第10話 市場を喰い尽くし俺は永遠の王になったはずだった
退院から数週間。
俺が本社ビルに姿を現した時、役員どもはまるで幽霊でも見たかのように腰を抜かした。
無理もない。つい先日まで死にかけていた六十五歳の社長が、四十歳前後の逞しい肉体になって帰ってきたのだから。
俺は「海外の極秘施設で、最新の細胞治療と全身整形を受けた」とだけ説明し、余計な詮索をする者は即座にクビを切った。
圧倒的な恐怖による支配。俺の会社は、再び完全に俺の手の中に収まった。
新しい身体の性能は、まさにチート(反則)だった。
朝六時から深夜二時まで、分刻みのスケジュールで激務をこなしても、息一つ上がらない。肩こりも、腰の痛みも一切ない。
俺はかつてないほどの冴え渡る頭脳で、次々と競合他社を叩き潰していった。
中でも最高だったのは、あの鮫島の会社から、数百億円規模の大型案件を力技で奪い取ってやった時だ。
五十億円の高級ボディで女遊びにかまけていた鮫島は、俺の無限の体力と執念についてこれず、見事に敗北したのだ。
その夜。
俺は鮫島への完全勝利を祝うため、須藤を連れて銀座の最高級クラブを貸し切った。
テーブルには、一本数百万は下らない最高級のヴィンテージ・ワインが並べられ、都内で一番の美女たちが俺の周りを囲んでいる。
「社長、素晴らしい采配でした。これで我が社の業界トップは、未来永劫揺るぎませんね」
「当然だ。俺はこの身体で、あと百年でも二百年でも君臨し続けてやるさ。さあ、飲め須藤!」
俺は上機嫌でグラスを掲げ、深紅のワインを口に含んだ。
芳醇なブドウの香りと、熟成された深い味わいが……。
(……ん?)
俺はピタリと動きを止めた。
不味いわけではない。
だが、口の中にあるはずの「数百万のワイン」に、全く深みを感じないのだ。
まるでコンビニで買ってきた数百円の安いワインのように、ただのアルコールを飲んでいるかのような薄っぺらさ。
「……おい須藤。このワイン、本当に本物か? やけに味が薄いぞ。偽物を掴まされたんじゃないか?」
俺がグラスをテーブルに置くと、須藤は全く動じることなく、涼しい顔で微笑んだ。
「……社長? 紛れもない最高級品のヴィンテージですよ。ここ数週間、休まず働き詰めでしたから、少しお疲れなのでは? いくら頑丈でも、新しいお体への適応には時間がかかりますから」
須藤の言う通り、俺の疲労のせいなのだろうか。
だが、隣に座る極上の女の太ももを撫でた時も、俺の手のひらは奇妙な違和感を覚えていた。
体温は感じる。肌の柔らかさもわかる。だが、見えない極薄の手袋越しに触れているような、もどかしい感覚なのだ。
内側から湧き上がるような、あの熱い興奮がなぜか湧いてこない。
深夜、俺は自宅の豪邸に戻り、最高級のベッドに潜り込んだ。
手術直後の数日間は、目を閉じればあっという間に、泥のように深く甘い眠りに落ちていた。
この身体は本当に素晴らしいと、毎朝感動とともに目覚めていたはずだった。
だが——。
パチリ、と目が覚める。
部屋は真っ暗だ。時計を見ると、午前三時。眠りについてからまだ二時間しか経っていない。
身体の疲労は全くない。だが、脳の芯にモヤがかかったようにスッキリしない。
もう一度目を閉じるが、意識の表面を上滑りするばかりで、あの心地よい深い眠りの底へと沈んでいくことができない。
(……なんだ。なんだ、この感覚は)
暗闇の中で目を見開いたまま、俺は自分の若い手のひらをじっと見つめた。
完璧だったはずの歯車が、音もなく狂い始めている。
続く




