第十一章 泣き虫火山は今日も噴く
煙は、ずっと遠くから見えていた。
島が近づくにつれて、煙の量が増えた。白いのと黒いのが混ざって、もくもくと空へ伸びていた。風向きによって、煙の匂いが来た。硫黄の匂いと、焦げた石の匂いと、それから――なぜか、少しだけ、雨上がりの匂いがした。
「あの匂い、なんだろう?」
「硫黄です」
「それは分かる。なんか、他の匂いもする」
「……わたしも感じます。土の匂い。雨のあとみたいな」
「火山なのに、変だね」
「火山が、泣くからかもしれないポポ。泣くと、溶岩が出ると同時に、水蒸気も出るポポ。それが雨みたいな匂いになるポポ」
「ポポル、火山について詳しいね」
「古代の地図に、記録があったポポ。この火山は、昔から泣き虫で有名だったポポ」
「昔から?」
「ずっとだポポ。何百年も前から、この火山はよく泣いてたポポ」
「寂しい火山だね」
「そうだポポ」
ゲコッタが砂浜に近づいた。島の端に、小さな港みたいなものがあって、船が何艘か停まっていた。人が何人かいて、こちらを見ていた。
「花姫が来たのか」と、一人が言った。年配の男の人で、顔が煤で汚れていた。
「そうです。ここの火山に、いのちの種があると聞きました」
「ある。火山の心臓部に、ずっとある」
男の人がため息をついた。
「でも近づけない。泣くたびに溶岩が出て、道がふさがれる」
「どのくらいの頻度で泣くの?」
あたしは聞いた。
「気まぐれだ。機嫌がいいときは三日に一回。悪いときは一日に何度でも」
「今日は?」
「今朝、二回泣いた」
あたしは火山の方を見た。煙が上がっていた。頂上は雲に隠れていた。
「泣いてる理由、分かってる?」
「分からん。昔から泣いてる。だが、最近ひどくなった気がする」
「世界樹の影響です。世界樹が弱ると、地脈が乱れます。感じやすいものは、それに反応します。この火山は――」
「感じやすいんだね」
あたしは言った。
「そうです」
「繊細な火山だ」
「リオナ、繊細とはどういう意味か分かりますか?」
「……なんとなく」
「なんとなくで使わないでください」
「分かった。繊細な火山」
「今度は意味を理解して使ってください」
村の入口に、古いナマケモノがいた。
木の枝にぶら下がって、半分目を閉じていた。体は灰色で、爪が長い。こちらを見たのか見ていないのか分からない目で、三人を見た。
「き……みた……ちは……」
声が、ものすごく遅かった。
「ポポ、この人は?」
あたしは小声で聞いた。
「モーロだポポ」
ポポルが小声で教えてくれた。
「予言者だポポ。ナマケモノの」
「予言者?」
「未来が見えるポポ。でも、話すのが遅すぎて、だいたい間に合わないポポ」
「……き……みた……ちは……」
「まだ続いてる」
「まだだポポ」
「か……ならず……」
「かならず、何?」
あたしは聞いた。
「き……を……」
「木? 気? 着?」
「き……をつ……」
「気をつけ――」
火山が、どごんと鳴った。
煙が一気に増えた。遠くで光が見えた。溶岩が、どこかで流れ始めたらしかった。
「泣いたポポ」
「き……をつ……けろ」
「今さらポボ!」
「ポボ?」
「興奮したポポ!」
モーロがもう一度口を開いた。
「き……みた……ちなら……だい……じょ……」
「だいじょうぶ、って言ってる?」
あたしは聞いた。
「た……ぶ……ん……」
「たぶん!?」
「よ……」
「よ?」
「モーロの予言は、だいたい事後報告になるポポ。でも、外れたことはないポポ。信じていいポポ」
「たぶん大丈夫よ、って言ってるとしたら、信じる」
「た……ぶ……ん……」
「分かった!」
火山へ続く道は、二本あった。
一本は、なだらかな斜面を回り込む遠回りの道。もう一本は、岩場を直登する近道。
「近道で行こう」
あたしは提案した。
「待ってください」
「遠回りは時間かかる」
「近道は危険です。さっき溶岩が流れたと言いました。岩場は、今熱くなっているかもしれない」
「確かめてから行けばいい」
「確かめるために近づいて、熱かったら戻れない可能性があります」
「じゃあ早く確かめれば――」
「リオナ」
フロリアの声が、普段より低かった。
あたしは口を閉じた。
「わたしが火山の気配を読みます。熱が冷めているかどうか、植物から聞けます。少し待ってください」
「……分かった」
フロリアが岩の端まで歩いた。その場で地面に手を当てた。目を閉じた。
あたしはポポルと顔を見合わせた。ポポルが「たまには待つポポ」と小声で言った。あたしはうなずいた。
しばらくして、フロリアが戻ってきた。
「近道の方は、まだ熱い。でも遠回りの道も、一か所、岩が崩れかけています。どちらも、一長一短です」
「どっちが早く冷める?」
「近道の方が、地面の水分が多い。冷めるのも早いはずです。あと、半刻ほど待てば、歩けるかもしれません」
「半刻って、どのくらい?」
「日が少し動くくらい」
「分かった。待つ」
「……素直に待つのですね」
「フロリアが言うなら待つ」
フロリアが少し止まった。
「理由はそれだけですか」
「それだけ」
「……ありがとうございます」
あたしたちは岩陰で待った。ポポルが木の実を食べていた。あたしは石を積んで崩す遊びをしていた。フロリアは火山の方を見ていた。
「フロリア、何見てるの?」
「火山の気配を、継続して読んでいます。変化があれば、すぐ分かるように」
「ずっと読めるの?」
「遠いと難しいですが、この距離なら」
「疲れない?」
「少し、疲れます」
「やめていい」
「やめません。これがわたしの役目ですから」
役目、という言葉が、少し重く聞こえた。
ポポルが木の実を飲み込んで言った。
「フロリアという人は、役目、という言葉が好きだポポ」
「好きというわけではありません。ただ、それが自分の存在理由だと思っています」
「役目がなかったら、存在できないと思ってるポボ?」
「ポボ?」
「ポポだ。そう思ってるポポ?」
フロリアが少し黙った。
「……考えたことがありませんでした」
「考えてみるポポ」
「役目がなくても、存在できる、ということですか」
「ポポ族の話をしたポポ。ポポにも役目があったポポ。でも、役目を隠していた間も、ポポは存在してたポポ。リオナの相棒として、ちゃんといたポポ」
「……そうですね」
「役目は、存在の理由じゃないポポ。役目は、できることのひとつだポポ」
フロリアが、ゆっくりポポルを見た。
「……ポポルさんは」
「ポポだ」
「ポポルさんは、いつもそういう大事なことを、さらっと言いますね」
「食べながら言うと、さらっとなるポポ」
「木の実を食べながらでしたね」
「そうだポポ」
半刻後、近道の岩場は冷めていた。
フロリアが「行けます」と言ったから、三人で登り始めた。
岩場は、思ったより急だった。手と足を両方使って、岩を掴みながら登る。あたしは得意だったけど、フロリアが大変そうだった。
「大丈夫?」
「大丈夫です」
「本当に?」
「本当に、です」
でも、三歩に一回、足が滑った。岩が熱のあとで滑らかになっていて、掴みにくかった。
あたしは少し考えて、フロリアの前に来た。
「乗って」
「乗る?」
「背中。おぶる」
「そんな、わたしは――」
「岩が滑る。フロリアの足では難しい。あたしが登る方が速い」
「でも、重いです」
「大丈夫」
「また大丈夫が来ました」
「本当に大丈夫。ジャングルでポポルを背負って走り回ってたから」
「ポポは軽いポポ」
「フロリアも軽い。乗って」
フロリアが少し黙った。それから、あたしの背中に手を置いた。
「……失礼します」
フロリアを背負って、岩場を登り始めた。
重くはなかった。ポポルよりは重いけど、ジャングルで木に引っかかった動物を助けながら走ることに比べたら、全然大丈夫だった。
フロリアがあたしの肩に顔を近づけていた。あたしの首の後ろで、フロリアの息がした。少し速かった。怖いんだと思った。高い場所が苦手だと言っていたから。
「大丈夫だよ」
「……はい」
「落ちない」
「信じます」
「あたしが落ちたとしても、上手に着地するから」
「それは信じません」
「なんで」
「着地を考えてから落ちてください」
「考えながら落ちるのは難しい」
「だから落ちないでください」
あたしは笑った。背中でフロリアも少し笑った気がした。
ポポルが先を行きながら言った。
「二人とも、喋りすぎだポポ。登ることに集中するポポ」
「ポポルの方が気が散るじゃん」
「うるさいポポ」
火山の中腹に、洞窟があった。
そこへ入ると、急に音が変わった。外の風の音がなくなって、代わりに、低い音が来た。どごん、どごん、と遠くで何かが動いているような音だった。
「これが、火山の心臓部の音だポポ。ここからは、慎重にポポ」
洞窟の壁が、ほんのり温かかった。触れると、岩の奥から熱が伝わってきた。光は少なかったけど、壁の一部が橙色に光っていて、その光で歩けた。
あたしはフロリアを降ろした。フロリアが地面を確かめてから立った。
「歩けそう?」
「歩けます。ありがとうございました」
「背中、不思議な感じがしたよ」
「何がですか」
「こんなに近くにいたのに、いつもと全然違う感じがした」
フロリアが少し止まった。
「……どんな感じですか」
「なんか、大事なものを運んでる感じ」
フロリアが黙った。あたしも何を言ったのか自分でよく分からなくて、黙った。
「二人とも照れてないで歩くポポ」
「照れてない」
「照れてません」
「声が小さいポポ」
洞窟の奥で、火山の声を聞いた。
声というより、音だった。低くて、くぐもっていて、言葉になっていない。でも、フロリアには届いているらしかった。フロリアが壁に手を当てて、目を閉じて、ゆっくり頷いていた。
「何て言ってる?」
あたしは聞いた。
「悲しい、と言っています。昔、この火山の周りに、広い森があったそうです。長い時間をかけて育てた森。木の声を聞くのが、好きだったと」
「火山が、木の声を?」
「地面を通して、聞こえるのだそうです。根から根へ伝わる言葉が、地脈を通って、火山の奥まで届いていた。それが好きだったと」
「今は聞こえない?」
「森が失われてから、聞こえなくなったそうです。ずいぶん前のことだと言っています。だから、ずっと泣いている」
「寂しかったんだ」
「そうです」
「何百年も、寂しかったんだ」
フロリアが少し目を細めた。
「リオナは、そういうことをすぐ感じますね」
「感じるよ。寂しいのは分かる」
「ジャングルで、ずっとみんなといっしょにいたから?」
「そうかもしれない。でも、一人でいたとしても分かると思う。寂しさって、種類関係ないじゃん」
フロリアが少し間を置いた。
「……そうですね」
あたしは壁に手を当てた。フロリアみたいに声は聞こえないけど、温かかった。岩の奥から伝わってくる熱が、生き物の体温みたいだった。
「あたしから言ってもいいかな」
「火山に?」
「うん。聞こえる?」
「分かりません。でも、言ってみてください」
あたしは岩に向かって言った。
「森、作る。約束する」
フロリアが驚いた顔をした。
「リオナ、それは――」
「できるかどうかは分からない。でも、約束する。世界樹の種を戻して、世界が少しずつ回復したら、この火山のそばに木を植える。ポポルが場所を覚えてるから」
「覚えてるポポ。ポポ族の地図に刻むポポ」
洞窟の中が、少し変わった気がした。
音が変わった。どごん、どごん、という音が、少しだけゆっくりになった。泣くのが和らいだみたいに。
壁の光が、橙色から少し黄色になった。
フロリアの手の下で、岩が光った。光が、ひとつの点に集まった。壁から、小さなものが滲み出るみたいに出てきた。
五つ目のいのちの種だった。
フロリアが受け取った。手の中で、温かそうな色をしていた。赤みがかった橙で、さっきまでの四つとは違う色だった。
「ありがとうございます」
フロリアが岩に言った。
「森の声が、また届くように、急ぎます」
どごん、と音がした。今度は大きくなかった。ゆっくり、落ち着いた音だった。
洞窟を出るとき、フロリアがあたしの背中にまた乗った。
今度は自分から言った。
「降りる方が、登るより怖い場合があります」
「そうだよ。おぶる」
「お願いします」
岩場を降りながら、あたしは前を見ていた。フロリアはあたしの肩に顔を近づけていた。さっきより慣れた感じがしたけど、怖さはあるらしく、あたしの服を少し掴んでいた。
しばらくして、フロリアが小さな声で言った。
「リオナの背中は、不思議です」
「何が?」
「怖い場所でも、少しだけ安心します」
あたしは何も言わなかった。
何か言おうとしたけど、うまい言葉が出てこなかった。
だから、少しだけ歩く速度を落として、丁寧に岩を選んで、ゆっくり降りた。
フロリアの声が、小さかったから、ちゃんと聞こえたかどうか分からなかった。
でも、聞こえていた。




