第36話:黒い石の解析と、アルスの新境地
パラケルスが去った後の工房には、焦げ付いたような魔力の残滓と、重苦しい沈黙が漂っていた。
机の上に置かれた「魔神の触媒」――その黒い石は、時折ドクンと心臓のように脈打ち、周囲のマナを無差別に吸い込んでは、どす黒い瘴気へと変換し続けている。
「……師匠、やはり公国の騎士団を呼びましょう。この石をこのままにしておくのは危険すぎますわ。放っておけば、この村の植物も、人々も、すべて負の魔力に侵食されてしまいます」
セレナが青ざめた顔で進言する。彼女の持つ聖魔導の知識が、この石の存在そのものを「世界のバグ」であると告げていた。
「いや、待て。公国の連中が来たところで、あの老人の魔術に抗えるとは思えん」
リリスが、鋭い視線で石を睨みつける。
「アルス。パラケルスは言ったな。お前の調合には『核』がないと。……あの男は、お前に何をさせようとしているのだ?」
アルスは二人の言葉を聞きながら、じっと石を見つめていた。
確かに、この石から放たれるのは純粋な悪意だ。触れれば魂が削られるような不快感がある。だが、アルスの【真・調合】の感覚は、それとは別の「声」を捉えていた。
「……リリス、セレナ様。僕、ちょっと試してみたいことがあるんだ」
「試すって……アルス、まさかその石を調合するつもりか!?」
リリスが驚愕の声を上げるが、アルスは既に作業台に向かっていた。
アルスはまず、最高級の「浄化ポーション」をベースとして鍋に満たした。そこに、魔界で採取してきた「マナを吸う薬草」と、リーフ村に咲く「生命力の強い花」を次々と投入していく。
ここまでは、いつもの「救済」の調合だ。だが、アルスはそこで手を止めなかった。
「パラケルスさんは言った。『世界の理を壊し、再構築しろ』って。……だったら、この石が持つ『破壊の力』そのものを、調合の材料にしてみるよ」
アルスは、あえて黒い石に素手を伸ばした。
「師匠! いけませんわ!」
セレナが叫ぶが、アルスの手からは黄金のマナが溢れ出し、石から立ち昇る黒い霧を強引に押さえ込んだ。
アルスは石を砕こうとするのではなく、その中にある「循環の滞り」を探り当てた。
魔神の力とは、行き場を失った膨大なエネルギーの固まりだ。それが「悪意」に見えるのは、出口がないゆえの暴走に過ぎない。
アルスは【真・調合】を全開にし、石の中にある「破壊の波動」を、鍋の中の「再生の波動」と複雑に噛み合わせていった。
――グオォォォ、という、獣の咆哮のような音が工房内に響く。
黒と金の光が激しく衝突し、工房の窓ガラスが振動でひび割れた。リリスが咄嗟に結界を張り、暴走するエネルギーの余波を抑え込む。
「……混ざれ。喧嘩しちゃダメだ。……君も、本当は誰かの役に立ちたいんだろう?」
アルスが優しく、けれど力強く釜をかき混ぜる。
その瞬間、衝突していた二色の光が渦を巻き、一つに溶け合った。
完成したのは、深い夜空のような色をしながら、内側から銀河のような星屑が輝く、不思議な液体だった。
「……できた。これは、今までのポーションじゃない。……『概念を中和する薬』だ」
アルスがその液体を一滴、枯れ果てていた実験用の植物に垂らした。
すると、植物は単に緑を取り戻すだけでなく、その姿を瞬く間に変え、魔界の過酷な環境でも、極寒の地でも枯れることのない「新しい種」へと進化を遂げたのだ。
「……な、なんてこと。……師匠、あなたは『治癒』を超えて、生命の『定義』を書き換えてしまいましたわ」
セレナが膝をつき、震える手でその植物に触れる。
「破壊を材料にして、それ以上の再生を生む……。これが、アルスの新しい境地か」
リリスもまた、その底知れない進化に息を呑んだ。
パラケルスが求めた「破壊と再構築」。アルスはそれを、彼なりの「救済の延長線上」で成し遂げてしまったのだ。
「……でも、まだ足りない。あのパラケルスさんの魔法を解くには、もっと広い視点が必要な気がするんだ」
アルスは、完成したばかりの星空のポーションを見つめ、決意を新たにした。
その時、村の入り口から、公国の伝令が血相を変えて駆け込んできた。
「アルス様! セレナ皇女殿下! ……公国の王都が、正体不明の『影の軍勢』によって包囲されました! 陛下が……国王陛下が、原因不明の眠り病に倒れられたのです!」
「父上が!? ……そんな、公国の強固な結界をどうやって……」
セレナが顔を覆う。
アルスは、先ほど包んだ黒い石――その欠片がまだ微かに震えているのに気づいた。
「……パラケルスさんの言っていたことが、始まったのかもしれない。……行こう、セレナ様、リリス。公国のみんなを救いに行かなきゃ」
アルスは、新しいポーションをカバンに詰め込んだ。
単なる村の薬師から、世界の理を調合する者へ。
アルスの歩みは、ついに大陸最大の国家、公国の運命を懸けた戦いへと繋がっていく。
読んで頂きありがとうございます!
この作品を「良かった!」「続きが気になる!」と思ってくださった読者様は
ブックマーク登録や下にある『☆☆☆☆☆』を『★★★★★』に評価して下さると励みになります!




