ。彼はノイシュが護聖として旅立つ前から既に天地郷を離れ、ここ自由都市の警護隊の一人として配属されていた。
ノイシュと同様非常に才能に優れている彼は、入隊して日が浅いが数多くの手柄を挙げており、瞬く間に階級が上がっているようだ。ならず者の脅威が増えてきているということもあるが、驚くべき速度である。また、天地郷の長老衆からは、将来的にフィネガスの後継としてこの自由都市の換金所の元締めとしての活躍も期待されていた。とはいえ、まだまだ若年である彼は、しばらく現場で名を馳せることになるだろう。
「ったく、待ちくたびれたぜ。まぁ今日はせっかくの休日だ。ぶっ潰してやるぜ~、ノイシュ?」
セタンタは天地郷から海路で自由都市に向かった為、ノイシュよりも遥かに早く自由都市に戻ってきていた。ノイシュと天地郷の外で酒を酌み交わす日を心待ちにしていたのだろう、憎まれ口の端々にノイシュへの友情が感じられる。
その時、大柄なセタンタの頭が槍の柄で軽くはたかれた。
「ちょっと、アンタは明日も仕事だろ?飲む量考えなよ、まったく。」
「スカアハ姉!?来てたのか?」
天地郷の時の装いと異なり、黒色の軽鎧に銀の槍を携えたスカアハも来ていたようだ。
「ああ、アタシがいるラガシュは隣だし、元々自由都市の一部だったからね。色々仕事でやり取りがあるんだよ。今日はもう仕事片づけて来たからアガリさ。」
およそ2週間ぶりに再会した3人組は、日も高い中から酒を飲める店を探すこととした。
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「おいおいマジか…」
3人は、2階席のオープンテラスから噴水を望める、瀟洒な造りが目を引く「水面の鼓動亭」に入った。ここの店主は天地郷の出身者ではなく、自由都市の女性だが、警護隊の後援者の一人でもある。若くして大活躍をするセタンタのファンの一人であり、昼時で賑わう店内であっても、眺望に優れる席へ優先的に案内してくれた。
晴天にも恵まれ、昼から酒を飲むには絶好のロケーションと言えるが、セタンタは目の前に置かれたカナン産の葡萄酒に手をつけず、絶句していた。ノイシュから、旧神主義の実情について聞かされた彼は驚きを隠せなかったのであった。
自分が小さい頃、一番好きだった護聖の英雄譚。それが「悪汪と護聖の戦い」だったことを思い出す。そして、絵本の中での存在と思われていたそれと同等の人物が、頻発しているならず者の背後に居るという情報は、セタンタの心胆を寒からしめた。
「不世出の悪人と言われてたレシェフ並みの男かい…さすが終末の年だねぇ…」
天を仰ぎながらスカアハも同じ思いに駆られる。彼らも、今までどこか軽く終末の年を考えていた部分があったのかもしれない。だがノイシュからの話を聞いて、それがとんだ誤りであったことを思い知らされた。
「たまたま会った赤髪の女が、そんな重大な情報を教えてくれるとは夢にも思わなかったよ。」
ノイシュも、セタンタとスカアハが酒に手をつけていないことに遠慮して、葡萄酒に手を付けず話を続けた。もっとも、オーダーした赤葡萄酒が、少し年代物であったため、空気に触れさせるという目的もあるのだろうが。
「…へっ、いきなり女をナンパして重要な情報を引き出すとはさすがだぜ。」
時間が経ちようやく少し落ち着いたのか、セタンタもいつもの憎まれ口に戻る。
「俺はこれから「神」に会いに行くけど、セタンタとスカアハ姉は警護隊として仕事柄ならず者と接触する機会も多いだろ?バアルという男には気を付けてくれ。…まぁ話だけ聞くと、そうそう表には出てこないだろうから大丈夫だとは思うけどな。」
ノイシュの推測通り、それだけの実力を持つ男が大々的に活動を始めていたとしたら、最前線でならず者達と関わっているセタンタとスカアハがその存在を知らないわけがないだろう。彼らのこの反応こそが、バアルがまだ陣頭に立っていないことを示しているとも言える。
「…確かに表に出てこないってことは、何か考えがあるんだろうね。まぁいつ遭遇するかはわからないから、うちの警護隊にも情報を共有しておくよ。何かわかったらアンタにも伝えるようにする。」
ようやく一通りの情報交換が終わり、スカアハは硝子瓶からグラスへ葡萄酒を注ごうとしたその時―
「きゃああああああああああーーーーーーーーーーーー!」
耳を劈くような女性の悲鳴が遠方からあがった。それを聞いた三人は、即座に「水面の鼓動亭」を飛び出し、悲鳴が聞こえた方へ駆け出した。
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騒動は目抜き通りを抜け、街の入り口にほど近い路地裏で起こっていた。三人が野次馬をかき分けて現場に駆け付けると、既に複数の警護隊員達が地に伏せている。生きてはいるようだが戦闘続行は困難そうである。ノイシュが奇岩地帯で斬り伏せた男たちと類似した格好の男たちが20人ほど居り、彼らがならず者であることは一目瞭然だった。
「話してた側からこれかいっ!」
スカアハが穂先に巻き付けた布を勢いよく取り払い、白く光る槍を右前半身に構える。女性にしては筋肉質で、背も高いスカアハではあるが、やはり女性である以上遠間から一方的に攻撃できる槍は彼女と相性がよかった。
「ったく非番の日に問題起こしやがってよぉ~、無事で帰れると思うなよ?」
セタンタが背中に背負っていた戦斧を突き出す。常人なら両手でないと扱えない物も、彼の体躯なら片手斧と同様に振り回すことができた。都市の警護隊としてはおよそ似つかわしくない得物ではあるが、その派手な立ち回りはパフォーマンス代わりとして民衆からの高い人気を得ていた。
「おおっ…!セタンタだ!若鷹の斧使いセタンタ・ホリンが来たぞぉ!」
既に交戦をしていた警護隊員が士気を高めるために高々と声を上げる。それにつられて、周囲に集まっていた人だかりも歓声を挙げた。
「へっ、危ない目にあいそうなのに物好きも居るもんだぜ!!!おおおらぁぁぁぁ!!」
けたたましく咆哮をあげ、セタンタが我先にとならず者達へ突進する。突然飛び込んできた斧使いの一撃を、盾で受け止めて反撃しようと一人のならず者が立ち塞がった。
ガギィィィ!!!!
凄まじい金属音が鳴り響き、その男ははるか後方に吹き飛ばされた。セタンタの凄まじい一薙ぎは、盾を豆腐のように切り裂き、男の鎧に命中した。胴体が寸断されなかったのは、盾で防げると思って足にそこまでの重心をかけていなかったからに過ぎない。男は壁に打ち付けられ、意識を失った。
「相変わらずだなセタンタ…!」
ザザザザザッ!!
追いついたノイシュとスカアハがセタンタの背を護る。ならず者たちを一睨みしたあと、スカアハが叫んだ。
「他の警護隊員は下がって民衆を護れっ!この場はラガシュの警護隊長スカアハ・アードカムと、若鷹の斧使いセタンタが預かるよっ!」
スカアハがそう叫ぶと、交戦していた警護隊が少し安心したように民衆の警護に就く。
「スカアハ・アードカムって…紫影の槍使いの…?セタンタの知り合いだったのか…」
隣の都市で、絶大な人気を誇る、紫の髪をたなびかせた槍の戦姫の噂を聞いていた隊員は、それがスカアハのことであることを知った。
ズドドドドド!!
スカアハが針の穴を通す精密さで、次々と相手の鎧の間隙を突く。一瞬の内に関節を貫かれたならず者達は反撃の暇さえ与えられず行動の自由を奪われてしまった。
ガギィィィ!!!!!
一薙一殺。セタンタの振るう戦斧が唸りを挙げるたびに、ならず者の身体は紙細工のように吹き飛ばされていく。
そんな勇猛な戦士二人を差し置いてなお一際目を引くのが、金髪の青年の戦いだった。激しい戦いにあって尚煌めくその額冠は、観る者を魅了するのかもしれない。相手の攻撃を紙一重で軽やかに躱し、最小限の動きで斬り伏せていくその様は優雅な舞を思わせる。そして疾風の如き速さで戦場を駆け抜けていく姿は、民衆に勇気を与える勇者そのものであった。
20人ほどいたならず者達は瞬く間に数を減らし、数人の男は退却を試みようとする。だがスカアハの槍がそれを許さず、一人の逃走を許すことなく場は決着した。
「被害状況はどうなってる?」
気絶で済んだならず者達を捕縛したあと、セタンタは同期の警護隊員に状況報告を求めた。ならず者 たちがこれだけ大規模に自由都市内で問題を起こすのは初めてのことであった。
「民衆の死亡者は確認されていない…だが、何人かが捕らえられ、誘拐されたようだ。」
隊員は肩口を抑えながら報告する。どうやらならず者達の目的は混乱や殺害ではなく、別にあったようだ。
混乱の収まりつつある現場に残された、散乱している物の一つを手に取り、ノイシュが呟く。
「これは…」
落ちた拍子に割れたのであろう、芳醇な葡萄酒の香りを漂わせるそれは、先程目抜き通りでぶつかったザラットラの娘が抱えていた買い物袋だった。
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