第2話 錆びついた右腕
自社ビルである氷室コーポレーションの最上階、8階の社長室。
重苦しい沈黙の中、俺は手元のタブレットから視線を上げ、目の前に立つ男を冷たく見据えた。
「……で? この三ヶ月、利益率が横ばいなのはどういう言い訳だ、田中あー!」
創業時からの付き合いであり、かつては俺の右腕として働いてきた田中。
今年で66歳になる、俺より一つ年上の男だ。
白髪まじりの頭には脂汗が浮き、スーツの肩には昔のような張りがなくなっている。
「社長……それは、長年付き合いのある下請けの町工場が、資材の高騰で苦しんでおりまして。少しだけ、うちからの発注単価を上げて救済を……」
「救済?」
俺は鼻で笑い、タブレットをデスクに放り投げた。
乾いた音が部屋に響き、田中がビクッと肩を震わせる。
「勘違いするなよ。ここはボランティア団体じゃない。利益を生まない寄生虫を養う余裕は、この会社には一円もない」
「し、しかし! 彼らの技術がなければ、うちの初期の製品は完成しませんでした! 昔の恩義というものが……」
「恩義だと? くだらん」
俺は田中の言葉を容赦なく遮った。
ビジネスに感情など不要だ。必要なのは数字と結果だけ。
「時代についてこれない古いパーツは、切り捨てるしかないんだよ」
俺は立ち上がり、田中の目の前まで歩み寄った。
かつて共に泥水をすすった右腕も、今やただの錆びついたお荷物だ。
「田中、お前には一週間の猶予をやる」
「え……?」
「来週の金曜までに、下請けを切れ。そしてコストを二割削減した数字を俺の机に持ってくるんだ。……それができなければ、自分から辞表を書け。もう定年退職の時期だぞ」
田中の顔からすっと血の気が引いていく。
昔の仲間である下請けを見捨てるか、自分が会社を去るかの究極の選択。
絶望に歪む田中の顔を見下ろしながら、俺は冷え切った声で言い放った。
「下がれ。俺は忙しいんだ」
田中がふらつく足取りで社長室を出ていくのを見届け、俺は再びタブレットを手に取った。
新しい下請け先のデータを確認しようとした瞬間、文字がぼやけて二重に見えた。
「……チッ」
俺は眉間を揉み、タブレットを目から少し遠ざける。 老眼だ。
最近、細かい文字を見るたびにピントが合わなくなる。
先ほどの田中の老いぼれた姿が、まるで自分自身の未来を映しているようで、無性に腹が立った。
使えなくなった古いパーツは、切り捨てるしかない。
だが、この老いぼれていく俺自身の肉体は、どうやって切り捨てればいいんだ。
俺は忌々しい視界のブレに苛立ちながら、一人、舌打ちをした。
続く




