第12話 須藤の薄気味悪い微笑み。一億円の体に隠された罠
色と音、そして味を完全に失った世界で、俺は一睡もできずに朝を迎えた。
肉体的な疲労は全く感じない。
それどころか、心臓は力強く脈打ち、手足には有り余るほどの力が漲っている。だが、それがかえって薄気味悪かった。
視界は相変わらず無機質なモノクロームのままで、窓の外から差し込むはずの朝日すら、ただの冷たい白い光にしか見えない。
静まり返った寝室にいるというのに、耳の奥では常に遠くのノイズのようなものが鳴り続けている。
ただ焦燥感と、得体の知れない恐怖だけが、白黒の視界の中で渦巻いていた。
俺は朝一番で会社に向かい、社長室に須藤を呼び出した。
表向きの大学病院や名医に診せたところで、この闇ルートで作られた肉体の異常など、解明できるはずがない。
この体の出所を知り、あの地下の手術室へ俺を案内した裏の人間――つまり須藤を直接問い詰めるしか道はなかった。
「須藤! これは一体どういうことだ!」
静まり返った社長室に須藤が入ってくるなり、俺は歩み寄り、その胸ぐらを力任せに掴み上げた。
「味がしない! 音も遠のいてまともに聞こえん! 昨日の夜からは景色の色まで完全に消え失せた! この体は不良品か! 一体どうなっているんだ!」
俺の怒号が響く中、須藤は抵抗するそぶりすら見せなかった。
それどころか、俺に胸ぐらを掴まれ、激しく揺さぶられているにもかかわらず、全く慌てることなく、氷のように冷たい目で俺を見つめ返してきたのだ。
「……社長。どうか落ち着いてください」
くぐもった水底のような音で、須藤の声が耳に届く。
その声には、かつての忠実な右腕としての温かさや、俺を恐れる感情は微塵も含まれていなかった。
「五十億の特注品ではなく、たった一億円の『安物』をお選びになったのは社長ご自身ですよ? コストを極限まで削った既製品なのですから、機能に多少の不具合や、耐用期間の短さがあるのは当然のことではありませんか?」
「ふざけるな! 俺はただ仕事をするための完璧な体を求めたんだ! こんなポンコツに乗り換えるために大金を払ったわけじゃない! 治す方法を教えろ! 金ならいくらでも出す!」
俺が唾を飛ばしながら怒鳴りつけると、須藤の口元がわずかに、だがはっきりと歪んだ。
あの地下の密室で、俺が冷たい麻酔の泥に沈んでいく直前に見た、あの薄気味悪い嗤いだ。
「……治す方法、ですか?」
須藤は俺の腕をゆっくりと、だが有無を言わさぬ力で振り払った。
そして、乱れたスーツの襟を直しながら、極めて事務的なトーンで口を開いた。
「ええ、もちろんございますよ。この肉体の欠陥は、定期的にシステムをアップデートし、専用の『特別な薬』を投与し続けることで修復し、維持することが可能です」
「なら、すぐやれ! 今すぐだ!」
「ただし……」
須藤は、色褪せたモノクロの視界の中でもはっきりと分かるほど、ねっとりとした、爬虫類のような視線を俺に絡みつかせた。
「その体を完全に修復し、今後も維持するための『特別な薬』は、大変高額になります。……初回の投与だけで、およそ十億円。その後も毎月の莫大な維持費用がかかりますが……よろしいですか?」
その感情のない声を聞いて、俺の背筋に冷たい汗が流れ落ちた。
こいつは、最初から知っていたのだ。
一億円の体がすぐに使い物にならなくなることも。俺が必ず泣きついてくることも。
すべては、俺をこの底なしの沼に引きずり込み、俺の築き上げた財産を骨の髄までしゃぶり尽くすための、須藤の周到な罠だったのだ。
続く




