第十四章 花姫さま、秘密を隠すのが下手
夜になった。
ゲコッタが「今夜は波が穏やかゲコ。どこかの島の浅瀬に停泊するゲコ」と言ったので、小さな砂浜に寄った。焚き火をして、三人で座った。
でも、いざ夜になったら、どこから話せばいいか分からなかった。
フロリアが先に言った。
「リオナ、話したいことがあると言っていましたね」
「うん」
「聞きます」
あたしは少し間を置いた。
焚き火の音がした。波の音がした。ポポルがあたしとフロリアの間に座っていた。
「フロリアが種を集めるたびに、消耗してる。六個目で、光が散った。見えた」
「見えましたね」
「七つ目を集めたとき、どうなる?」
フロリアが少し黙った。
「分かりません」
「本当に分からない?」
「……本当に、完全には分かりません。でも」
「でも?」
フロリアが、膝の上に手を置いた。手のひらを見ていた。
「予感はあります」
「どんな?」
フロリアが顔を上げた。焚き火の光が、フロリアの顔を照らしていた。
「七つの種を世界樹に戻すとき、花姫であるわたし自身も、世界樹へ還る必要があるかもしれません」
波の音だけがした。
「還る、というのは?」
あたしは聞いた。
「世界樹の花から生まれたわたしが、最後に世界樹の一部に戻ること。それによって、種が正しく根付くのかもしれない。古い記憶の中に、そういう記録があります」
「カラマが言ってたこと」
「はい。カラマも、記録を知っていた」
「それを、ずっと知ってたの?」
「……はい」
あたしは黙った。
フロリアの船の上での話を思い出した。確かではないことがある、と言っていた。確かでないことを話しても混乱させるだけ、と言っていた。
「最初から、知ってた?」
「遺跡で目覚めたときから、記憶の中にありました」
「ずっと、一人で抱えてた?」
「……はい」
あたしは何か言おうとした。
でも言葉が出てくる前に、別の感情が来た。怒り、というのとは少し違う。でも怒りに近いものだった。
「なんで言わなかったの」
声が、少し硬くなった。自分で分かった。
「言えば、あなたは旅を止めたでしょう」
「止めない」
「止めようとしたはずです」
「止めない。でも、いっしょに考えた」
「考えることが、わたしには怖かった」
フロリアが少し目を伏せた。
「種を集めなければ、世界樹は枯れます。しゃべる動物たちの声が消えます。ポポルさんの、チクードの、バロンの、みんなの声が。だから止まれない。考えてしまったら、怖くて動けなくなると思っていました」
「でも、フロリアが一人で全部決めるのは、違う」
「役目ですから」
「役目だったとしても」
あたしは少し声を強くした。
「フロリアが自分を犠牲にする前提で旅をしていたことが――」
「犠牲ではありません」
「犠牲じゃん!」
声が、砂浜に広がった。
ポポルが両方を見ていた。何も言わなかった。
フロリアがあたしを見た。目が、揺れていた。
「犠牲ではありません」
フロリアがもう一度言った。でも今度は、さっきより声が小さかった。
「わたしの役目です。花姫として生まれた、役目です」
「役目って言葉で、全部片付けないで」
「片付けていません」
「片付けてる。ポポルが言ってたじゃん。役目は存在の理由じゃないって。できることのひとつだって」
「それは――」
「フロリアだって、そうだよ。花姫である前に、フロリアだよ。フロリアが消えていいわけない。フロリアが泥に足を取られて、虫に驚いて、葉っぱのご飯を複雑な顔で食べて、それでもおいしいって言うフロリアが――」
「リオナ」
「消えていいわけない」
沈黙があった。
長い沈黙だった。
焚き火がぱちっと音を立てた。
フロリアの目が、ゆっくり潤んだ。
あたしは気づいていた。でも何も言えなかった。言葉が、これ以上出てこなかった。
「リオナは」
フロリアの声が少し震えていた。
「わたしの役目を、軽く見ているのですか」
「軽く見てない」
「でも、止めようとしている」
「止めてない。フロリアに消えてほしくない、と言ってる。全然違う」
「……どう違うのですか」
「フロリアが世界を救いたい気持ちは分かる。でも、フロリアが世界樹に戻ることが唯一の方法だとは思えない。なのに、フロリアは最初からそれしかないと決めて、一人で抱えてた。それが――」
あたしは少し止まった。
「それが、嫌だ」
フロリアが目を伏せた。
「……なぜ、嫌なのですか」
「フロリアがいなくなるのが嫌だから」
はっきり言ったら、自分でも少し驚いた。でも嘘ではなかった。
少しの間、二人とも黙っていた。
ポポルがため息をついた。
「二人とも、言いたいことは言えたポポ?」
あたしは何も言わなかった。フロリアも何も言わなかった。
「言えてないポポ。でも、今夜は十分だポポ。続きは明日にするポポ」
「明日にしていい話じゃない」
あたしは強く言った。
「今夜に解決できる話でもないポポ。感情が多すぎるポポ。少し冷ますポポ」
「冷まして、どうする」
「また話すポポ」
フロリアが立ち上がった。
あたしを見なかった。海の方を向いていた。
「少し、一人でいます」
「フロリア――」
「大丈夫です。遠くへは行きません」
フロリアが砂浜を歩いていった。焚き火の光が届かなくなるところで、止まった。そこで、立っていた。
あたしはその背中を見ていた。
「追いかけるポポ」
「一人でいたいって言った」
「それは社交辞令だポポ」
「社交辞令なの?」
「追いかけろ、リオナ。今のは、フロリアも泣いてた」
あたしはポポルを見た。ポポルは焚き火を見ていた。しましまの尻尾が、少し力なく垂れていた。
「泣いてたの、見えたの?」
「見えなかったポポ。でも分かったポポ」
「……そうか」
「追いかけろポポ。今夜中に解決しなくていいポポ。でも、一人にするなポポ」
あたしは立ち上がって、砂浜を歩いた。
フロリアは焚き火から少し離れたところで、海を見ていた。波が来るたびに、足元の砂が濡れていた。
近づいたら、フロリアが気づいた。でも振り返らなかった。
あたしはフロリアの隣に立った。
何も言わなかった。
波が来た。波が返った。また来た。
しばらくして、フロリアが言った。
「……怒っていますか」
「怒ってない」
「声が硬くなっていました」
「怒ってない。でも、なんか、重いものが胸にあった」
「今は?」
「まだある。でも、言ったら少し軽くなった」
フロリアが少し間を置いた。
「わたしも、少し、軽くなりました」
「言ったから?」
「言えたから、だと思います。ずっと、言えなかった。リオナに言ったら、止まってしまうと思っていた。止まれない、と思っていた。でも――」
「でも?」
「言えました。止まりませんでした」
「旅は続く」
「……はい」
フロリアがやっとあたしを見た。目が赤かった。
「続きます。でも、リオナが言ったことも、まだ全部は受け入れられていません」
「全部じゃなくていい」
「フロリアが消えていいわけない、と言いましたね」
「言った」
「……そう言ってもらったのは、初めてです」
フロリアが目を伏せた。
「花姫として目覚めてから、ずっと役目のことしか言われなかった。花姫だから、世界を救えると。でも、フロリアとして、消えていいわけないと――そう言ってもらったのは、初めてです」
あたしは何か言おうとして、やめた。
言葉の代わりに、フロリアの手を取った。
フロリアが少し止まった。
「リオナ」
「うん」
「手を、取りました」
「取った」
「なぜ」
「言葉が出てこなかったから」
フロリアが少し笑った。泣いたあとの笑いだったけど、笑いだった。
「……リオナは、言葉が足りないことが多い」
「そうかも」
「でも、こういうときは、それでいいです」
波が来た。二人の足元を濡らした。
あたしはフロリアの手を握ったまま、海を見た。
「フロリア」
「はい」
「一人で決めないで」
フロリアが少し間を置いた。
「……約束は、まだできません」
「うん」
「でも、考えます。一人で決めないということを、考えます」
「それでいい」
「本当に?」
「今夜は、それでいい」
フロリアがあたしの手を、少しだけ強く握った。
「……ありがとうございます、リオナ」
焚き火に戻ると、ポポルが木の実を食べていた。
「解決したポポ?」
「解決してない」
あたしは答えた。
「でも、少しはマシになったポポ?」
「少しは」
「それで十分だポポ。ポポから言っていいか」
「どうぞ」
フロリアが言った。
「フロリアという人は、一人で背負おうとしすぎるポポ。リオナは、勢いで解決しようとしすぎるポポ。二人とも、ポポが見ていてひやひやするポポ」
「ポポルも一人で抱えてたじゃん」
「それはそうだポポ。だから、ポポにも言う権利があるポポ」
「……そうですね」
「三人で旅してるポポ。一人で決めることは、今後なしにするポポ。それだけだポポ」
あたしとフロリアは顔を見合わせた。
「約束できますか」
フロリアがあたしに言った。
「できる。フロリアは?」
「……できます」
少し間があった。でも言った。
「約束します。一人で決めません」
「ポポも約束するポポ。ポポも一人で決めないポポ」
焚き火が揺れた。
波が穏やかに続いていた。
あたしは胸にある重いものが、さっきより小さくなっている気がした。消えてはいなかった。まだ、フロリアのことが心配だった。七つ目を集めたとき、どうなるか、まだ分からなかった。
でも、一人じゃなかった。
三人で知っている、ということが、少しだけ違った。
「次は最後の種です」
フロリアが言った。
「世界樹の根元の古代都市。乾きの商会も、そこへ向かってるポポ。早く行かないといけないポポ」
「行こう」
「行きます」
二人が同時に言ったのが、少し可笑しかった。
ポポルが「珍しいポポ」と言った。
明け方近く、あたしはまだ起きていた。
フロリアは眠っていた。ポポルも眠っていた。
あたしは一人で海を見ていた。
フロリアが消えていいわけない、と言った。
あたしは、それが本当のことだと分かっていた。でも、それ以上のことも、少し分かっていた。
フロリアが笑うと、なんか、胸の奥があったかくなる。
それが何なのか、あたしにはまだ名前がなかった。でも、確かにあった。
確かにあるから、消えてほしくなかった。
波が来た。返った。また来た。
夜明けが近かった。




