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第31話:平和な村と、招かれざる美しき来訪者


 王都が陥落し、魔王軍との不戦条約が結ばれてから三ヶ月。

 辺境のリーフ村は、今や「奇跡の聖者が住む地」として、大陸全土から密かな注目を集めていた。


 とはいえ、当の本人であるアルスの日常は、以前とそれほど変わっていない。


 朝起きて、裏山の薬草園に水をやり、リリスと一緒に朝食を摂る。その後は、村の診療所に届ける常備薬の調合を行う。それが、アルスにとっての「至福の時間」だった。


「アルス、また変なものを混ぜていないか? 釜から虹色の煙が出ているぞ」


 縁側で魔導書を読んでいたリリスが、呆れたように声をかける。

 彼女は今、魔王軍を離れ、アルスの「専属助手兼、用心棒」として、この屋敷に居着いていた。


「あはは、これは変なものじゃないよ。村の牛たちが夏バテしないように、魔力を少し混ぜた『冷感栄養剤』を作っているんだ」

「……牛にか。お前の技術が、どんどん贅沢な使い方をされていくな」


 リリスはそう言いながらも、口角を少しだけ上げている。


 村の平穏は、アルスが作るポーションによって守られていた。

 病気は流行らず、作物は豊かに実り、村人たちは誰もが健康で活気に溢れている。

 だが、そんな穏やかな時間は、一頭の豪華な馬車の到着によって破られることとなった。


 村の入り口に現れたのは、隣国『聖シュトラーウス公国』の紋章が刻まれた白銀の馬車だった。

 公国は、陥落した王国に代わって今や大陸の主導権を握ろうとしている大国だ。その馬車からは、透き通るような銀髪と、凛とした翡翠色の瞳を持つ少女が降り立った。


「……ここが、噂に聞く『聖者の隠れ里』なのね」


 少女の名は、セレナ。公国の第一皇女であり、若くして最高位の聖魔導師の資格を持つ才女である。


 彼女の背後には、フルプレートの騎士たちが数十名控えており、その厳かな雰囲気は、のどかなリーフ村にはあまりにも不釣り合いだった。


「アルスという男に会いに行きます。案内なさい」

 セレナの言葉は、命令というよりは、拒絶を許さない宣言のようだった。


 ***


「……アルス。厄介な客が来たようだぞ」


 リリスがいち早くその気配を察知し、表情を険しくした。


「客? 辺境伯の使いかな?」

「いや……もっと面倒な、権力の匂いがする。お前を『聖者』として祭り上げようとする、欲深い連中だ」


 リリスがそう言い切る前に、屋敷の門が力強く叩かれた。

 アルスが扉を開けると、そこには優雅な礼を捧げるセレナ皇女の姿があった。


「突然の訪問をお許しください。私はセレナ・フォン・シュトラーウス。……大陸を救い、魔王さえも従えたという『真の聖者』アルス様にお会いしに参りました」


 皇女の真っ直ぐな視線が、アルスを射抜く。


 彼女の瞳には、かつてのレオンやマリアのような蔑みはない。だが、それ以上に重い「期待」と、自国の利益のためにアルスを囲い込もうという「執念」が宿っていた。


「……あの、聖者というのは何かの間違いだと思います。僕はただの調合師で……」

「謙遜は不要です。あなたが魔界に降らせた『浄化の雨』は、我が国の魔導観測所でも記録されています。……アルス様、我が公国は、あなたを『国師』として迎え入れたいと考えております」


 セレナは一歩詰め寄り、アルスの手を取ろうとした。


 しかし、その指が触れる寸前、アルスの影から伸びた漆黒の魔力が、目に見えない壁となって彼女を押し返した。


「……おい、公国の小娘。この男が、自分の意思以外で動くと思っているのか?」


 リリスが、冷たい殺気を孕んだ笑みを浮かべて現れた。

 公国の騎士たちが一斉に剣を抜こうとしたが、リリスが指を一振りしただけで、彼らの足元は影に拘束され、身動きが取れなくなる。


「ひっ……魔族!? それも、この強大なマナは……」

「今のアルスは、この村と、そして私のものだ。……帰れ。さもなければ、お前たちの白銀の馬車を、一瞬で鉄屑に変えてやるぞ」


 アルスは困ったように頭を掻き、リリスの肩を叩いて宥めた。


「リリス、そんなに怖がらせないで。……皇女様。お気持ちは嬉しいですが、僕はここを離れるつもりはありません。……もし薬が必要なら、並んで待っている村人たちの後ろに並んでください。公国の方でも、特別扱いはしませんから」


 皇女セレナは、絶句した。


 一国の皇女が直々に迎えに来たというのに、この男は、村人と同じ「行列」に並べと言ったのだ。

 だが、アルスの瞳に傲慢さはなく、ただ「当たり前のこと」を言っているだけの誠実さがあった。


「……ふ、ふふ。面白い方ですね。……王都の連中が、なぜあなたを無能と呼んだのか、少し分かった気がします。……あなたは、私たちが持っている『価値観』そのものが通用しない方なのですね」


 セレナは不敵な笑みを浮かべ、スカートの裾を掴んで一礼した。


「今日は退きましょう。……ですが、諦めませんわ。あなたがこの大陸に必要な『薬』である限り、私は何度でもここを訪れます」


 銀髪をなびかせ、皇女の馬車が去っていく。

 再び訪れた静寂の中で、アルスは大きな溜め息を吐いた。


「……リリス、なんだか大変なことになりそうだね」

「フン、お前が有名になりすぎるからだ。……だが安心しろ。どんな王女が来ようと、お前を連れ去ることなど、この私が許さん」


 平和な村に訪れた、新たなる嵐の予感。


 アルスの【真・調合】を巡る物語は、国家の思惑と、さらなる高みを目指す者たちを巻き込み、第3章へと突き進んでいく。


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