第4話 切り捨てられた右腕
約束の一週間が過ぎた。
重い木の扉が開き、田中が社長室に入ってきた。
一週間前よりもさらに白髪が増え、顔には深いしわが刻まれている。
まるで生気を吸い取られた抜け殻のようだった。
「……結論は出たか、田中」
俺は革張りの椅子に深く腰掛けたまま、冷たい声を投げかけた。
田中は震える手で、一枚の白い封筒を机の上に置いた。
辞表だ。
「……申し訳ありません、社長。私には、三十年付き合ってきた恩人たちを切り捨てることは……できませんでした」
絞り出すような声だった。 俺は机の上の辞表をちらりと見下ろし、鼻で笑った。
「そうか。お前のその甘さが、この会社を危険にさらしたんだ。…今日までご苦労だったな」
「剛……」
ふいに、田中が昔の呼び方で俺の名を口にした。
「お前は、本当に大事なものまで切り捨てて……最後には一人ぼっちになるぞ。あの能登の冷たい雨の中より、もっと寒くて暗い場所にな」
田中の目には、恨みではなく、哀れみのような色が浮かんでいた。
それが俺の神経をひどく逆なでした。
「黙れ! 負け犬が偉そうに説教をするな! さっさと消えろ!」
俺の怒鳴り声に、田中は深く一礼し、力ない足取りで部屋を出て行った。
静まり返った社長室。
俺は勝者だ。会社の利益を守り、不要なものを切り捨てた。
何も間違っていない。
そう自分に言い聞かせるように、卓上の熱い茶を飲もうと右手を伸ばした。
しかし――。
ガシャンッ!
「……っ!」
右手に全く力が入らず、湯呑み(ゆのみ)を床に落としてしまった。
粉々に割れた破片と茶が、足元に飛び散る。
俺は自分の右手を、信じられない思いで見つめた。
指先が、小刻みに震えている。怒りからではない。老いぼれた肉体が、俺の意思に反抗しているのだ。
「ふざけるな……俺の身体だぞ……!」
田中の最後の言葉が、呪いのように頭の奥で響いていた。
孤独な王様の玉座は、確実に、そして音を立てて崩れ始めていた。
続く




