1-3. 「狂信者」
第三章 狂信者
天地郷から最も近い都市、あるいは大陸で最南端に位置する商業都市ラルサ。ディアドラとノイシュはこの奇岩地帯への観光客で成長した商業都市へ腰を落ち着けることにした。
この大陸にはそれぞれの「神」を信奉する三つの大国以外に、この商業都市ラルサのような小規模の都市国家が点在しており、それらの都市は「都市連邦」として纏まっている。
だが、それら都市国家のほとんどが、大国である三国に取り囲まれる形で地理的に隣接しているため、この都市連邦が大きな勢力を持ち得ることは歴史上なかった。特定の都市国家が大きな武力を持ち始めた場合、三国それぞれが必ず介入し、都市国家を押さえつけるためである。そのため、あくまでこれらの都市国家は、特定の宗教を信仰しない、精霊信仰を主とする人々が集う商業の都市として発展を遂げてきた。
天地郷と隣接するこのラルサは、その大部分が天地郷出身の人々により運営されている。
そもそも天地郷自体がどのように運営されているかと言うと、農業や畜産などの第一次産業だけで成り立っているわけでは当然ない。地理的に物流が途絶えている土地柄、食料の自給は大事な要素ではあるが、それらはあくまで天地郷内の食料供給という以上の役割は果たさないのである。
天地郷は、護聖を育成するための独自のプログラムを応用した、極めて高い人材育成能力を活かし、世界各国に非常に有能なエージェントを派遣することで、情報収集と同時に多額の収入を得ていた。
天地郷では何時誰が護聖として選出されても良いように、少年少女たちはエサギーラの以前から極めて高度な修練を積まされるのである。護聖となった者だけは更にハイレベルな修行を必須とするが、それを受け入れるだけの素養を築いておかなければ有能な護聖は誕生しない。
護聖として選ばれなかった者達でも、優秀であると認められた者達は、その優れた能力を活かし、天地郷への報恩のため世界中で活躍するのである。
セタンタとスカアハもまさしくそのエージェントであった。
特にラルサは、天地郷と物理的に距離が近い分、天地郷出身者の数は他の都市国家と比べて非常に多く、ほぼ天地郷が支配している都市と言って過言ではない。勿論そのことは大っぴらにされているわけではないが、天地郷に辿り着くためには必ずこのラルサを経由しなければならない以上、何か異常な動きがあればすぐに天地郷にその情報は共有されるようになっている。
当然、ノイシュがこの都市を訪れることも事前に伝わっていた。
とはいえ特別な歓待をすることはなく、特に今回はノイシュの目配せにより瞬時に事態を察した天地郷の人たちは、あくまで素知らぬ振りに努めた。
ノイシュ自身も、過去に何度かラルサを訪れたことはあるが、いずれも少年時代の訪問だったため、あまり詳しいわけではない。今回は天地郷でしきりに料理と酒の評判を聞かされていた酒場、「岩山のほほえみ亭」をディアドラとの情報交換の場としてセレクトした。
日も落ち始め、店が酒場としての喧騒に包まれる中、二人は自家製エールを傾けながら情報交換を始めた。
「ぷはぁ、噂には聞いてたが美味いな、このエールは!」
奇岩地帯で採れた麦芽を用いて上面発酵させたエールはプラムの匂いを感じさせ、泡と共に喉を通るとカシスやチェリーの甘味が広がる。丁寧に注がれたきめ細かい泡は、上質なスパークリングワインにも似たまろやかな口当たりを感じさせ、すぐに飲み干してしまう程だ。
「確かにイケるね。さすが旅人、こんな最南端の酒場までチェックしてるとは。」
ディアドラも気に入ったのか、すぐにグラスを空けて2杯目をオーダーする。
「それで…なんなんだい?さっきの奴らは」
このままエールだけを飲み続けてたら本題に入る所ではないと感じたノイシュは早々に話を切り出す。ディアドラも待ってましたとばかりに身を前に乗り出してきた。
「ああ。あいつらはバルバロイさ。」
「ならず者?一体なんなんだ、そいつらは」
ならず者。天地郷を旅立つ際にも聞いた単語だが、結局未だに不明なキーワードだ。ディアドラからも飛び出る、ということはかなりポピュラーなものなのだろう。
「………ゴクゴク。」
身を乗り出して来たにも関わらず、ノイシュからの質問にすぐには答えないまま、再びエールに口をつけてからディアドラは口を開いた。
「バルバロイってのは、世間一般ではただのチンピラ達と言われてるけどね…実際は「旧神主義」の奴らなんだ。」
ディアドラの言葉にノイシュは意外そうな反応を示す。ならず者は知らないが、ディアドラが言った旧神主義については天地郷で学んだ知識の中で聞いたことがあるからだ。
「旧神主義…か。本で読んだことはある程度だけど…確か、特定の一人の「神」を崇める三つの国々と違って、超自然的存在である旧神を崇める集団だっけ?」
もっともノイシュの言う通り、旧神主義の実情について、取り立てて詳しい者は天地郷にはいなかった。神子教、善神教、天人師教のような、多くの信者を擁し国家を為している思想と異なり、旧神主義は国・都市国家として独立しているわけではないことが大きい。秘密結社ではないが、秘術主義である思想。情報の少なさは護聖の里である天地郷と類似している部分もあると言えた。
と、同時にノイシュの緊張感が少し高まる。目の前の赤髪の女性は、その旧神主義の一員であるのだろう。だが、その思想に善い噂を聞かないということがノイシュに警戒心を抱かせた。
それに気付いていないのか、或いは素知らぬ振りをしているのか、ディアドラは特に調子を変えずに話を続ける。
「そう。旧神っていうのは、この世界の始まりの時代、初代の護聖や三国の創始者をはじめとした英雄たちと戦って敗れたとされる、異形の神々のことさ。超越的な力を持っていたからこそ、人の世を支配しようとし、護聖達に封印されたという伝説があるね。」
「旧神ねぇ…わざわざ神話の時代の敗者を崇めるのはなんでなの?」
「三国の、いわゆる初代の「神」達は、建国後一部の霊力を遺して没した。その霊力の残滓を色濃く受け継いだ者が、要は「神」として誕生するわけよね。でも、旧神達はあくまで封印なんだ。だから、霊力の残滓どころか霊力が丸々遺ってる…つまり、旧神の信奉者ってのは、その強大な霊力を手にしたいっていう欲望を持った者達の集団なのさ。」
「へぇ…なんだか叙述トリックのような気もするけど、そんな巨大な力を手に入れた、なんて話は俺の知る限り聞いたことないけどな。」
ノイシュはあっけらかんとエールを飲み干しながら答える。
「……居るよ。」
「え?」
故に、ぽつりとつぶやいたディアドラの言葉は聞こえなかった。
「まあ、ノイシュの言う通り、そんな強大な力を手にできる奴なんて、まず居ないんだ。だから、旧神主義っていうのは、長い歴史の中で、「力を手に入れて為すべきことを為す」というのが教義として確立された。」
「真っ当だな。やりたいことがあるなら自分の力でやり遂げれば良い。」
「あるかどうかわからない封印された旧神なんてのを当てにするより、修行の果てに自分自身で力を身に着けるべきだ、という一派も旧神主義の中で増えてきた。一方で、とにかく旧神の力を得ることだけを至上命題とした旧神原理主義者も居て、そいつらはノーデニストって呼ばれてる。ただ元々が大雑把に言えば「やりたいことをやる」主義なわけだから、その2つの分派はお互い共存してた。長い間ね。」
「バランスが崩れた、ってことか。」
ディアドラが黙って頷く。
「終末の年が迫ってきているっていう影響が大きかったんだと思う。世界の破滅を信じる者も多い以上、「やりたいことをやる」という思想は狂熱的に加速してしまった……。そして、それを煽動する者が一つの集団のリーダーの位置に居たというのが最悪だったわ。」
「…ダゴンが言ってた、バアルって奴か…?」
「そう、バアル…。バアル・ベールは、旧神の力を得ることを命題とした原理主義者の中で、同時に絶え間ない凄絶な修行をも実践する男だった。彼は、その修行の果てに、ついに旧神の「名」と「体」を得た存在とされ、教団のカリスマ的主導者の位置に就いた。」
「旧神の…「名」と「体」…?」
「元々教団の幹部には、旧神の「名」を授けることが慣例となっているの。「海の旧神 ダゴン」然り、「光の旧神 バアル」然り。「名」を得たところで、別に特別な力が手に入るというものでもないんだけどね。要は教団の中での階級みたいなものだよ。」
「「体」と言うのは?」
「旧神原理主義者にとっては、「体」を得ることが最大の到達点とされる偉業。旧神の「体」を得た者は、その絶大な霊力を得て、旧神の化身と化すことが出来る、と言い伝えられているわ。ただその方法は不明で、体系化はされていない。長い旧神主義の歴史でも「体」を得た人間はほんの一握りとされる程稀有な、伝説の存在…」
その話を聞いた瞬間、天地郷で学んだ、過去の護聖達と壮絶な戦いを繰り広げた相手の名前がノイシュの脳裏に浮かぶ。
(…「偽帝シャヘル」と「悪汪レシェフ」…彼らも…?)
もはや数百年単位の歴史上の出来事だが、その戦いがどれほど苛烈だったかは嫌と言う程聞かされたものだ。天地郷ではシャヘルとレシェフが旧神主義の者だとは触れられておらず、出自は不明とされていた。
もっとも、護聖達が天地郷出身であることを秘匿しているように、旧神主義者達もまた、その教団の奥義とも言える秘術の結晶を外部に漏らさないのも当然だと思われた。
「バアルという男はそれを得たのか…?」
「私も真偽はわからない…けど、あいつの力は人間のレベルじゃない。それだけは事実だよ…」
さきほどディアドラの卓越した弓技をその目で見ていたノイシュは、冷や汗をかくディアドラの顔を見てそれがどれほどのレベルか察した。
「教団の中で絶大な力を持つバアルは、私が居た旧神主義の支部のリーダーとなった。「アガデのロード団」と呼ばれてるところのね。けど、リーダーとなったバアルが出した指令は到底受け入れがたいものだったよ…」
悔しそうな顔をしながらディアドラが言葉を紡ぐ。
「「旧神以外の「神」など偽りの邪神。またそれを信奉する教徒も魔徒。我々以外の全ての人間は粛清されるべき存在故に、鏖殺されなければならない」ってね…」
「…狂ってるな。」
「そんなもの到底受け容れられるわけがない。旧神主義の奴ら自身が終末の使者と化すなんて、私は我慢がならなかった…!」
「…正常だな。」
ディアドラの悲痛な表情は、少なくとも目の前のこの女性が悪辣な人物ではないことをノイシュに注げていた。
「そして私が、賛同してくれる奴らと一緒に「アガデのロード団」を飛び出したのが数年前。追手は勿論来し、今でも狙わてる。けどその間、意外にも奴らは大々的にその鏖殺の活動は始めなかったわ。恐らく、私と同様に反発する勢力も居たんだと思う。「アガデのロード団」内部の完全な掌握・支配に時間がかかったんだろうね。けど、今はもう…」
「バアルの「やりたいこと」を忠実に実行する集団となった、というわけか。」
「そう。今では奴らは他教の信徒を見ると襲い掛かってくる暴徒と化してしまったわ。見境なく襲い狂う様は、終末の年を目前に気が触れた破落戸達とされ、そんな奴らを、人はいつしか<<ならず者>>と呼び忌み嫌うようになった…ってワケさ。」
「それでアンタはそいつらを止めようとしてるってことか?」
「ええ。何年かかかったけど、ようやく組織として戦力が期待できるようになったからね。バアルが内部統制に手間取ったこと、最近のならず者達の凶悪さも相まって、奴らに反感を持つ者たちを集めることができたの。」
「…よくわからないな。」
「え?」
話を聞いていたそのノイシュの返しに、ディアドラは不思議そうに返す。
「なんでアンタは奴らを止めようとする?ダゴン達を見てもそうだし、今話を聞いて確信できるが、そのバアルって奴はまともじゃない。そいつらと正面からぶつかれば、お互い大多数の死者が出るだろうし、イカれた奴らを相手にしたらアンタだって死ぬかもしれない。どうしてそこまで?」
ノイシュの問いかけに、少し間を置いてからディアドラが答える。
「…私とバアルは、お互い捨て子で、バアルの前のリーダーだったアンシャルという男に育てられた。歳は離れてるけどね。兄妹同然だったよ。けど、10年以上前にアンシャル様が行方知れずになってから、バアルは少しずつ変わっていった…」
「…。」
「…自分の兄が、家族が、世界中の人を破滅に導こうとしてたら…アンタだったらどうする、護聖?」
答えるディアドラの力強い目が、はぐらかそうとするノイシュの自制を止めた。椅子に深くもたれかかり、息を吐きながらノイシュが尋ねる。
「…なんでわかった?」
「アンタの着けてる額冠。護聖の助力を得る為に色んな文献を読み漁ってたら、自然とその額冠の特徴を覚えちゃったからね。さすがに遠目から見ただけじゃわからないけど、こうやってジックリ見たらもう間違えないよ。それに…」
「……それに?」
「このご時世に旅をしてるのに、ならず者を知らないって言うのは不自然過ぎるよ。」
ディアドラが笑いながらエールを飲み干し、3杯目のエールを注文する。思い返せばならず者を話題に出した時の微妙な間は、ディアドラの確信を深めたものだったのだろう。
(…一本取られたな…)
新しいエールが来る間、ディアドラは身を乗り出し、困った顔をしているノイシュに小声で囁いた。
(安心しなよ。アンタが奇岩地帯から来たってことは誰にも言わないからさ)
(…酔っぱらいの戯言じゃないだろうな?)
「たかが2杯で我を失うようなら、今まで生き残っちゃいないさ。」
その快活な笑顔に悪意など微塵も感じられなかった。故にその言葉も、ノイシュを騙してやろうなどと言った思惑がないのだろうと思われた。
(やれやれ…思ってたより遥かに厄介な女だったな)
そう思いながら、ノイシュも嘘をつかなくても良い状況に安堵しながら、再びエールに口をつけた。
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「ダゴンが死んだ?」
不自然に明るい洞窟の中で、古い書物を読みながらバアルは部下からの報告を受けた。表情に変化は見られないことから、その報告がさして意外なものでもないということを物語っていた。
「やはり護聖は現れたということか…。」
過去に、自身と同様に旧神の「名」と「体」を得た者達は、護聖の力を侮り敗北した。護聖の存在は自身の野望の妨げとなる蓋然性が高い以上、バアルにとっても無視できない存在である。護聖が何時、何処から登場するかは誰にもわかっていない。故に、大陸中の疑わしきところに予め部隊を配置していた。
「今回の配置は護聖の抹殺ではなく、護聖の出現を識るためのものだ。ダゴンが死んだ以上、他の部隊を展開させておく必要もあるまい。撤退命令を出しておけ、コシャル。」
「ハッ。それともう一点。部下からの報告によると、凄腕の剣士の他にもう一人、赤髪の女の存在も、ダゴン部隊の殲滅に関わっているようです。」
コシャルの報告に、バアルは少しだけ眉を吊り上げた。
「…ディアドラか。奴も護聖を探しているだろうとは思ったが…先に接触されてしまったようだな。」
「護聖とディアドラへの対処はいかがなさいますか?」
しばし考えた後、バアルが口を開く。
「ディアドラはともかく、報告した者も、遠目からでは護聖の特徴を掴んではおるまい。護聖の足取りを追うのは難しいだろう。」
「放っておくということですか?」
「いや…ディアドラは護聖を自分の組織に誘うだろうが、恐らく護聖は断るだろう。奴は必ず三国の「神」と会おうとするはずだ。そこに網を張る。撤退させた部隊には引き続き、魔徒の粛清と生贄の確保に励むよう指示しておけ。」
「仰せのままに…」
コシャルと呼ばれた男は恭しく一礼をすると、音も立てず部屋を出て行った。バアルは読みかけの本を閉じ、一人呟いた。
「止められぬよ、ディアドラ…」
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