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23話 女王の辞表と、兄への遺言

アストルが「深淵」の塵となってから一週間。

王都は奇跡的な復興を遂げていた。リゼットがばら撒いた「復興支援金(元・王族の隠し資産)」と、レオが放った闇が皮肉にも大地を浄化し、枯れていた植物が爆発的な勢いで芽吹き始めたからだ。


民衆の間では「リゼット女王こそが真の女神」「黒い翼の騎士は守護聖人」という、もはや宗教に近い噂が広まっていた。


「……はぁ。女神、ねぇ。私はただの、性格の悪い元・公爵令嬢なんですけれど」


私は豪華な玉座に深く腰掛け、山積みの書類を眺めていた。

隣には、深淵の力を使い果たして少しだけ顔色が青白い、けれど独占欲だけは以前の三倍増しになったレオが控えている。


「……お嬢様。その書類、すべて燃やしましょうか? 貴女の美しい指がインクで汚れるのは耐え難い」

「レオ、極端なこと言わないで。……でも、そうね。もう潮時だわ」


私は羽根ペンを置き、カチリと机の引き出しを開けた。

そこには、戴冠式の翌日から密かに書き溜めていた、渾身の一枚――**「女王引退宣言および全権委任状」**が収められていた。


数時間後、王宮の大会議室。

兄カイルをはじめとする新政府の閣僚、そして各国の使節団が集まる中、私は壇上に立った。


「皆様、本日はお集まりいただき感謝いたします」


私の声が、魔法で増幅されて響き渡る。

カイル兄様が「また何か企んでいるな」という疑いの眼差しを向けてくるが、無視だ。


「この一週間、私は考えました。……この国、いえ、この大陸には、今や『平和』が訪れました。アストルという害悪は去り、経済は安定し、魔人の呪いも封印された。……つまり、私という『劇薬』は、もう必要ありません」


ざわめきが広がる。

私は不敵に微笑み、一通の羊皮紙を高く掲げた。


「本日をもって、私は女王の地位を退位します! ……そして、後任の『初代大統領』として、我が兄、カイル・エル・グラナードを指名いたしますわ!」


「――なっ!? リゼット、貴様……っ!!」


カイル兄様が、これまでに見たことがないほど狼狽し、椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。

完璧主義の彼にとって、この「丸投げ」は想定外だったのだろう。


「兄様。貴方は私に『投資だ』とおっしゃいましたわね。……今こそ、その投資を回収する時です。……私はこれから、レオと共に、誰にも邪魔されない辺境の地で、永遠の隠居生活スローライフに入らせていただきます!」


「待て! 許可せんぞ! 戻れ、リゼット!」


兄様の絶叫を背に、私はレオの手を取った。

レオは、私のこの暴挙を予見していたかのように、満足げに目を細めて私を抱き上げた。


「……お嬢様。……素晴らしい。……世界を混乱に陥れて、自分だけ逃げ出す……。それこそが、私の愛した『悪役令嬢』の真骨頂です」


「……ふふ。褒め言葉として受け取っておくわ、レオ」


私たちは、議会場の窓から飛び降りた。

もちろん、レオの「闇の翼」が私たちを優しく受け止め、そのまま空へと舞い上がる。

地上の喧騒が遠ざかり、澄み渡る青空が広がった。


それから、さらに数ヶ月。


大陸の最果て、かつて私たちが最初に隠れ住んだ「ルナ・グラナード」のさらに奥地。

そこには、小さな、けれど最高に贅沢な作りの石造りの館が建っていた。


庭には、魔力で一年中枯れることのない花々が咲き乱れ、裏手には極上の魔力温泉が湧き出ている。

郵便は一切届かない。カイル兄様からの「戻ってこい」という怒りの手紙も、すべて国境沿いの結界でレオが処分してくれている。


「……リゼット。……朝食の準備ができましたよ」


エプロン姿のレオが、テラスに座る私の元へやってきた。

彼の首筋には、私が女王の権限で特別に作らせた「永遠の誓約」の魔導具が光っている。……それは、彼が暴走しないための楔であり、私たちが互いに縛り合うための愛の証だ。


「……ねえ、レオ。……幸せね」


「……ええ。……幸せすぎて、時々、貴女をこのまま飲み込んでしまいたい衝動に駆られますが……。今は、このスープを飲ませるだけで我慢しておきましょう」


レオが銀のスプーンで、温かいスープを私の口に運ぶ。

一口飲むと、芳醇な香りと、彼の執着という名のスパイスが全身に染み渡る。


「……追放されて、女王になって、また追放(自発的)されて。……私の人生、波乱万丈だったけれど」


私はレオの首に腕を回し、その耳元で囁いた。


「……最高の、スローライフだわ」


レオの紅い瞳が、幸福に潤む。

彼は私を押し倒すように抱きしめ、二度と放さないと言わんばかりに力を込めた。


私たちの物語は、ここで一旦幕を閉じる。

けれど、この甘すぎて、重すぎて、少しだけ狂った日常は、永遠に続いていくのだ。

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