第十九章 花姫さまをひとりにしない
古代都市の最深部は、もう少し奥にあった。
「記録に書いてあったポポ。この部屋の裏に、通路があるポポ。そこを進んだ先に、世界樹の根が届いている場所があるポポ。種を戻すのは、そこだポポ」
「どのくらいの距離?」
あたしは聞いた。
「長くないポポ。でも、装置の余波がまだ残ってるポポ。種の力が乱れてる間は、その場所が不安定になってるポポ」
「不安定って、どういう感じ?」
「世界樹の根が、力を求めてるポポ。近づいたものを引き込もうとするポポ。特に、種を持った花姫を」
あたしはフロリアを見た。
フロリアが立ち上がろうとしていた。カラマが手を貸していた。フロリアはカラマの手を借りて立ったけど、まだ顔色が悪かった。
「フロリア、歩ける?」
あたしは聞いた。
「歩けます」
「無理しないで」
「無理していません。歩けます。それに……行かなければなりません。種を戻せるのは、わたしだけです」
フロリアが七つの種を握った。
「いっしょに行く」
「いっしょに来てください」
あたしたちは通路へ向かった。カラマが「わたしも来ます」と言った。ミミラとバンゴも外から戻ってきていた。
「全員で行く?」
あたしはみんなに聞いた。
「行きます」
ミミラが答えた。
「俺も、最後くらいは、ちゃんとしたい」
「装置を起動したのは」
あたしは突っ込んだ。
「それは反省している。でも、止めたのも俺だ」
「バンゴが引いたからね」
「ミミラに言われたからだがな。まあ」
バンゴが少しだけ視線を逸らした。
「声が消えた世界は、嫌だと思ったのは本当だ」
あたしはバンゴを見た。大げさで、自信満々で、毎回バナナの皮で転ぶ人が、今朝は少し違う顔をしていた。
「来て」
あたしはお願いした。
通路は、狭かった。
一人ずつしか通れない幅で、天井が低かった。壁に世界樹の根が走っていた。細い根だったけど、確かに根だった。奥に進むほど、根が太くなった。壁を覆って、床を走って、天井から垂れ下がった。
光が変わった。
ランプの光ではなくて、根から来る光だった。緑がかった白い光で、揺れていた。脈打つように、ゆっくり明るくなって、暗くなって、また明るくなった。
「世界樹の根の光だポポ。まだ弱いポポ。でも、生きてるポポ」
「さっきから、力を感じます。種が、反応しています。戻りたがっています」
フロリアが伝えた。
「種が戻りたがってる?」
「はい。それぞれの種が、世界樹の根を感じて――引き寄せられています」
「いいことじゃないの?」
「いいことです。でも、力が強くなっています」
あたしはフロリアの隣を歩いた。通路が狭いから、肩が触れるくらい近かった。
「手、貸そうか」
「貸してください」
あたしはフロリアの手を取った。
フロリアの手が、少し震えていた。
「怖い?」
「怖いです。でも、行きます」
「うん」
「行ける気がします。リオナが隣にいるから」
「いる。ずっといる」
奥が見えてきた。
通路が広がって、小さな空間に出た。
天井が高くて、壁一面が根で覆われていた。根が太くて、床まで垂れ下がって、空間全体が根の中にいるみたいだった。真ん中に、台座があった。台座の上に、くぼみがあった。七つの種が収まる形のくぼみだった。
根が、光っていた。
さっきより明るかった。脈打つ速度が、上がっていた。
フロリアが一歩前に出た。
その瞬間、根が動いた。
太い根が、床から伸びてきた。フロリアの足元へ向かった。フロリアの足首に触れた。
あたしがフロリアを引いた。根が追ってきた。
「装置の余波だポポ! 種の力が乱れてる間は、世界樹の根が本能的に花姫を引き込もうとするポポ!」
ポポルは大声で叫んだ。
「引き込む、って、フロリアが世界樹に戻されるってこと?」
「そうだポポ! 意思じゃなくて、本能だポポ! 根が、花姫を感知して引き寄せようとしてるポポ!」
「止められる?」
「種を台座に戻せれば、力が安定するポポ。安定すれば、本能的な引き込みも止まるポポ。でも、台座まで近づく前に、根がフロリアを――」
根がまた動いた。
今度は複数だった。床から、壁から、天井から、細い根が一斉に伸びてきた。フロリアを中心に、周りを囲むように。
「フロリア!」
あたしはフロリアの前に出た。根が、あたしの腕に触れた。痛くはなかった。でも、引っ張る力があった。あたしは踏ん張った。
「リオナ、離れてください」
「離れない」
「根はわたしを引き込もうとしています。リオナには関係ない」
「関係ある」
「関係は――」
「ある!」
あたしははっきり言った。
「関係ある。フロリアのことは、全部あたしに関係ある」
「根に引っ張られています」
「引っ張られてる。でも離れない」
「なぜですか」
「いっしょに選ぶって約束した」
フロリアが少し止まった。
根がさらに動いた。あたしの体を包もうとする根を、バンゴが「どかせ!」と言いながら引っ張った。カラマが細い根を素早く切った。ミミラがポポルを抱えて根の届かない場所に移動した。
「リオナ」
フロリアが呼んだ。
「うん」
「いっしょに選ぶ、と言いましたね」
「言った」
「わたしは、選びます」
「何を?」
「種を台座に戻すことを、選びます。花姫として、ではなく――フロリアとして、選びます」
「違いは?」
「花姫として選べば、何があっても進みます。でも、フロリアとして選べば、リオナに手を引いてもらいながら進めます」
フロリアがあたしの手を握った。
「あなたといっしょに選ぶことが、フロリアとしての選択です」
あたしは少し笑った。
「じゃあ、いっしょに進もう」
「はい」
「根に捕まらないように、速く動く」
「速くは――」
「あたしが引っ張る」
「転ばないでください」
「転ばない。フロリアも転ばないで」
「転ばないようにします」
走った。
根が追ってきた。床を走る根、天井から垂れる根、壁を伝う根が、全部フロリアに向かってきた。
あたしはフロリアの手を引いて、根を跳んで、くぐって、ぬけて、台座へ向かった。
「右!」
ポポルが叫んだ。
右に根が来ていた。左に跳んだ。
「上!」
上から根が来た。体を低くした。フロリアも低くした。
「そのまま!」
直線で台座まで三歩。
あたしは踏み込んだ。
その瞬間、太い根が床から出てきた。フロリアの足首を掴んだ。
フロリアが「っ!」と声を上げた。体が引かれた。あたしはフロリアの手を握ったまま、引っ張られた。
二人で、止まった。
根と、あたしと、フロリアが、三つ巴になった。
「離してください」
フロリアがこう言っても動かなかったけど、
「お願いします。種を戻します。役目を果たします。でも、一人ではなく、リオナといっしょに戻します。それでも、ちゃんと届きます。声は、愛情がある分だけ強くなると、記録に書いてありました。だから、いっしょに戻させてください」
ここまで言ったら、根が、止まった。
しばらく、何も動かなかった。
それから、根が、ゆっくりフロリアの足首から離れた。
あたしはフロリアの手を引いた。
台座の前に立った。
「いっしょに、置いて」
あたしは頼んだ。
「いっしょに、置きます」
フロリアが台座のくぼみに種を並べ始めた。一つ、また一つ。あたしはフロリアの手を持ったまま、隣に立った。
七つ全部が並んだとき、光が広がった。
さっきとは違う光だった。激しくなくて、穏やかで、温かかった。根の光が変わった。脈打つ速度が、ゆっくりになった。落ち着いた。
フロリアの体から、光が散った。
今度は消えなかった。
散った光が、根に吸い込まれた。根が光った。光が通路を通って、奥へ奥へ伸びていった。
世界樹の根の奥で、何かが動いた。
大きな息を吸うみたいな音がした。
あたしはフロリアの手を握ったまま、その音を聞いていた。
それから、しばらくして。
根の動きが止まった。
追いかける動きが、なくなった。
フロリアが、ゆっくり体の力を抜いた。
あたしはフロリアを支えた。
フロリアが目を閉じた。それから開けた。
顔を見た。
さっきまでの青白さが、少し違った。まだ疲れているのは分かった。でも、色が違った。
「フロリア」
「……リオナ」
「大丈夫?」
「大丈夫です。今回は、本当に」
「本当に、をつけてくれたから信じる」
「覚えていてくれましたね」
「言ったじゃん。つけてくれると信じやすいって」
フロリアが少し笑った。
「世界樹に、届きました。種が、根付き始めています。まだ芽は小さい。完全に元通りにはなりません。でも――」
「でも?」
「新しい芽です。世界中の命の声に支えられた、新しい世界樹です。元のものより弱いかもしれない。でも、一人で支えなくていい。みんなで支える世界樹です」
「消えなかった」
「消えませんでした」
「フロリアが消えなかった」
「……はい」
フロリアが少し目を伏せた。
「消えませんでした。わたしは、ここにいます」
「よかった」
「よかったです」
フロリアの目が、濡れていた。
泣いているのか、光のせいなのか、あたしには分からなかった。でも、どちらでもよかった。
あたしは、フロリアの手を握ったまま、そこに立っていた。
後ろで、声がした。
「隊長」
ミミラが叫んだ。
「なんだ」
バンゴが言った。
「転んでいますが」
「根を踏んだ。作戦ではない」
「今回は本当に転んだだけですね」
「うるさい」
「ポポが助けるポポ」
「小さいくせに」
「ポポは小さくないポポ。魂が大きいポポ」
「威張るな」
「カラマ様」
ミミラが呼んだ。
「はい」
「手が、根に触れています」
「触れています。返事が来た気がして」
「来ましたか」
「……来ました。今度は、はっきりと」
あたしは振り返った。
カラマが壁の根に手を当てていた。眼鏡の奥の目が、少し違う色をしていた。さっきまでの、冷静で穏やかな目とは違う。何かに触れた、という顔だった。
「カラマ」
フロリアが呼んだ。
「はい」
「声が届きましたか」
「届きました。わたしの声が、届きました」
「よかったです」
「……わたしには、まだ全部は分かりません。管理することと、信じることの違いも、まだ分かりきっていません」
カラマがフロリアを見た。
「でも、今夜、少しだけ分かったことがあります」
「何ですか」
「声をかけることと、声を聞くことは、同じくらい大事だということです。わたしは声をかけていた。でも、聞こうとしていなかった」
「それだけで、十分です」
「十分ですか」
「今日分かったことが、明日に続きます。それが声です」
カラマが少し黙った。
「……花姫は、人に優しいのですね」
「二度目ですね、それは」
「二度言いたかったのです」
外に出たとき、空が明るかった。
完全に夜明けだった。雲がなかった。青が、深かった。
遠くから、声が風に乗って来た。
バロンの声だった。
「花姫! 森が輝いている!」
チクードの声も来た。
「我の棘に、花が咲きそうだ! もう少し待て!」
火山の方向から、どごんという音がした。泣いていない音だった。でも、今日は少し違う音がした。あたしには分からなかったけど、フロリアが「喜んでいます」と言った。
ポポルが肩に乗ってきた。
「終わったポポ」
「終わった?」
あたしは聞いた。
「終わりではないポポ。でも、一区切りだポポ。世界樹の芽が出た。声の循環が始まった。これからも続けていけるポポ」
「続けていける」
「そうだポポ。世界中の命が声を出し続ければ、世界樹は育つポポ。一人の花姫に頼らなくていいポポ」
フロリアが空を見ていた。
「わたしは、花姫です。でも、花姫だけではありません。声を繋ぐ役目は、これからも続きます。でも、一人では続けません」
「三人で続ける?」
あたしは聞いた。
「三人で続けます」
「ポポルも?」
「ポポも続けるポポ。朝ごはんも食べながらだポポ」
「朝ごはん、食べてないね」
あたしは言った。
「非常事態だったポポ。でも、終わったから食べるポポ」
「何がある?」
「ゲコッタの口の中に、非常食があるポポ。しっとりしてるポポ」
「しっとりでいい」
「しっとりでいいポポ」
しばらくして、ゲコッタが来た。
「全員無事ゲコ?」
「全員無事」
あたしは答えた。
「よかったゲコ。手紙を届け終わったゲコ。全部しっとりだったゲコ」
「みんな受け取ってくれた?」
「受け取ったゲコ。バロンはしっとりした手紙を一口で飲み込んだゲコ。チクードは怒ったが読んだゲコ。キノコ谷は喜んで食べかけたゲコ。モーロは今も読んでいるゲコ」
「モーロはまだ読んでるの?」
「読むのも遅いゲコ。でも、内容は分かったと言っていたゲコ。た……ぶ……ん……よ……か……っ……た……と言っていたゲコ」
「たぶんよかった、だね」
「外れないゲコ。モーロの予言は」
フロリアが「ゲコッタ、ありがとうございました」と言った。
「どういたしましてゲコ。花姫が無事で、よかったゲコ」
「おかげです」
「これからも、手紙が必要ならゲコッタに頼むゲコ。しっとりするゲコ。でも届くゲコ」
「必ず頼みます」
バンゴが「俺たちは、戻ります」と言った。
ミミラが隣に立っていた。
「商会に戻る?」
あたしは聞いた。
「カラマ様が戻るなら。俺はカラマ様の部下だ。カラマ様が変わるなら、俺も考える」
「変わる、ということでは」
ミミラが、少し考えながら言った。
「ただ、分かることが増えました。商会がこれからどうあるべきか、話し合う必要があります」
「それが変わることでは?」
フロリアが突っ込んだ。
「……そうかもしれません」
「ミミラはどうする?」
あたしは聞いた。
「戻ります。言いたいことが、まだあります。カラマ様に、伝えたいことが」
「管理と、信じることの話?」
「それと、もう一つ。動物が好きだということを、ちゃんと言ったことがないので」
「カラマに言うの?」
「仕事と、好きなことは、一致した方がいい気がして。ポポルさんを見ていて、そう思いました」
「ポポを見て?」
「ポポルさんは、役目と、自分のやりたいことが、だんだん重なってきた気がします」
「……そうかもしれないポポ」
「わたしも、そうしたいです」
ミミラがあたしを見た。
「リオナ、また会いますか」
「会う。世界はまだ広い。また、どこかで」
「捕まえに来るかもしれません」
「来ていい。捕まらないけど」
「知っています」
ミミラが少し笑った。
「次に会うときは、違う形で会いたいです」
「違う形って?」
「捕まえる側じゃなくて、普通に」
「それがいい」
あたしは笑顔で言った。
バンゴ、ミミラ、カラマが去ったあと、あたしとフロリアとポポルが残った。
空が明るかった。
遠くから、声が来ていた。バロン、チクード、ルミナ、コラル、火山、キノコ谷。聞こえるものも、聞こえないものも、世界中から声が来ていた。
フロリアが目を閉じた。
「聞こえます。世界樹の芽の声が。小さい声です。でも、確かに聞こえます。生きています」
「どんな声?」
あたしは聞いた。
「……ただいま、という感じの声です」
「ただいま?」
「戻ってきた、という感じ。長い間、誰も声をかけてくれなかった世界樹が、声を受け取って、ただいま、と言っている感じがします」
あたしは少し笑った。
「おかえり、って言っていい?」
「言ってください」
あたしは空に向かって言った。
「おかえり」
フロリアも言った。
「おかえりなさい」
ポポルが言った。
「ただいまの世界樹に、朝ごはんをあげたいポポ。何が好きかは知らないポポ。でも、あげたいポポ」
「世界中の命の声が朝ごはんだポポ」
「それはもう届けたポポ。次のご飯が必要だポポ」
あたしは笑った。フロリアも笑った。
風が来た。
「そろそろ出発するゲコ? どこへ行くゲコ?」
そう聞いたゲコッタが、自分で答えた。
「ああ、ひとまずココナ諸島に戻るゲコね。ナハラどのに報告するゲコ」
「そう。帰ろう」
あたしがそう言うと、フロリアが、あたしを見た。
「帰れますね」
「帰れる」
「あなたと、帰れます」
「うん」
「約束通りです」
「うん」
あたしはフロリアの顔を見た。泣きそうな顔で笑っていた。あたしも、なんか、似た感じだった。
「泣きそうな顔してる」
「リオナも同じです」
「あたしは泣かない」
「目が赤いです」
「風のせい」
「風はありません」
「……風のせい」
「……そうですね。風のせいです」
二人で笑った。
「二人とも泣いてるポポ。素直じゃないポポ」
「うるさいポポ」
「うるさいです」
「二人に言われたポポ。珍しいポポ。でも、悪くないポポ」
おかえり、リオナ。
ただいま、フロリア。
そういう言葉が、どこかで聞こえた気がした。
世界樹の芽の声か、風の声か、あたし自身の声か、分からなかった。
でも、確かに聞こえた。




