第22話 撤退と沈黙。俺は手書きの帳簿に奪還の絵図を描く
俺は暗闇に紛れ、足音を殺してあの巨大な氷の墓場から抜け出した。
隣のカプセルで干からびていった男の無惨な姿が、網膜にこびりついて離れない。
少しでも焦ってボロを出せば、俺の本体も須藤のボタン1つで同じように「処理」される。
俺に与えられたのは、針の穴を通すような1度きりの機会だけだ。
夜明け前、誰にも見られずに自宅の書斎へと戻った俺は、引き出しの奥から古い革張りの帳簿と万年筆を引っ張り出した。
須藤の背後にあるのは、国家権力すら操る底知れぬ組織だ。
電子データなどという便利な代物を使えば、どんなに暗号化しても必ず奴らに察知される。
だから俺は、絶対に外部に漏れないこの物理的な紙とインクだけで、己の命を取り戻すための絵図を描き始めた。
条件は3つ。
1つ、あの特殊な培養液ごと本体を運び出せる、特注の移送用カプセルを用意すること。
2つ、奪い返した本体から例の「薬」を自前で抽出し、今のこの無尽蔵の体を維持し続けられる闇の医療設備を整えること。
3つ、それらを極秘裏に実行し、須藤を確実に仕留めるための、信頼できる「手駒」を集めること。
万年筆のペン先が、カリカリと重い音を立てて帳簿のページを黒く染めていく。
静まり返った部屋に、インクの匂いが微かに漂う。
俺はまだまだ、この無敵の体で業界を支配し、人生の甘い汁を吸い尽くすつもりだ。
月5000万の首輪を外して、何十年もこの強靭な肉体を謳歌してやる。
そして、すべてに満足して本当に「終わり」を迎えたくなったその時に初めて、俺は元の肉体に戻って安らかに死ぬのだ。
あんな冷たいガラスケースの中で、家畜のように搾り取られたまま終わるなんて絶対に認めない。
どれも途方もない金と時間がかかる計画だ。
帳簿の最後のページに、俺は計画に必要な莫大な予算を書き殴った。
この金を作るためには、もう会社を「生かさず殺さず」などと甘いことは言っていられない。
明日から、情け容赦のないリストラを断行する。
反発する役員は切り捨て、下請けには血を吐くような単価を強要する。
俺を信じてついてきた社員たちの人生がどうなろうと知ったことか。
骨の髄まで、1滴の血も残さずにしゃぶり尽くしてやる。
俺は血走った目で分厚い帳簿を閉じ、深い闇の中で低く喉を鳴らして笑った。
反撃の狼煙は、この薄暗い書斎から静かに上がったのだ。
続く




