第六章 サボテン剣士は抜かれたい
砂浜に降りた瞬間、熱かった。
足の裏から、じりじりと焼けるような感触が来た。あたしは裸足に近いサンダルだから、砂の温度がそのまま伝わってくる。ジャングルの地面とは全然違う。湿っていなくて、柔らかくて、一歩ごとに沈む。
「暑い」
あたしは言った。
「砂漠ですから」
フロリアが突っ込んだ。
「こんなに暑いの?」
「砂漠とはそういう場所です」
「知らなかった」
「ジャングルしか知らなければ、当然です」
フロリアが日差しに目を細めた。
「わたしも、これほどとは思いませんでしたが」
フロリアの顔が、少し赤かった。暑さに弱そうだ。花姫だから、水が多い場所の方が合っているのかもしれない。
「大丈夫?」
「大丈夫です。ただ、少し、頭が」
「日陰に入った方がいい」
「日陰が、どこにも」
見渡すと、確かに日陰がなかった。砂と岩と空だけだった。
ポポルが肩の上で耳をぺたんとした。
「ポポも暑いポポ。毛が邪魔ポポ」
「脱げないじゃん」
「分かってるポポ。言いたかっただけポポ」
ゲコッタが砂浜に座ったまま言った。
「ゲコは乾燥が苦手ゲコ。砂浜で待つゲコ」
「ありがとう。戻ってきたら出発するから」
「ゆっくりするゲコ。手紙の整理をするゲコ」
「昨日、全部飛ばしたじゃん」
「残りがあったゲコ。口の中は広いゲコ」
あたしたちは砂浜から離れて、内側へ歩いた。砂から岩場に変わると、少しだけ足元が落ち着いた。岩の影で、少しだけ風が違う。
オアシスは、島の中心にあるらしかった。フロリアが「種の気配は、あちらです」と示した方向に向かって歩いていくと、遠くに緑が見えた。木が何本かと、水が光っているのが見えた。
でも、その手前に、サボテンがいた。
近くで見ると、さらにでかかった。
あたしの身長の二倍以上ある。全身棘だらけで、腕みたいな枝を三本広げていた。真ん中の幹が太くて、根元がどっしりと砂に埋まっていた。緑色というより、少し青みがかった色で、夕日に当たるとたぶんきれいだろうと思った。
サボテンは、あたしたちが近づくと、全身をぶるっと震わせた。棘の先が光った気がした。
「来たか」
声は低くて、やたら威厳があった。
「来た」
あたしは言った。
「我を抜きに来たか」
「抜きに来てない」
「嘘をつくな」
「本当のことを言ってる」
サボテンが棘をざわざわさせた。不満そうな雰囲気がある。
「ならば、なぜここへ来た」
「種を探してる。いのちの種が、この辺にあると思って」
サボテンが静かになった。長い間、何も言わなかった。あたしたちも待った。ポポルが耳をぴんと立てていた。
「……我は、チクードという」
「リオナ。こっちはフロリアとポポル」
「ポポだ」
「伝説の剣士チクード。この島を守る者だ」
「剣士? サボテンじゃないの?」
あたしは突っ込んでみた。
「我は剣だ。今は根が生えているが、剣だ」
「……根が生えてる剣は、たぶん剣じゃないポポ」
「剣だ!」
「分かった分かった。チクード、種はどこにある?」
あたしが聞くと、チクードがまた静かになった。今度は短かった。
「我が守っている。ここを守って、長い時が経った」
チクードの声が、少しだけ低くなった。
「以前は、花が咲いていた。水があった。動物がいた。今は、我だけだ」
フロリアが一歩前に出た。
「水が、なくなったのですか?」
「なくなった。少しずつ、少しずつ。気づいたときには、花が消えて、動物が去って、水が細くなっていた。今のオアシスは、昔の半分も残っていない」
「……世界樹の影響です。世界樹が弱ると、水の巡りが変わります。種が戻れば、少しずつ回復するはずです」
「種を戻せば、花が戻るか」
「すぐにとは言えませんが、地脈が整えば水は戻ります。水が戻れば、植物は自分で回復しようとします」
チクードがまた黙った。
あたしは待った。フロリアも待った。ポポルが小さくあくびをして、あたしに睨まれた。
「……試練がある」
チクードが言った。
「何?」
あたしは聞いた。
「我を抜け」
「やっぱり言ったポポ」
「根があるんじゃないの」
あたしは言った。
「抜けるものなら抜いてみろ。それが試練だ」
「抜けなかったら?」
「抜けなければ、お前たちには渡せない。種を守るに足る力があるか、見極める。それが我の役目だ」
フロリアがあたしを見た。あたしもフロリアを見た。
「力ずくで抜くの、難しそうだね」
「難しいですね」
「試してみる?」
「止めた方がいいと思います」
「なんで?」
「棘が刺さります」
「それもそうか」
ポポルがあたしの肩から地面に降りて、チクードの根元を見た。小さな目で、ぐるっと周りを確認する。
「ポポが聞くポポ。チクード、この試練、過去に誰かが成功したか」
チクードが黙った。
「……いない」
「誰一人?」
「誰一人」
「抜けた者がいないなら、抜くこと以外で種を渡す方法があるはずだポポ。でなければ、種は永遠に渡せないポボ」
「ポボ?」
「ポポだ。渡せないポポ。それで世界樹が枯れたら、チクードの島も枯れるポポ。花も水も戻らないポポ」
チクードがざわりと揺れた。
「……言うな」
「事実だポポ」
「分かっている。分かっているが――」
「チクードは、本当は渡したいんだポポ。だから待ってたんだポポ。誰かが来るのを。でも来ない。だから自分が剣だと思うことにしたんだポポ。剣なら、抜かれるまで待っていていいから」
静かになった。
チクードは何も言わなかった。棘も動かなかった。
フロリアが、そっとチクードに近づいた。
「チクード」
「……なんだ」
「傷ついた場所があります」
フロリアは幹の下の方に手を当てた。
「ここ、少し、乾いています。根が、土の水分を探しているのが分かります」
「……分かるのか」
「植物の声は、聞こえます」
「花姫か」
「はい」
チクードが、長い息を吐くような音を立てた。
「……水が、欲しい」
「地下に、水脈があります。この島の下を流れている水の道です。でも、どこかで詰まっている。それを通せれば、オアシスの水が戻ります」
「どこで詰まっているのか、分かるか」
「感じ取れます。でも、地下深くです。わたしには届きません」
あたしが前に出た。
「洞窟があれば、潜れる」
「洞窟は、たぶん、あそこです」
フロリアが指さした先に、岩場に開いた暗い穴があった。
洞窟の入口は狭かった。
大人が入れるかどうかギリギリくらいの幅で、中は真っ暗だった。岩の匂いと、土の匂いがした。奥から、かすかに水の気配がある。
「ポポが先に行くポポ。小さい穴が得意だポポ」
「あたしも入れる」
「リオナが行くとどこかを壊すポポ。ポポが仕掛けを探すポポ」
「仕掛け?」
「古い遺跡のにおいがするポポ。水を通す仕掛けが、岩の中にあるはずだポポ」
「なんで分かるの?」
「ポポ族は、そういうのが得意だポポ」
「そういうのって、仕掛けを見つけること?」
「そうだポポ」
「それだけ?」
「それだけだポポ」
ポポルは、やけに早く答えた。
早く答えるときのポポルは、だいたい話を終わらせたいときだ。
ポポルはそれ以上は言わなかった。あたしも聞かなかった。
ポポルが洞窟に入った。あたしは入口で待った。
フロリアがチクードの隣に立って、地面に手を当てていた。目を閉じて、何かを感じ取ろうとしているらしい。
「フロリア、何してるの?」
「水脈の流れを追っています。ポポルさんに、どの方向へ進めばいいか伝えます」
「つながれるの?」
「この程度の距離なら」
フロリアが小さく声を出した。地面に向かって話しかけるみたいに。根を通して、地下に声を届けているんだろうか。あたしには見えないけど、フロリアの周りの空気が少し違う気がした。
洞窟の中からポポルの声がした。
「リオナ、聞こえるか」
「聞こえる」
「仕掛けがあったポポ。石の板が詰まってるポポ。押せば動くポポ。ただし――」
「ただし?」
「一人では動かないポポ。重いポポ」
「あたしが入る」
「待て、フロリアに確認してからポポ」
フロリアが目を開いた。
「ポポルさんの言う石板の位置、分かります。そこを動かせば、水脈の詰まりが取れます。ただし」
「ただし?」
「動かした瞬間、水が勢いよく流れます。中にいると危ない」
「ポポルが出てから動かせばいい」
「ポポルさんが出るだけの時間があるかどうか」
「どのくらい?」
「五秒、あれば」
「じゅうぶんかも。ポポル、出てくるの、速い?」
「速いポポ。ポポ族は穴から出るのも得意だポポ」
「じゃあやろう」
「リオナが入って石板を押す。ポポが『今だ』と言ったら、二人で走って出るポポ」
「完璧」
「完璧かどうかはやってみないと分からないポポ」
あたしは洞窟に入った。
中は狭くて暗かった。壁に手を当てながら進む。岩が冷たくて、さっきまでの暑さが嘘みたいだった。足元が少し濡れていた。水が近い。
ポポルの丸い体が、暗がりの中でかすかに光って見えた。大きな耳が動いた。
「ここだポポ」
ポポルが指さした先に、岩から飛び出た石板があった。幅はあたしの肩くらい。厚みがあって、重そうだった。
あたしは石板に両手を当てた。
「いくよ」
「待つポポ。フロリアの合図を聞くポポ」
しばらくして、外からフロリアの声が来た。地面の中を伝ってくるみたいに、くぐもって聞こえた。
「準備できています」
「今だポポ!」
あたしは全力で石板を押した。
重かった。ものすごく重かった。でも、少しずつ動いた。岩が削れる音がして、石板が奥へ傾いて――
水の音がした。
大きくなった。
「走るポポ!」
あたしはポポルを抱えて走った。洞窟の出口が見えた。光が近づいた。入口の岩を蹴って、外へ飛び出した。
洞窟の中から、水がどっと流れ出した。
足元が濡れた。水が砂を流して、岩の間を滑って、下の方へ向かっていく。
フロリアが走り寄ってきた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫! 濡れただけ!」
「ポポも大丈夫だポボ!」
「ポボ?」
「興奮したポポ!」
三人で洞窟から流れ出す水を見ていた。水は地面の低い方へ流れていって、岩の割れ目に消えて、しばらくして――オアシスの方から、水音が大きくなった。
チクードが、身を震わせた。
「……来た」
チクードの根元の砂が、湿り始めていた。水が地面の下から染み上がってきている。チクードの幹の色が、少しだけ濃くなった気がした。
「水が、戻っています。ゆっくりですが、水脈が流れ始めました」
「……花が、戻るか」
「時間はかかります。でも、戻ります」
チクードが長い間、黙っていた。
棘が、一本、ゆっくり下を向いた。威厳のある姿勢が、少しだけ崩れた。
「……ありがとう」
その声は、さっきと全然違った。低いけど、柔らかかった。
チクードが種を渡してくれた。
小さな種で、でも手に持つとずっしりした重さがあった。フロリアが受け取ると、一つ目の種と同じように、光が少し強くなった。
「花の姫君よ、我を持っていけ」
「根がありますので、無理です」
「ならば、心だけ持っていけ」
「……はい」
フロリアはゆっくりと頷いた。
「チクードの島のことを、忘れません」
「頼む」
チクードはまた腕を広げた。
「それと――」
「それと?」
あたしは聞いた。
「戻ってきたとき、花が咲いていたら、見ていけ」
「見る!」
「約束だ」
「約束」
チクードが、ほんの少しだけ、腕を傾けた。会釈みたいな動きだった。
砂浜に戻ると、ゲコッタが口から手紙を取り出して並べていた。
「整理しているゲコ」
「全部、しっとりしてるね」
「しっとりゲコ。でも読めるゲコ」
「受け取った人、びっくりするね」
「慣れているゲコ。ゲコッタの郵便は、昔からしっとりゲコ」
三人はゲコッタの背中に乗った。
出発する前に、あたしは振り返った。
サボテンのチクードが、岩場に立っていた。腕を広げたまま、こちらを向いていた。根元の砂が、少しだけ濡れていた。
「また来るよ」
あたしはそう言ったけど、チクードは何も言わなかった。でも棘が、少しだけ揺れた。
ゲコッタが水を蹴って、沖へ出た。
島が遠くなっていく。
フロリアが種を両手に持ったまま、あたしの隣に座った。
「二つ、集まりました」
「五つ残ってる」
「はい」
「チクードの島、花が戻ってから来たいな」
「……そうですね」
フロリアが少し間を置いた。
「種を全部戻した後でも、来られるといいのですが」
あたしはフロリアを見た。
「来られるよ」
「……そうだといいです」
フロリアの声が、どこか遠かった。
あたしはまだ、うまい言葉が出てこなかった。だから何も言わなかった。
代わりに、フロリアの隣に、少しだけ近づいて座った。
フロリアは何も言わなかった。でも、離れなかった。
ゲコッタが進む先の海は、夕日で赤くなっていた。
空飛ぶ群島は、まだずっと遠い。




