最終章 ジャングル娘と花姫さまの次の大冒険
夕方、ゲコッタが出発するときにあたしに伝えてくれた。
「次の依頼が来ているゲコ」
「どこから?」
「世界各地からゲコ」
ゲコッタが口から手紙を取り出した。しっとりしていた。
「しゃべる山が迷子になったゲコ」
「しゃべる山が?」
「山は動かないはずゲコ。でも、迷子になったゲコ。近くの村が困っているゲコ」
ゲコッタが次の手紙を取り出した。
「泣き虫の雲が海に落ちたゲコ。海が泡立っているゲコ。魚たちが困っているゲコ」
さらにもう一通。
「歩く島が進路を間違えたゲコ。隣の島に向かって歩いているゲコ。このままでは衝突するゲコ」
あたしは手紙を三通受け取った。全部しっとりしていた。
「フロリア、ポポル」
あたしが呼んだら、二人がやってきた。
「手紙を見て」
フロリアが読んだ。ポポルも読んだ。
「しゃべる山が迷子」
フロリアが言った。
「泣き虫の雲が海に落ちたポポ」
「歩く島が間違えた」
あたしは言った。
三人で顔を見合わせた。
「行くポポ?」
「行く!」
「行きます」
「また大変なポポ」
「大変なの、嫌い?」
あたしは聞いた。
「嫌いじゃないポポ。でも覚悟がいるポポ」
「覚悟するの、ポポルは得意でしょ」
「覚悟するだけなら得意だポポ。実際に大丈夫かどうかは別問題だポポ」
「フロリアと同じこと言う」
「似てるポポ。それだけだポポ」
出発は、翌朝にすることにした。
夜、ナハラおばさんにもう一度報告した。
「また行くのか」
「行く。やることが多い」
「そうか」
「反対しない?」
「反対しない」
おばさんが空を見た。
「世界樹の声が戻ってきた。それは、お前がやったことだ。次も、お前がやるべきことがあるなら、行けばいい」
「帰ってくる」
「知っている」
「ただいまって、言いに帰ってくる」
「おかえりと言ってやる。毎回」
おばさんの手が、また頭に来た。重くて、優しかった。
「リオナ」
「うん」
「フロリアどのを大事にしろ」
「してる」
「もっとちゃんとしろ」
「してる」
「言葉で、ちゃんとしろ」
あたしは少し黙った。
「……言いにくい」
「言いにくいことを言えるようになるのが、大人だ」
「まだ十五だし」
「お前の旅は、大人よりずっと大人のことをしてきた。言えるはずだ」
「……考える」
「今夜中に考えろ」
「なんで今夜中なの」
「明日出発するんだろう。出発前に言え。言ってから出発した方が、旅が軽くなる」
おばさんは、それだけ言って歩いていった。
夜、砂浜で、フロリアと二人だった。
ポポルは「聞こえないふりをするポポ」と言って、遠くの木の上に行った。遠くから気配だけ感じた。
「明日、出発します」
「うん」
「また旅ですね」
「うん。今度はしゃべる山と泣き虫の雲と歩く島だって」
「にぎやかですね」
「にぎやかになるね」
「リオナは、それが好きなのでしょう」
「好き。フロリアは?」
「……好きになりました。最初は、にぎやかさに疲れていました。でも、今は好きです」
「どっちが好き? にぎやかな旅と、静かな場所」
「どちらも、あなたがいれば好きです」
あたしは少し止まった。
「また、さらっと言う」
「さらっとではありません」
「言いにくかった?」
「今回は、少し慣れてきました」
「ずるい。あたしはまだ言いにくい」
「何を言いにくいのですか」
あたしは砂浜を見た。波が来た。返って、また来た。
「フロリアが笑うと、胸の奥があったかくなる、って言ったじゃん」
「言いましたね。火山の島の夜に」
「あの話の続き」
「続きがあるのですか」
「あると思う。名前がまだないけど。でも、あったかくなるだけじゃなくて――なんか、フロリアが笑ってるところをずっと見ていたいし、フロリアが困ってたらすぐ行きたいし、フロリアがいなくなることが、怖くてたまらない。それが全部、同じひとつのものな気がする」
フロリアが黙っていた。
あたしは続けた。
「名前は分からない。でも、フロリアのことが……大事だ。それだけは分かる。ずっと大事だ。旅が終わっても、次の旅でも、その次でも、ずっと」
波が来た。
フロリアが、あたしを見た。
「リオナ」
「うん」
「言えましたね」
「言えた。でも、恥ずかしい」
「恥ずかしいのは分かります」
フロリアが少し笑った。
「わたしも、今、とても恥ずかしいです」
「なんで?」
「あなたが言ってくれたことと、同じことを、わたしも思っているから」
「同じこと?」
「リオナが笑うと、心拍が上がります。リオナが困っていると、すぐ行きたくなります。リオナがいなくなることが、怖いです。それが全部、同じひとつのものだと思います」
「名前は?」
「まだ分かりません。でも、名前がなくても、確かにあります」
「うん」
「確かにあるから――」
フロリアが少し間を置いた。
「いっしょにいたいです。次の旅も、その次も。ずっと」
波が来た。
あたしとフロリアは、砂浜に並んで座っていた。肩が触れていた。
名前のないものが、二人の間にあった。
名前がなくても、確かにあった。
あったかくて、重くて、それでいて軽かった。
翌朝、出発する前にナハラおばさんが来た。
リオナとフロリアを見た。おばさんの目が、細くなった。昨日と同じ目だった。
「言えたか」
「言えた」
「フロリアどの」
「はい」
「リオナをよろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「リオナは無茶をする」
「知っています」
「止めろ」
「努力します」
「無理だろうが、頼む」
「努力します」
「フロリアどのは、賢いな。同じことを二回言っても、ちゃんと答える」
「二回言われた場合は、二回答えるのが礼儀です」
「そうか」
おばさんが少し笑った。目がなくなるくらい細くなった。
「リオナに、礼儀を教えてやってくれ」
「教えています。なかなか覚えてくれませんが」
「なんで二人してあたしの話をしてるの?」
「お前の話だからだ」
おばさんが言った。
「フロリアまで」
「事実ですので」
「ポポも聞きたいポポ」
「来るなよ」
あたしは言った。
「もう来てるポポ」
出発するとき、村の人たちが見送りに来た。
子どもたちが「また帰ってくる?」と聞いた。
「帰ってくる。絶対」
「フロリアお姉さんも?」
「帰ってきます。植物の話の続き、しましょう」
「やった!」
ヤシの木も手を振っていた。
「また踏むんだろう」
ヤシの木が言った。
「踏まないよ」
あたしは宣言した。
「嘘をつけ」
「今回はちゃんとする」
「聞き飽きた台詞だ」
「……ごめん」
「まあ、待っているから、早く帰ってこい」
食虫花が「花のお姫さま、また来い」と言った。
「来ます」
「今度は一人で来るな。退屈だから」
「一人では来ません。リオナと来ます」
「それでいい」
食虫花は言った。
「二人で来い。あと、面白い動物も連れてこい」
「ポポが面白いポポ?」
「お前だよ」
食虫花は言った。
「照れるポポ」
ゲコッタの背中に乗った。
島が遠くなっていく。ヤシの木が揺れていた。食虫花が口を開けていた。子どもたちが手を振っていた。ナハラおばさんが腕を組んで立っていた。
「落ち着いて出発しましょう、と言おうとしていました」
「なんで言わなかったの?」
「リオナが走り出すのが先でしたので」
「走ってないじゃん。ゲコッタに乗っただけ」
「乗るのが早すぎました」
「早くていいじゃん」
「落ち着いて、の意味を考えてください」
「考えた。乗るのは落ち着いてた」
「落ち着いていませんでした」
「ポポに聞いて」
「ポポは証人にならないポポ。どちらの肩も持たないポポ」
「ポポはリオナの相棒でしょ」
「リオナの相棒だポポ。でも、正直者でもあるポポ。落ち着いていなかったポポ」
「うるさい」
「うるさいです」
「二人に言われたポポ。今回は悔しくないポポ」
「なんで?」
「正しいことを言ったからだポポ。正しいことを言って怒られても、悔しくないポポ」
「成長した?」
「成長したポポ。少しだけポポ。木の実を食べながらだと、さらっとなるポポ」
「今、食べてないじゃん」
「食べてないポポ。だから本気だポポ」
海が広がっていた。
空が青かった。雲が流れていた。どこかの島の匂いが、風に乗ってきた。
知らない匂いだった。どこかの、まだ見ていない場所の匂いだった。
胸の奥がむずむずした。
あの日、空飛ぶバナナを追いかけながら見た海と同じ海だった。でも、今は違って見えた。広いのは同じだった。知らないのも同じだった。でも、一人じゃなかった。
「リオナ」
「うん」
「さっきから、遠くを見ています」
「見てた。胸がむずむずして」
「外の世界が見たくなるむずむず、ですか」
「そう。最初にバナナを追いかけてたとき、海を見てむずむずした。あれと同じむずむず」
「今も、同じですか」
「少し違う。あのときは一人で見ていた。今はフロリアと見てる。それだけで、むずむずの感じが変わった」
「どう変わりましたか」
「なんか、もっと広く見える。フロリアといっしょだと、世界がもっと広い気がする」
フロリアが少し間を置いた。
「わたしも、そうです。リオナと見ると、怖かった世界が、少し面白く見えます」
「面白くなった?」
「少しだけ。あなたのむずむずが、少し感染したかもしれません」
「ポポルみたいに言う」
「ポポルさんも言いましたか」
「大丈夫を感染されたって言ってた」
「わたしはむずむずを感染されました。悪くないです」
「よかった」
「ポポは何を感染させられたポポ」
「何かある?」
あたしは聞いた。
「……正直に言えばよかったこと、かもしれないポポ。リオナから感染したポポ。リオナは、大事なことをすぐ言うポポ。ポポは言いにくかったポポ。でも、少し言えるようになったポポ」
「あたし、大事なことすぐ言う?」
「言うポポ。言いすぎるくらい言うポポ。困ってる動物を見たら、すぐ助けるって言うポポ。フロリアに消えてほしくないって言うポポ。ただいまって言えるように絶対帰るって言うポポ。全部、言うポポ」
「それは確かに言ってる」
「フロリアから感染したものもあるポポ」
「何?」
「待てること。フロリアは、ちゃんと待つポポ。確かめてから動くポポ。ポポはリオナと長くいすぎて、考えなしに動くことが多かったポポ。でも、フロリアを見てたら、少し待てるようになったポポ」
「ポポルから感染したものも、きっとある。ポポルさんは、大事なことを必要なときに言います。わたしはそれが、少し学べた気がします」
「ポポから?」
「ポポルさんが、役目を怖がっていると言ったとき、わたしはそれで楽になりました。怖いのは悪いことではない、と言ってくれたから」
「……そうだったポポか」
ポポルの声が少し柔らかかった。
「そうでした」
「三人で、感染し合ってるポポ。変な三人組だポポ。でも、それでいいポポ」
しゃべる山が迷子になった場所は、まだ遠かった。
泣き虫の雲が海に落ちた場所は、もっと遠かった。
歩く島が進路を間違えた場所は、一番遠かった。
でも、急ぎたくなかった。
海が広くて、風が気持ちよくて、隣にフロリアがいて、肩にポポルがいた。
旅は終わらない。世界には、まだしゃべる山も、泣き虫の雲も、迷子の島も、名前のない場所もいっぱいあった。
あたしには、胸のむずむずが続いていた。
それでいいと思った。
むずむずが続く限り、旅は続く。
旅が続く限り、あたしたちは前を向いていられる。
「リオナ、今度は落ち着いて出発しましょう」
「うん。じゃあ走る?」
「落ち着いて、の意味を考えてください」
「ゲコッタの背中を走るのも落ち着いてる部類に入ると思う」
「入りません」
「ポポル、どう思う?」
「ポポは証人にならないポポ」
「また言う」
「また言うポポ。ポポはいつもそうだポポ」
「ポポは知ってるポポ。この旅、また大変になるポポ」
「大変でいい」
「大変でいいです」
「大変でいいポポ」
ゲコッタが「出発するゲコ」と言った。
海が広がっていた。
どこまでも。
(おしまい)




