第38話:史上最大級の広域調合、公国の目覚め
「……本気なの、アルス師匠!? 王宮の魔力噴水を『フラスコ』の代わりに使うなんて!」
セレナが驚愕の声を上げた。
王宮の中央広場には、公国の心臓部とも言える「聖なる魔力噴水」が、天高く白銀の水を噴き上げている。それは国中のマナを循環させる巨大な大動脈だ。
「うん。霧に包まれたこの街全体を救うには、一瓶ずつ配っていたんじゃ間に合わない。この噴水に僕のポーションを流し込んで、公国が誇る『聖域結界』そのものを介して、街中に成分を気化させて届けるんだ」
アルスの提案は、錬金術の常識を逸脱していた。都市の防衛機構を、巨大な吸入器へと改造しようというのだ。
「……面白い。そのための『時間』は私が稼ごう」
リリスが空中で漆黒の翼を大きく広げた。
空からは、パラケルスの影が放つ「悪夢の鴉」たちが、黒い雨のように降り注いでくる。リリスは、それらを一振りで切り裂き、アルスの周囲に絶対的な空白地帯を作り出した。
「セレナ様、手伝って! 噴水の魔力波長を、僕のポーションと『共鳴』するように調整してほしいんだ!」
「……承知いたしましたわ! 公国第一皇女の名において、この国の結界をあなたの『鍋』として提供いたします!」
セレナが杖を掲げ、噴水に蓄積された数百年分の膨大なマナを制御し始める。
アルスは、カバンの中から先ほど精製したばかりの「星空のポーション」の原液を取り出した。そして、パラケルスから預けられたあの「黒い石」の欠片を、迷うことなく原液の中に投入した。
「……破壊の力も、眠りの力も。全部、誰かを起こすための『衝撃』に変える!」
アルスが【真・調合】を起動させると、彼の体から溢れ出す黄金の光が、噴水全体を飲み込んだ。
白銀の水柱が、一瞬にして夜空のような深い藍色へと染まり、その中に無数の星屑が瞬き始める。
「……いっけぇぇぇ!!」
アルスが噴水の中心部へ、渾身のマナを叩き込んだ。
ドォォォォン! という、地響きのような重低音が王都に鳴り響く。
噴水から噴き出した水は、もはや液体ではなく、光り輝く「覚醒の粒子」へと姿を変え、公国を覆っていた聖域結界のドームに沿って、一気に街全体へと拡散していった。
それは、まさに「光の爆発」だった。
不気味な影の霧を、黄金の光が内側から食い破っていく。
霧に触れていた市民たちが、一人、また一人と大きく息を吸い込み、その瞳に生気を取り戻した。
「……はっ!? 私は、何を……」
「夢を見ていたのか……? ひどく心地よい、けれど、恐ろしい夢を……」
市場で、広場で、人々が次々と立ち上がる。彼らの体からは、パラケルスの呪いが黒い煙となって排出され、アルスのポーションによって浄化されていった。
「……ぐ、あああああぁぁぁっ!?」
王宮の尖塔にいた影のパラケルスが、断末魔のような叫び声を上げた。
彼の構成要素である「悪夢のマナ」が、アルスの「目覚め」の力によって強制的に分解され、存在を維持できなくなっていた。
「……馬鹿な……。一国の結界をまるごと調合に使うだと……? そんなデタラメな理……私は認めんぞ、アルス……!」
影はそう言い残し、霧散して消えた。
同時に、公国の空を覆っていた重苦しい闇が晴れ、数日ぶりに澄み渡った青空が顔を出した。
***
王都全体が歓喜の声に包まれる中、アルスは噴水の淵に座り込み、肩で息をしていた。
「……ふぅ。……うまくいった、みたいだね」
「……当たり前でしょう。あなたは私の師匠なのですから」
セレナが、涙で潤んだ瞳でアルスの手を取った。
その背後では、玉座の間で眠っていた公国の国王が、騎士たちに支えられながら姿を現した。
「……娘よ。そして、救世の調合師殿。……我が国を、そして民を、永遠の眠りから救ってくれたこと、言葉では言い尽くせぬ感謝を捧げる」
国王がアルスの前に跪こうとしたが、アルスは慌ててそれを止めた。
「やめてください、陛下。僕はただ……美味しい空気を吸いたかっただけですから」
アルスのいつものセリフに、リリスが可笑しそうに鼻を鳴らした。
「……お前の『美味しい空気』のために、一国が救われるのだから、世話がないな」
こうして、公国の危機は去った。
だが、アルスは知っていた。今倒したのはパラケルスの「影」に過ぎない。
本体であるあの錬金術師は、まだ世界のどこかで、さらに巨大な「理の破壊」を目論んでいる。
アルスは、空になった噴水を見つめながら、自分の掌に残った黄金のマナを見つめた。
救うべきは、まだたくさんある。
そして、自分の調合も、まだ進化の途上なのだ。
「……セレナ様。公国の復興を手伝ったら、またリーフ村に戻るよ。……もっと、すごい薬を作らなきゃいけない気がするんだ」
アルスの名は、この日をもって「公国の守護聖者」として歴史に刻まれた。
追放された調合師の旅は、いよいよ世界の真理を巡る、最終局面へと動き出そうとしていた。
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