第十二章 ミミラは敵です、たぶん
毒キノコの森、というのは、その名前を聞いただけで近づきたくないと思う場所だった。
でも次の目的地への道の途中に、どうしても通らないといけない場所があって、その道がちょうど森の中を通っていた。
「別の道はないポポ。あったら、ポポはそっちを選んでるポポ」
ポポルが地図――頭の中の地図を確認しながら言った。
「毒は大丈夫なの?」
あたしは聞いた。
「通るだけなら大丈夫だポポ。触らなければポポ。食べなければポポ」
「食べないよ」
「リオナが食べないとは限らないポポ。キノコは食材でもあるポポ」
「毒キノコを食べないくらい分かる」
「ポポは三回に一回しか信用しないポポ」
「毒は食べない」
「今回は信用するポポ」
フロリアが森の入口を見ていた。
木が高くて、葉っぱが密で、中が暗い。ところどころ、派手な色のキノコが生えていた。赤、紫、黄色、青。どれも毒々しくて、でもなぜかきれいだった。
「色が、派手ですね」
「警戒色だポポ。毒があるから、近づくなという色だポポ」
「植物も、そういうことをするのですか?」
「キノコは厳密には植物ではないポポ。でも、意思を持った命だポポ。自分を守る方法を知ってるポポ」
「……なるほど」
フロリアが少し考えた。
「でも、怖くなる色というのは、見る側が決めていることですね」
「どういうこと?」
「赤は危険、という認識は、見る側の経験から来ています。キノコ自身が、この色で怖がらせようとしているかどうかは――」
「別問題だポポ。それは、森の中で分かるかもしれないポポ」
森に入った。
思ったより静かだった。鳥の声もしない。虫の音も少ない。代わりに、足元のキノコがときどきぽん、と小さな音を立てた。胞子が飛んでいた。
「吸い込まないで」
フロリアが注意した。
「大丈夫?」
あたしは聞いた。
「少量なら問題ありません。でも深呼吸はしないでください」
「分かった。ポポルは?」
「ポポは鼻が利くから気をつけるポポ。でも、慣れた匂いだポポ。ポポ族はこういう場所を通ることがあったポポ」
「古代の地図に記録があったの?」
「そうだポポ。この森も、昔から在ったポポ」
足元を見ながら歩いた。大きなキノコを避けて、小さいキノコも踏まないようにして、慎重に進んだ。フロリアが先頭に立って、あたしが後ろについた。
「フロリア、キノコの声も聞こえる?」
「少し。植物ではないので、はっきりとは。でも、気配は分かります」
「何か感じる?」
「……怖がっています」
「キノコが?」
「はい。何かを、怖がっています」
あたしは周りを見た。暗い森の中、どこにも何もいない。でもフロリアがそう言うなら、何かある。
「何が怖いの?」
「分かりません。わたしたちではない気がします。もっと別の何かを――」
茂みが揺れた。
右側の茂みが、ざわっとなった。
あたしは反射的にフロリアの前に出た。
茂みから出てきたのは、知っている顔だった。
ミミラだった。
茶色い髪を乱して、商会のベストが泥だらけになっていた。手に地図らしきものを持っていて、それも湿って端がよれていた。目が合った瞬間、ミミラの顔が「しまった」という顔になった。
「……捕捉対象を確認しました」
ミミラの声が、少し上ずっていた。
「リオナさん、フロリアさん、それからマスコット動物――」
「名前があるポポ。ポポだポポ」
「ポ、ポポさん。捕捉しました。これより捕獲作戦を――」
「一人?」
あたしは聞いた。
「一人です。バンゴ隊長は別ルートから――」
「迷子?」
ミミラが黙った。
「……迷子ではありません」
「地図が濡れてる」
「それは、さっき川を渡ったからで」
「川、ここにないよ」
「……沼でした。沼を渡りました。地図が読めなくて――読めなかったわけではなく、ちょっと、方角が――」
「迷子だね」
「迷子ではありません!」
ミミラが叫んだ。それからすぐ口を押さえた。声が大きかったからか、周りのキノコがぽんぽんと一斉に胞子を飛ばした。
「っ、すみません、大声を――」
「深呼吸しないで」
フロリアが言った。
「え?」
「今、胞子が多い。深呼吸をすると、具合が悪くなります」
ミミラが少し目を見開いた。
「……教えてくれるのですか。わたしは敵ですが」
「具合が悪くなると困ります」
「なぜですか?」
「具合が悪い人を置いていけません」
「捕まえようとしている相手なのに」
「それとこれとは別です」
ミミラが口を開けたまま、フロリアを見た。
そのまま帰すことも、捕まえておくことも変な話だったので、とりあえずいっしょに歩くことになった。
ミミラは「これは捕獲のための作戦です」と言い張っていたけど、誰も信じていなかった。
「この森、どこから入ったの?」
あたしは歩きながら聞いた。
「北側からです。バンゴ隊長が、この森を抜ければ近道になると言ったので」
「近道にならなかった?」
「隊長は途中で別の道を見つけて、そちらへ行きました。わたしはこちらへ来て――道が分からなくなりました」
「迷子だね」
「ですから迷子ではないと――」
ミミラが言いかけて、足を止めた。
「……迷子です」
「素直だね」
「負けを認めないのは見苦しいので」
フロリアがミミラを見ていた。
「ミミラさんは、真面目なのですね」
「真面目ではありません。任務をこなしているだけです」
「商会に入ったのは、カラマさんへの憧れから、と聞きました」
「……聞いていたのですか」
「バンゴさんが、大声で話していました。聞こえていました」
「隊長は声が大きいので――」
ミミラが少し黙った。
「そうです。カラマ様の研究を、近くで学びたくて入りました。自然を管理して保存するという考え方が、すごいと思って」
「今も、そう思っていますか」
ミミラが少し間を置いた。
「……今も、考え方はすごいと思います。でも」
「でも?」
「群島で、植物を採取していたときに」
ミミラが声を小さくした。
「採取された植物が、金属の箱に入れられて、ぎゅっと押し込められていました。カラマ様は標本として大事にすると言っていたのに、部下たちは数をこなすことしか考えていなかった。植物が、苦しそうだった気がして」
「気がして、で分かったのですか」
「分かるわけではありません。そんな力は、わたしにはありません。ただ……見なかったことにするには、少し、変だったんです」
「変だと思うことは、大事です。声が聞こえなくても、感じることはできます。ミミラさんが感じたことは、正しかったと思います」
ミミラがフロリアを見た。
「……花姫が、そう言うのですか」
「言います」
「わたしは花姫を捕まえようとしている敵ですが」
「それとこれとは別です」
「また別にしました」
「そういうものです」
ミミラがあたしを見た。
「リオナさんも、そうなのですか」
「フロリアと同じ。困ってたら助ける。敵とか、あんまり関係ない」
「なぜですか」
「困ってるから」
「それだけですか」
「それだけ」
ミミラが不思議そうな顔をした。理解できないというより、理解したいのに言葉が追いつかない、という感じだった。
「カラマ様は、壊したいわけじゃありません」
ミミラが、小さな声で言った。
「珍しい植物も、話す動物も、そのまま放っておいたら失われる。人間が記録して、守れる形にしなければ、いつか全部消えてしまうって」
「守れる形?」
あたしが聞くと、ミミラは胸の前で手を握った。
「箱に入れることも、標本にすることも、ひどいことじゃないって。失われるよりは、残る方がいいって」
フロリアはすぐには答えなかった。
「……残ることと、生きていることは、同じではありません」
ミミラの顔が、少しだけ揺れた。
森の真ん中で、ミミラが立ち止まった。
「あの」
「うん?」
「足元、見てください」
足元に、青いキノコが群生していた。あたしたちの足元だけじゃなくて、周りを囲むように広がっていた。いつの間に、こんなにいたんだろう。
「触らなければ――」
あたしが言いかけたら、
「触らなくても、この種類は胞子が強いです。カラマ様の調査資料で読みました。近くにいるだけで、少し目が痛くなります」
ミミラがこう伝えた。
「どうするの」
「早く抜けた方がいい。でも、踏まないように」
難しかった。キノコがびっしり生えていて、足の置き場が少ない。
「ポポ、小さな隙間があれば分かる?」
あたしは聞いた。
「分かるポポ。先に行くポポ。ポポが通れる場所を示すから、そこを歩くポポ」
「ありがとう」
ポポルが先頭に立った。小さな体で、キノコの間をするすると通っていく。振り返って耳を向けた方向が、次に歩く場所だった。あたしとフロリアとミミラが、一列になってポポルの示す道を歩いた。
途中で、ミミラが転びかけた。
あたしが手を出した。
「大丈夫?」
「大丈夫です」
ミミラはそう言ったけど、少し目が潤んでいた。胞子のせいかもしれなかった。
「ありがとうございます、リオナさん」
「リオナでいい」
「……リオナ」
ミミラが、小さく繰り返した。
キノコの森を抜けた。
出口のところで、フロリアがキノコの方を向いた。
「怖がらせているつもりはなかったのですね」
あたしはフロリアを見た。
「キノコに言ってるの?」
「はい」
フロリアが少し目を細めた。
「さっき、キノコが怖がっていると言いましたが、確かめられませんでした。でも今、少し分かりました」
「何が分かった?」
「あの青いキノコは、胞子が強い。近づかれると、追い払わなければならない。でも、自分の胞子が相手を苦しめることも、分かっている。だから怖かったのです。追い払いたいけど、傷つけたくない」
「……キノコが、そんなことを考えてたの」
「声ではなく、気配だけですが。そういう感じがしました」
ミミラが黙って、来た道を振り返っていた。
「見た目で決めつけていました。毒キノコだから、近づくな、という色なんだと思っていました」
「それも間違いではありません。でも、全部ではない」
「……カラマ様も、自然を守りたいと言っています。でも、自然が何を思っているか、聞こうとしていないのかもしれません」
「あなたは、聞こうとしていますか?」
「わたしは聞こえません」
「聞こうとすることと、聞こえることは、違います」
ミミラが少し間を置いた。
「……そうですね」
森を出た場所で、三人はミミラと別れた。
ミミラが来た方向を確認して、「こちらに戻れば、隊長と合流できるはずです」と言った。
「合流したら、報告するの?」
あたしはミミラに聞いた。
「します。任務ですから」
「あたしたちのことも?」
ミミラが少し間を置いた。
「……こちらの道を通ったことと、毒キノコの森を抜けたことは、報告します」
「それだけ?」
「……それだけです」
「ミミラさん」
フロリアが呼んだ。
「はい」
「ありがとうございました。道案内と、キノコの知識を」
「わたしは捕まえようとしていた相手です」
「それとこれとは――」
「別、ですね」
ミミラが少し笑った。小さな笑いだったけど、確かに笑った。
「分かりました」
ミミラが歩き出した。少し行ったところで、振り返った。
「リオナ」
「うん」
「次に会ったときは、捕まえます」
「がんばって」
「がんばります」
ミミラが森の向こうへ消えた。
三人で歩きながら、ポポルが言った。
「ミミラという人、捕まえにくるポポ」
「そうだね」
「でも、本気で捕まえようとしてないポポ」
「なんで分かるの?」
「報告するときに、何かを隠してたポポ。声の感じで分かるポポ」
「何を隠した?」
「ポポには分からないポポ。でも、全部話すつもりはなかったポポ」
フロリアが少し考えていた。
「ミミラさんは、迷っていると思います」
「何に?」
「自分がしていることが、正しいかどうか。商会の中にいれば、言われた通りにすることが正しい。でも、自分が感じることと、言われていることが、少しずれ始めている」
「そのうち、離れるかな」
「分かりません。でも」
フロリアが少し間を置いた。
「ミミラさんは、命を傷つけたくないと思っています。それだけは、確かです」
「ポポも同意するポポ。あの子は、ポポに手を出さなかったポポ。捕獲対象のはずなのに、触れようとしなかったポポ」
「愛でてたんじゃないの?」
「愛でてたポポ。でも、それだけじゃないポポ」
あたしは後ろを振り返った。ミミラはもう見えなかった。
次に会ったときは、捕まえます、と言っていた。
多分、本気ではあるんだと思う。でも、本気だとしても、全部じゃない。
そういう人間が、敵の中にいる。それが、なぜかあたしは悪くないと思った。
夜になって、ゲコッタの背中で休んでいるとき、ミミラがカラマに報告しているところを、あたしは想像した。
何を話して、何を隠すのか。
カラマはどんな顔で聞くのか。
そういうことを考えていたら、フロリアに突っ込まれた。
「リオナ、また難しい顔をしています」
「してない」
「しています」
「……してるかも」
「ミミラさんのことですか」
「そうかも。あと、カラマのことも」
「カラマは、難しい相手です。悪意がない分、ただ言い負かせばいいというわけにいかない」
「さっきも言い負かさなかったじゃん」
「あれは言い負かしではありません。伝えただけです。伝わったかどうかは、分かりません」
「伝わってると思う」
「なぜですか」
「カラマ、聞いてたじゃん。フロリアの話を、ちゃんと聞いてた。反論はしてたけど、無視じゃなかった」
「……そうでしたか」
「あたしが見た感じだけど」
フロリアが少し黙った。
「リオナは、人を見るのが得意ですね」
「そうかな」
「感じるのが速い。さっきのミミラさんのことも、火山の寂しさも、すぐ分かる」
「考えるより先に感じるから」
「それは、得意なことですね。わたしは、考えてから感じることが多い。逆です」
「どっちがいいとかある?」
「……ないと思います。でも、いっしょにいると、補い合える気がします」
あたしは少し笑った。
「そうだね」
波が穏やかだった。
ポポルがもう眠っていた。くるんとした尻尾を体に巻いて、丸くなっていた。
次はキノコの谷だ、とポポルが言っていた。
まだ遠い。でも、少しずつ進んでいる。




