第十三章 キノコ谷、だいたい全員あやしい
キノコの谷は、地下にあった。
入口は、島の中央にある岩の割れ目だった。大きな割れ目で、横幅はあたしが両腕を広げた三倍くらいある。でも深くて、底が見えなかった。周りに石の階段が彫ってあって、下へ続いていた。
階段の端に、キノコが生えていた。
光るキノコだった。青白い光で、ぼうっと輝いていた。一個だけじゃなくて、階段の端に沿って、ずっと下まで続いていた。
「きれい!」
「きれいですね」
「地下に、王国があるのですね」
「あるポポ。古代の記録に、キノコの谷の記述があったポポ。地下に広がる大きな空洞に、キノコたちが文明を作ったポポ。ずいぶん昔からあったポポ」
「どのくらい昔?」
「世界樹がまだ若いころからだポポ。記録によると、キノコの谷は世界樹の根の近くにあって、根から栄養を受け取って育ったポポ。昔は、地上の人間と交流があったポポ」
「今はないの?」
「ないポポ。記録がある時代から、だんだん来る人が減ったポポ。最終的に、誰も来なくなったポポ」
「なんで?」
「地下に潜るのは、面倒だからポポ。階段を降りて、暗くて、何があるか分からない。そういう場所へわざわざ行く人は、少なくなるポポ」
フロリアが割れ目の下を覗き込んだ。
「……忘れられたのですね」
「そうだポポ。本人たちは、ずっとそこにいるのに」
階段を降りた。
長かった。かなり長かった。光るキノコが道案内してくれるから迷わなかったけど、足が痛くなるくらい降りた。
「……まだですか」
フロリアが、少し後ろでつぶやいた。
「まだ」
「今の返事、希望がありません」
「希望はあるよ。下には向かってる」
「それは希望ではなく方向です」
ポポルが、さらに後ろで小さく息を切らしていた。
「ポポは足が短いから大変だポポ」
「肩に乗る?」
「乗るポポ」
返事は早かった。
ポポルがあたしの肩に飛び乗って、しましまの尻尾を首に巻きつける。
「楽になった?」
「なったポポ。リオナ、もっと静かに歩くポポ」
「乗せてもらってるのに注文が多い」
「揺れる方にも事情があるポポ」
そのまましばらく降りて、ようやく底が見えてきた。
光が増えた。青白いキノコの光だけじゃなくて、橙色の光も混ざってきた。音がしてきた。何かが動く音、話し声、それから――歌だった。
「歌が聞こえる?」
「聞こえます。たくさんの声が混ざっています」
「キノコが歌ってるの?」
「そうみたいです」
階段が終わった。
広かった。
ものすごく広かった。天井が高くて、壁から壁まで遠くて、空洞というより、地下の街だった。いや、街そのものだった。建物があって、道があって、広場があった。全部キノコでできていた。大きなキノコが柱になっていて、平たいキノコが屋根になっていて、小さなキノコが光を作っていた。
住民がいた。
キノコだった。
人の形をしたキノコたちが、道を歩いたり、広場に集まったり、建物の中から顔を出したりしていた。傘の色はいろいろで、赤い傘のも、白い傘のも、紫の傘のもいた。大きさも様々で、あたしの膝くらいのもいれば、あたしと同じくらいの高さのもいた。
「うわっ!」
あたしは思わず声が出た。
「うわ」
フロリアも同じように反応した。
「ポポは、記録で知ってたポポ。でも、実際に見ると、でかいポポ」
キノコたちがあたしたちに気づいた。
最初は止まった。みんなが一斉に止まって、こちらを見た。
それから。
「お客様!!」
声がした。それを皮切りに、キノコたちが動いた。ものすごく動いた。
「お客様が来た!」
「久しぶりだ! 久しぶりのお客様だ!」
「いつぶりだ?」
「覚えていない! それくらい久しぶりだ!」
「歓迎しろ! 全力で歓迎しろ!」
三人は、あっという間に広場の真ん中に連れて行かれた。
連れて行かれた、というより、気づいたら運ばれていた。キノコたちが周りを囲んで、わあわあ言いながら移動していたら、広場についていた。
広場の真ん中に、でかいキノコが座っていた。
傘が特に大きくて、全体的に貫禄があった。色は深い赤で、縁が金色に輝いていた。王様だと、見た瞬間に分かった。
「ようこそ、キノコ谷へ!」
王様が言った。声が大きかった。
「余はキング・ポルチーニ! この国の王だ! 久しぶりの訪問客に、心から歓迎の意を――」
「飯! まずご飯を出せ! お客様にご飯を!」
別のキノコが言った。
「歌を歌え! 歓迎の歌を!」
また別のキノコが言った。
「踊りも踊る!」
「余が話している! 余が話しているときは――」
キング・ポルチーニはそう言ったけど、
「ご飯先でしょ、常識的に!」
「歌が先だ! 歌で歓迎するのが礼儀だ!」
「ご飯が礼儀だ!」
キノコたちが議論を始めた。全員が同時に話していた。
あたしはフロリアを見た。フロリアがあたしを見た。
「にぎやかですね」
「うん」
「ポポルさんが好きそうです」
「好きだポポ。でも、ご飯の匂いがするポポ。先にご飯を確保するポポ」
「任務があります」
「ご飯を食べながら任務できるポポ」
「両立できるかどうか――」
「ご飯!」
「ご飯を食べて! 食べてから話を聞く!」
キノコたちが言った。
「逆では?」
フロリアが突っ込んだ。
「食べてから! ここのご飯は、おいしいから! 食べてから判断して!」
ご飯は、本当においしかった。
キノコ料理だった。いろんな種類のキノコを、いろんな方法で調理したものが、次々に出てきた。焼いたもの、煮たもの、干したもの、生のまま薄く切ったもの。全部、味が違って、全部おいしかった。
あたしは夢中で食べた。
ポポルも夢中で食べた。
フロリアは最初、「キノコが作ったキノコ料理を食べるのは、少し複雑では」と言っていたけど、一口食べたら複雑さを忘れたらしくて、黙々と食べ続けた。
「おいしい?」
あたしは聞いた。
「おいしいです。認めたくないのですが、おいしいです」
「認めたくないのはなぜ?」
「色々と、複雑なので」
「食べてるじゃん」
「おいしいので」
キング・ポルチーニが満足そうに見ていた。
「食べてくれるのは嬉しい。久しぶりの訪問客が、余のご飯を食べてくれている」
「久しぶり、って本当に誰も来ないの?」
あたしはキング・ポルチーニに聞いた。
「来ない。最後に来たのは、いつだったか。ポルチーニには分からないくらい前だ」
「なんで来なくなったの?」
「地下だから、と思っていた。遠いから、と思っていた。でも最近は、もしかして忘れられたのではないかと思っている」
「忘れられた?」
「地上の人間たちは、地下のことを考えない。地下に何があるか、知ろうとしない。だから、余たちのことも、忘れてしまったのではないかと」
キノコたちが、少し静かになった。さっきまでのにぎやかさが、少し落ち着いた。
「寂しい?」
あたしは聞いた。
「寂しい。余たちはここにいる。ずっとここにいる。でも、誰も来ない。余たちがいることを、誰も知らない。それは、寂しい」
フロリアが食事のあとで、静かになった。
あたしはフロリアの隣に座った。
「どうした?」
「……考えていました」
「キノコたちのこと?」
「はい。必要とされたい、という気持ちが、分かる気がして」
「フロリアも?」
「花姫は、必要なときだけ目覚める存在です。世界樹が弱ったから、わたしは目覚めた。それがなければ、わたしはずっとつぼみの中にいた」
「でも今は起きてる」
「今は。でも、役目を果たしたら――」
フロリアが少し止まった。
「それは、今考えることではありませんね」
「うん、今は、キノコたちのことを考えよう」
「そうですね」
「キノコたち、忘れられてなんかないよ、って言えたらいいね」
「言えますか、本当のことで」
「本当のことで言える」
「根拠は?」
「ポポル、教えて」
ポポルが木の実――いや、キノコの乾燥したものを食べながら顔を上げた。
「キノコの胞子は、森を支えてるポポ」
「どういうこと?」
「木の根は、キノコの菌と繋がって栄養をやり取りするポポ。キノコがいなければ、大きな木は育たないポポ。古代の記録にもあったポポ。このキノコ谷の胞子が、地上の森を支えていたポポ」
「今も?」
「今もだポポ。気づかれていないだけで、今もやってるポポ」
あたしはキング・ポルチーニを見た。
「それ、知ってた?」
「知らなかった。余たちは、ただここにいるだけだと思っていた」
「ただいるだけじゃなかった。忘れられてもいなかった」
「どういうことだ」
あたしは立ち上がった。
「地上の木たちは、キノコの菌と繋がってる。菌がなかったら、木は育たない。あの大きな木も、広い森も、全部キノコ谷と繋がってる。知られてないだけで、ちゃんと支えてた。それは、忘れられてるんじゃなくて――」
「気づかれていないだけポポ。でも、必要とされていた。ずっと、必要とされていたポポ」
キノコたちが、静かになった。
さっきまでの議論の喧噪が、完全に消えた。
キング・ポルチーニが、大きな傘をゆっくり動かした。
「……余たちが、森を支えていたのか」
「そうです。古代の記録にある。キノコ谷は、世界樹の根の補助として、地上の命を支えていたポポ」
「知らなかった」
「知らなくても、やっていたポポ。本来、そういうものだポポ。命は、自分が何かを支えていることを知らなくても、支えているポポ」
キング・ポルチーニが、長い間、黙っていた。
それから、大きな声で言った。
「余は、知らなかった。でも、やっていた!」
「そうです!」
あたしは言った。
「忘れられていたが、必要とされていた!」
「そうです!」
「ならば、これからも続けるまでだ! 余たちはここにいる! 地上のことは知らないが、ここから支えることならできる!」
キノコたちが、わあっと声を上げた。さっきのにぎやかさが戻ってきた。でも今度は、少し違う種類のにぎやかさだった。さっきより、明るかった。
六つ目のいのちの種は、王国の一番奥にある、古い祭壇のそばにあった。
祭壇は、大きな岩でできていて、上に古い模様が彫ってあった。ポポルが模様を読んだ。
「世界樹との約定、と書いてあるポポ。キノコ谷が世界樹を支え、世界樹がキノコ谷を守る、という古い約束だポポ」
「その約束、今も続いてるの?」
あたしは聞いた。
「続いてるポポ。ただ、世界樹が弱ったから、守る力が減ってるポポ。でも、キノコたちは支え続けてたポポ」
「一方的に、ずっと」
「そうだポポ。それでも続けてたポボ」
「ポボ?」
「ポポだ。続けてたポポ。それが、この王国だポポ」
フロリアが祭壇の前に立った。手を当てた。目を閉じた。
しばらくして、祭壇の模様が光った。
種が、祭壇の中から現れた。
六つ目の種だった。深い褐色で、地面の色をしていた。他の種より、少し重そうだった。
フロリアが受け取った瞬間、フロリアの体から、花びらのような光が散った。
ぱっと広がって、すぐ消えた。
あたしは見ていた。
「フロリア」
「……はい」
「今の、何?」
フロリアが少し間を置いた。
「種を受け取るたびに、少しずつ力が消耗していると言いましたね。目に見える形になってきたようです」
「大丈夫?」
「大丈夫です。今はまだ」
今はまだ、という言葉が引っかかった。
六つ集まった。残りは一つ。
でも、残り一つを集めたとき、フロリアはどうなるのか。
カラマの言葉が、また頭に来た。
世界樹の花から生まれた命は、最後に世界樹へ還る。
「リオナ」
「うん」
「難しい顔をしています」
「してない」
「しています」
「……してるかも」
「言えますか」
「……夜になったら」
フロリアが少し笑った。今度は少し寂しそうな笑い方だった。
「夜になったら、聞きます」
「今は、聞かないの?」
あたしが聞くと、フロリアは首を横に振った。
「リオナは、急がせると違う言葉を選びます」
「あたし、そんなに分かりやすい?」
「分かりやすいです。でも、分かりやすいからといって、簡単ではありません」
フロリアは六つ目の種を、両手でそっと包み直した。
「だから、夜まで待ちます」
「……うん」
待ってくれるんだ、と思った。
それが、少しだけ怖くて、少しだけうれしかった。
帰り道、キング・ポルチーニが見送りに来た。
「また来てくれ」
「来る。次に来たとき、地上の木が元気になってたら、それがキノコ谷のおかげだって教える」
あたしは元気な声で言った。
「そうか。それは嬉しい」
「忘れてないよ。忘れるわけない」
キング・ポルチーニが、大きな傘をゆっくり揺らした。うれしいのか、照れているのか、その両方か。
「世界樹の力が戻ることを、ここから祈っている」
「ありがとう。キノコ谷が支えてくれている間に、急ぎます」
「頼む。それと――花姫」
「はい」
「無理をするな。キノコ谷の胞子は、支え続ける。だから、余たちを信じて、自分を大事にしろ」
フロリアが少し止まった。
「……ありがとうございます」
声が、普段より柔らかかった。
地上に出たとき、夕方だった。
空が赤くて、地平線が橙色だった。地下にいる間に、ずいぶん時間が経っていた。
ゲコッタが砂浜で待っていた。口から手紙を取り出していた。
「整理しているゲコ」
「まだあったの?」
あたしは突っ込んだ。
「口の中は広いゲコ」
「いつ届けるの?」
「順番にゲコ。次の寄港地で届けるゲコ」
「受け取る人、しっとりしてるのを覚悟してるかな」
「慣れているゲコ。ゲコッタの郵便は、昔からしっとりゲコ」
三人でゲコッタの背中に乗った。
島が遠くなっていく。地下に王国がある島が、普通の島みたいに見えた。でも地下には、キノコたちがいる。今もにぎやかにしているんだろう。
「フロリア」
「はい」
「六つ、集まった」
「そうですね」
「残り一つ」
「はい」
「次が終わったら――」
あたしは少し止まった。
「ちゃんと話したいことがある」
フロリアが、あたしを見た。
「夜に、でいいですか」
「夜でいい」
「ならば夜に」
波が穏やかだった。
「ポポも聞くポポ」
「聞いてていい」
「三人の話だポポ。ポポが聞かなくてどうするポポ」
フロリアが少し笑った。今度は、さっきより明るかった。
夜が来るまで、まだ少しあった。




