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22話 深淵対深淵、最凶の激突

王都の北門が、一瞬にして「消滅」した。

爆発音ですらない。黒い霧が触れた箇所から、石造りの城壁が砂のように崩れ、そこにいた兵士たちが悲鳴を上げる間もなく、魂を吸い取られた抜け殻のように倒れ伏していく。


「……リゼットォォ! レオォォ! 出てこい! すべてを返せ!」


黒い霧の中心に、異形の怪物がいた。

かつてのアストル王子の面影は、辛うじて残った歪んだ口元だけ。全身からは、レオの闇よりもさらに「濁った」黒い触手が蠢き、その胸元には、心臓のように脈動する巨大な紅い宝石が埋め込まれている。


「……あれが、アストル……? いえ、もはや別の何かね」


王宮のテラスから、私はその光景を冷徹に見つめていた。

隣に立つレオの身体が、微かに震えている。それは恐怖ではない。同族、あるいは自分と同じ「呪い」の気配に対する、本能的な嫌悪と共鳴だ。


「……お嬢様。……下がっていてください。……あの中に眠る『欠片』は、私のルーツの一部。……私が、終わらせなければならない」


「レオ、待って。……あの老婆が言っていたわ。貴方が力を解放すれば、貴方自身も深淵に飲み込まれるって……」


私はレオの腕を掴んだ。

レオは、これまでにないほど悲しく、けれどこの上なく愛おしそうに私を見つめ、私の額にそっと唇を寄せた。


「……お嬢様。……たとえ私が深淵に落ちても、貴女の笑顔が一つ守れるのなら、それは私にとって『救済』です。……目を閉じていてください。……この姿だけは、見せたくなかった」


レオが、テラスから飛び降りた。


空中。

レオの背中から、漆黒の翼が六枚、爆発するように展開された。

それはもはや鳥の羽ですらない。光を一切反射しない、宇宙の裂け目のような「無」の翼だ。


「――『開門アンロック』」


レオの声が、世界そのものを震わせた。

彼の周囲の空気が一瞬で凍りつき、地面からは巨大な影の槍が突き出す。

アストル(怪物)が放つ汚染された霧を、レオの放つ「純粋な闇」が一方的に喰らい、霧散させていく。


「な、なんだ!? なぜ私の力が効かない! 私は王だ! 深淵の王なのだぞ!」


「……王? ……笑わせるな。……貴様はただの、盗品を拾っただけの泥棒だ。……真の『深淵』を知りたければ、その身に刻んでやろう」


レオが右手を掲げると、空中に巨大な「虚無の穴」が出現した。

それは、老婆が予言した、世界を無に帰すための終焉の入り口。


「――『深淵の葬送アビス・レクイエム』」


穴から放たれたのは、重力さえもねじ曲げる圧倒的な吸引力。

アストルの肉体を構成していた黒い霧が、絶叫と共に吸い込まれていく。

アストルは必死に地面を掴むが、彼の足元の影そのものが牙を剥き、彼の肉体をバラバラに引き裂いて「穴」へと放り込んでいった。


「ぎ、ぎああああああ! リゼット! 助けてくれ! 私は、私はお前の、婚約……!」


最期の言葉は、虚無の中に消えた。

アストルの胸にあった紅い宝石が、パリンと音を立てて砕け散る。


静寂が訪れた。

だが、異変はそこからだった。


敵を消し去ったはずのレオの力が、収まる気配を見せない。

彼の六枚の翼はさらに巨大化し、王都全体を影で覆い尽くそうとしていた。

レオの瞳からは光が消え、ただただ深い、何も映さない「虚無」の紅だけが残っている。


「……レオ! レオ、戻ってきなさい!」


私はテラスから駆け下り、瓦礫の山となった広場へと走った。

「陛下! 危険です!」という衛兵たちの声を無視し、私は膨大な魔力の渦の中に飛び込んだ。


中心にいたレオは、もはや人の形を保つのも危ういほど、影に溶け込もうとしていた。

彼の周囲に触れれば、私の魂も吸い取られるかもしれない。……けれど、私は迷わず、その冷え切った「深淵」の背中に抱きついた。


「……レオ! 私よ、リゼットよ! ……貴方は私の騎士でしょう? 私を置いて、どこへ行くつもりなの!」


「……リ……ゼッ……ト……?」


レオの身体が、ビクリと跳ねた。

彼の影が私の肌を焼く。冷たい。氷よりも冷たく、魂が凍りつきそうな感覚。

けれど、私は腕を離さなかった。


「……言ったでしょう。貴方が深淵なら、私はその主になるって。……私を独り占めしたいなら、こんなところで消えないで。……私のそばで、一生私を甘やかしなさい!」


「……っ……あああぁぁ!!」


レオが咆哮を上げた。

次の瞬間、空を覆っていた影が一気にレオの体内へと凝縮され、凄まじい衝撃波と共に弾けた。


土煙が収まる。

そこには、ボロボロになった礼装を纏い、私を抱きしめたまま膝をつく、一人の男がいた。


レオの瞳に、光が戻っていた。

彼は震える手で私の顔を包み込み、ボロボロと涙を流した。


「……お嬢様……。……ああ、生きて……いらっしゃる。……私が、貴女を殺さずに済んだ……」


「……当たり前でしょう。……私のレオが、私を傷つけるわけがないもの」


私はレオの胸に顔を埋め、彼の心臓の音を確かめた。

深淵の力は、まだ彼の中に眠っている。けれど、それは私という「楔」によって、今、強固に封印されたのだ。

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