第二十章 ジャングル娘と花姫さま、帰還
ココナ諸島が見えてきたとき、あたしは泣かなかった。
泣かなかった、というのは、正確ではないかもしれない。目が少し熱くなったのは確かだ。でも、泣くより先に笑いたかった。帰ってきた、という気持ちの方が、涙より大きかった。
ジャングルが見えた。
緑が、濃かった。ヤシの木が海風に揺れていた。滝の白い筋が、遠くから見えた。鳥の声が聞こえた。あの食虫花の声も、たぶん聞こえた。
「帰ってきた」
あたしは言った。
「帰ってきましたね」
「どんな感じ?」
「不思議な感じです」
フロリアがジャングルを見た。
「わたしは、ここで生まれたわけではありません。でも、帰ってきた感じがします」
「フロリアにとっても、帰る場所なんだ」
「そうかもしれません」
フロリアが少し間を置いた。
「あなたがいる場所が、帰る場所な気がします」
あたしは少し止まった。
フロリアは海の方を向いていた。あたしの方を見ていなかった。
「それ、さらっと言うじゃん」
「さらっとではありません。ものすごく、言いにくかったです」
「そうなの?」
「そうです。でも、言えました。言えたことが、うれしいです」
「……うん。あたしも、うれしい」
「何がですか」
「フロリアが言えたことが」
「それだけですか」
「……それだけじゃない」
「何が他にありますか」
「……フロリアがそう言ってくれたことが、うれしい」
「ようやく言えましたね」
「言いにくいんだよ、こういうの」
「分かります。わたしも言いにくかったので」
「じゃあ、おあいこ」
「おあいこです」
「二人ともまだるっこしいポポ」
「うるさい」
「うるさいです」
「二人に言われたポポ。今回は悔しいポポ」
砂浜に着いた。
村の人たちが出てきた。
子どもたちが最初に走ってきた。あたしを見て、ぱっと笑顔になった。
「リオナ! 帰ってきた!」
「帰ってきた!」
あたしは言った。
「どこ行ってたの?」
「世界中!」
「すごい! お土産は?」
「ない!」
「えー!」
「次回!」
「約束!」
子どもたちがフロリアを見た。
「この人、誰?」
「フロリア。あたしの仲間」
「お姫さま?」
「花姫」
「きれい!」と、子どもの一人が言った。
フロリアが少し驚いた顔をした。それから、しゃがんで子どもたちと目の高さを合わせた。
「ありがとうございます」
「お姉さん、ジャングルにいるの?」
「これからは、いることが多いかもしれません」
「じゃあいっしょに遊ぼう!」
「……よろしくお願いします」
フロリアが子どもたちに囲まれた。あたしはその横で笑っていた。
ナハラおばさんが待っていた。
広場の真ん中に、どかんと腕を組んで立っていた。あたしを見て、フロリアを見て、ポポルを見た。
「遅い」
「世界中回ってた」
「知っている」
「帰ってきた」
「見れば分かる」
おばさんがあたしの頭に手を置いた。重い手だった。それから優しい手だった。いつも通りだった。
「世界樹の声が戻ってきた。ここの木も、昨日から少し元気になった」
「届いてた?」
「届いた」
「よかった」
「リオナ」
「うん」
「ちゃんとやったか」
「やった」
「一人でやったか」
「フロリアとポポルと、それから会ったいろんな人たちと、いっしょにやった」
おばさんがうなずいた。
「それでいい。一人でやる必要はない。いっしょにやれる人を見つけて、いっしょにやる。それが強さだ」
「おばさんが最初から教えてくれればよかった」
「お前は体で覚えないと、分からんからな」
「ひどい」
「本当のことだ」
おばさんがフロリアを見た。
「花姫どの」
「はい」
「ここに来てよかったか」
「はい。よかったです」
「リオナの世話をかけた」
「世話を、させていただきました」
「逆だろう」
「どちらとも言えます」
フロリアが少し笑った。
「お互い様でした」
おばさんが、あたしを見た。それからフロリアを見た。目が細くなった。笑っているのか、考えているのか、あたしにはよく分からない顔だった。
「そうか」とだけ言った。
村に戻った日は、村の人たちとご飯を食べた。
いつものご飯で、いつものにぎやかさで、いつものヤシの木が「また踏んだな」と文句を言っていた。何も変わっていなかった。でも、あたしには少し違って見えた。
食虫花が「帰ってきたか」と言った。
「帰ってきた」と、あたしは答えた。
「遠くまで行ったか」
「世界中」
「世界は広かったか」
「広かった」
「ジャングルより広いか」
「ずっと広い。でも、ジャングルが一番好き」
「当然だ。ここが一番いい場所だからな。花のお姫さまも連れてきたか」
「連れてきた」
「いい目をしてる。あの姫さま、命を見る目をしてる。気に入った」
「食べないでね」
「食べない。仲間は食べない」
「仲間なの?」
「あたしがそう決めた」
その日の夜、ポポルが言った。
「世界樹の芽、今夜少し大きくなったポポ」
「フロリアに聞いた。ここの木も元気になってきたって」
「時間がかかるポボ」
「ポボ?」
「ポポだ。かかるポポ。でも、続けていけばちゃんと育つポポ」
「続けていける?」
「三人でいれば、できるポポ。ポポは大丈夫だと思うポポ」
「大丈夫な根拠は?」
「根拠はないポポ。でも、そう思うポポ」
「ポポも“大丈夫”を使うようになったじゃん」
「リオナに感染したポポ。迷惑だポポ」
「感染したなら、もう止まらないよ」
「知ってるポポ。まあ、悪くないポポ」
次の朝、ゲコッタから手紙が届いた。
ゲコッタが口から取り出した。
「世界各地から、ゲコ。少々しっとりしているゲコ」
「いつも通りだね」
「しっとりゲコ。でも、読めるゲコ」
フロリアが手紙を開いた。何通も来ていた。
「バロンから」
フロリアが読んだ。
「森に、昨日見たことのない花が咲いた。世界樹からの贈り物か。次に来るときは、握手に気をつけてほしい――と書いてあります」
「最後の一文がすごく大事だね」
「本人は礼儀正しく書いているつもりのようです。次はポポルさんに先に立ってもらいましょう」
「ポポは巻き込まないポポ」
「次の手紙」
フロリアがこれも読んだ。
「チクードから。昨日、棘の先に小さな花が咲いた。我は伝説の剣士だが、今日だけは花を愛でた。花は、案外悪くない。また来い――と書いてあります」
「花を愛でたのか」
「愛でたようです」
「よかった」
「ルミナから。群島の植物の色が戻ってきた。空がきれいになった。また来い。今度は空の走り方、もっと教えてあげる。フロリアさんも、翼がなくても空を渡る方法を教えてあげる――と書いてあります」
「フロリア、行く?」
「行きます。翼がなくても渡れるなら、行きます」
フロリアが続けた。
「コラルから。海の色が少し戻った。サンゴが光り始めた。また来てください。ただし、足元には気をつけてください。サンゴは今も繊細です――と書いてあります」
「気をつける」
あたしがうなずくと、フロリアは次の手紙を開いた。
「ポポルチーニ王から。王国が、今日も歌っている。余たちの歌が届いていると知って、住民全員が張り切っている。今日の歌は、三時間続いた。また来ていっしょに歌え――と書いてあります」
「三時間は長い」
「でも、うれしそうです。火山の島民の代表から。火山が、今朝泣きませんでした。島民全員が驚いています。何十年ぶりかわかりません。朝が静かでした。あなたたちのおかげです――と書いてあります」
「泣かなかったのか」
「泣かなかったようです」
「よかった」
「リオナが、森を作るって言ったから、かもしれません」
「約束したし。ポポル、覚えてる?」
「覚えてるポポ。ポポ族の地図に刻んだポポ。いつか行くポポ」
「いつか」
「いつかポポ」
フロリアが最後の手紙を開いた。
「ミミラから。カラマ様に、動植物の保護の方法を変えることを提案しました。管理から、声を聞くことへ。カラマ様は、すぐには頷きませんでした。でも、黙って聞いてくれました。揺れていました。また話します。リオナ、フロリアさん、ポポルさん、またいつか会いましょう――と書いてあります」
「揺れてたか」
「揺れていたようです」
「揺れてれば、変われる」
「そうですね」
「ミミラ、ちゃんとやってる」
「ちゃんとやっています」
「バンゴからは手紙が来てないポポ」
「バンゴは字が書けないかもしれない」
あたしは突っ込んだ。
「かもしれないポポ」
「でも、覚えてるよ。あのバナナの皮、全部で何回転んだんだろう」
「数えていないポポ。でも、多かったポポ」
「次に会ったら聞いてみよう」
「聞いてもバンゴは作戦のうちって言うポポ」
「それはそう」
「転ばなかった日があったら、それは失敗なのかな」
「たぶん、作戦変更だポポ」
「便利な言葉ですね」
フロリアが真面目に言った。
「フロリアは使っちゃだめだポポ」
午後、村の広場で、子どもたちとフロリアがいた。
フロリアが、植物の話をしていた。あそこの葉っぱは食べられる、この木は雨が来ると葉っぱを閉じる、そっちの根は薬になる。子どもたちが「すごい!」「知らなかった!」と言っていた。
フロリアが楽しそうだった。
泥が苦手で、虫に驚いて、葉っぱに包まれたご飯を複雑な顔で食べていたフロリアが、今はジャングルの植物の話を子どもたちにしていた。
あたしはその端で見ていた。
「見てるポボ」
「ポボ?」
「ポポだ。見てるポポ」
「見てる」
「どんな目で見てるポポ」
「普通に見てる」
「普通じゃない目だポポ。コラルが言ってたような目だポポ」
「コラルが何て言ってた?」
「嬉しいのだけど、どうしていいか分からない、という目ですとゲコ」
「ゲコ?」
「コラルの口調を真似たポポ。真似られてないポポ」
「全然違う」
「でも、そういう目をしてるポポ」
あたしは少し黙った。
「……そうかもしれない」
「認めたポポ」
「認めた」
「フロリアに言えるポポ?」
「言いにくい」
「夜になれば言えるポポ?」
「……たぶん」
「じゃあ夜にしろポポ。ポポは聞こえないふりをしてやるポポ」
「聞こえないふりってのは、聞いてるということじゃん」
「うるさいポポ」
フロリアが振り返った。あたしと目が合った。
フロリアが少し手を振った。
あたしも手を振った。
フロリアが、また子どもたちの方を向いた。
なんか、あったかかった。




